目に見えぬモノ
「さてと、ここまで分かったけれども、どうしたものか……」
呟いた言葉を、僕は不思議に思って頭を上げる。本務は顎に手をやって、何かを考え込んでいた。
「どうしたんだ、探してた事件は見つかったんだろう? あとは解決するだけじゃないか」
「そう簡単にはいかないのだよ。なにせ、見つけたのは水晶じゃ逃げ切れないという失敗談だ。具体的な解決方法ではない」
僕の疑問に、本務は深刻な顔をして首を振る。
言われてみればそうだ。これはあくまで、一般に伝わる回避策では無意味という事実の確認であって、お兄さんを救う方法ではない。
「じゃあ、どうするんだ?」
「まずは、他の新聞に事故の記事が無いか探してみよう。複数の確認を取れればラッキーだ」
「事故? 事件じゃなくて? だって、紫鏡の呪いなんだろ?」
「ボクらから見ればそうだけど、普通に見ればただの単身事故だよ」
「まあ、たしかに」
僕は言われるがままに、その日付の新聞を片っ端から探してみる。けれど、どう考えても学生の単身事故を大々的に報道している新聞はなく、ローカル新聞である目の前の新聞が記事にしているだけでも儲けものであった。
本務もどこかガッカリした様子で新聞を睨んでいる。
「ないな」
「仕方ない。だったら、この新聞の記事だけでヒントが隠されていないか探してみようじゃないか」
「ヒントなんてあるかなぁ」
「一見、ゼロに見えるものでもイチを探し出すのが探偵の仕事さ」
なんだかカッコいいことを言っているが、僕には書くことのないローカル新聞が、空白を埋めるためだけに書いた煽り記事にしか見えない。多くの場合、こういったスポーツ新聞が書くのは根拠のない推測記事なだけに、やる気は最低に近い。
それでも本務の真剣な横顔を見てしまうと、付き合ってやらなきゃいけない気分になり、僕は記事を眺めた。
「まずは、これが起きた時間帯だけど」
「深夜らしいけれど、これは今、問題にはならない」
「だったら、場所?」
「それも問題じゃない。重要なのは、衝突したときの速度と、バックミラーだよ」
「ん? たしかにバックミラーが紫に塗られていたっていうのは気になるけど、速度は?」
「ここには具体的な数字が書かれていないけれど、報道というのは様々な専門用語を使って大体の数字を表すことが多い。今回の場合は『かなり』と書かれているから、おそらく時速80キロは出ていたのだろうね」
その無駄な知識は何処から覚えてくるんだ。
けれど、たしかにそんな話を聞いたことはある。電車が遅延しているときに、「線路内に人が立ち入った」というときは痴漢、人身事故で、「体を強く打った」というときは被害者が体の一部を欠損しているといった類の話だろう。
「深夜の人のいない広い道路で、少しスピードを出してしまうのは分かる。けれど、壁にぶつかる瞬間になってもブレーキを掛けないというのはおかしいだろう?」
「そうだな。じゃあ、この人は」
「ナニカに追われていたのかもね」
人気のない深夜に、バイクで夜風を感じながら走っていると後ろからナニカが追ってくる。それを振り切ろうと速度を上げるが、一向にナニカは離れず、それどころか近づいてくる。恐怖を感じながらも後ろを振り返り、次の瞬間には……。
想像しただけで背筋が凍る。
昔から、何か得体の知れないモノに追い回される怪談は多いが、それは人間が本能で恐怖を感じるからなのだろう。
「じゃあ、紫のペンキの付いたバックミラーは」
「ああ、紫鏡が乗り移った痕跡だろうね」
もしも、紫一色で塗りつぶされた鏡の向こう側に見える世界があるとしたら、それはどんな風に映るのだろうか。もしかしたら、この人は死ぬ直前に、それを見てしまったのだろうか。
「……今日は帰りたまえ。青い顔をしているよ」
僕がさらなる詳細を想像する前に、本務の言葉が思考を遮る。
我に返ってみると、ひどい吐き気がした。
「……そうするよ」
「明日は依頼人の元へ行こうと思う」
「そっか。じゃあ、多田村に言っておく」
そう言って、僕は図書館から帰宅する。立ち上がったときに、ひどい立ち眩みをしたけれど、今回の事件とは何も関係が無いと信じたい。
なんとか帰宅した僕は、制服を剥ぎ取るように脱いで、ベッドに倒れ込んだことまでは覚えている。歩くうちに、脳みそを針で刺されているような頭痛がして、どうしようもなかったのだ。
気づけば、僕は紫色の世界にいた。
ああ、これは夢だな。
ベッドに倒れ込んでから、眠ってしまったのだろう。
夢だと分かってしまえば怖くはなかった。
僕は周囲を散策する。
ふと、地平線の向こうに何かがあるのに気付いた。
太陽にしては眩しくない。
それは段々と大きくなる。
僕は逃げた。
あれは、良くないモノだ。
けれど、アレは少しずつ近づいてくる。
ついに肩に手を掛けられる。
それは夢のはずなのに、妙に生々しく感じた。
「おぁあああ!」
「キャァアアア?!」
飛び起きると、そこには寝巻姿の姉が、僕の声に驚いて跳び退いていた。
「あービックリした! めちゃんこビックリした!」
「なんだ、姉さんか。驚かせないでよ」
「アンタがうなされてて、うるさいから起こしてあげたんじゃない。感謝してよね」
「それは、どうも」
姉はブツクサ言いながら、部屋を出ていった。それにしても、弟がうなされているというのに、心配からではなく、うるさいという理由で起こすのは、日本中探しても僕の姉だけだろう。
「それにしても、驚いたポーズ面白かったな」
コントのような驚き方をしていた姉を思い出すと、少し笑ってしまう。
冷静になったところで、手の平が手汗で濡れていることに気付いた僕は、手を洗うため階下の洗面所へと向かう。
水を流して手を洗い、ついでに顔を洗って顔を上げる。そして見てしまった。
背後に紫色の禍々しい鏡が映っているのを。
バッと背後を振り返ったが、そこには何もない。
再度、鏡を見てみるが、鏡の向こう側には紫鏡が映り続けていた。
「マジかよ……」
思わず洗面台に両手をついてしまう。
僕はまだ十七歳。紫鏡が効力を発揮するのは二十歳になってからのはずだ。
本務は、この呪いは伝染すると言っていた。けれど、二十歳になるまでには事件は解決するだろうし、呪いも消えると思っていた。
よく、怪談話で何かを見てしまった人間が、気のせいだと思い直すシーンが描写されるが、あんなのは嘘っぱちだ。
あれほどクッキリ見えていて、気のせいだと思い直せる人は頭がどうかしている。
「……まさか、お兄さんもコレを見たのか?」
自身を鏡に映すと、一緒に映る禍々しい鏡を。
僕は楽観し過ぎていたのかもしれない。本務が二回も怪異現象を退けたから、今回も大丈夫だろうと。
「でも、これで何とかなるかもしれないな」
紫鏡は本来、言葉という目に見えぬ呪いだ。それだけに今回のような特殊なケースは解決が難しいと本務は言っていた。しかし、見えるのなら話は別だ。
僕は部屋に戻ると、パソコンの電源を点ける。
調べものをするうちに、夜は更けていった。




