有能? 無能?
次の日、僕が学校へ行くと、多田村が嬉しそうな顔をして近づいてくる。
「オス。昨日はマジで感謝ッス。兄貴も久しぶりに部屋から出てきて、嬉しかったッス」
「ああ、おはよう。お兄さんの話なんだけど、いいかな?」
「オス。自分に分かることなら何でも聞いてほしいッス」
こんなに嬉しそうにしている多田村に、隠し事をするのは気が引けたが、僕は質問を続けた。
「お兄さんが引きこもったのっていつ頃?」
「たしか、今年の春からだったと思うス。高校からの先輩が、事故で死んでからッス」
「高校からの先輩?」
「オス。同じ部活の先輩で、その人に憧れて大学も一緒のところにいったんスけど、バイクで事故ったって聞いてるッス」
それは初耳だったが、それも致し方ないと思い直す。なにせ、多田村と知り合ったのは一昨日だし、昨日はお兄さんから碌に話を聞かずに帰ってしまったのだから。
「お兄さんの部屋に、昨日は入った?」
「オス」
「部屋の中に、水晶とかあった?」
「オス。大きいのから小さいのまで、透明なヤツがいくつかあったッス。なんで知ってるんスか?」
多田村が不思議そうな顔をしている。僕は慌てた。
「いや、部屋から出てきたときに、見えてさ。気になっただけ」
「そうスか。でも、あんな趣味無かったと思うんスけどねぇ」
乾いた笑いをして、何とか誤魔化すことに成功する。いくら危険だとはいえ、調べていることを話さないように情報を引き出すというのは難しい。
けれど、これで本務の言っていたことが本当だったとわかった。お兄さんは紫鏡の対処法をすでに実践していた。そして、それが無意味であるということも。だからこそ、あんなにも怯えていたのだ。
それからも僕はなんとかお兄さんの話を引き出そうとしたが、大した情報も得られず、ついには放課後になってしまう。
「これは、まずいかもな」
図書館へと向かう途中、ぼやいてしまう。
自分から情報を集めると言ったは良いものの、収穫は少なく、これでは大言壮語になってしまい、本務になんと言われたものかわからない。
それでも行かないわけにはいかず、溜め息が出た。
市内の図書館へと足を踏み入れると、目的の人物はすぐに見つかる。どうやら、新聞を読んでいるようだ。
「お待たせ」
集中していたのか、近くまで寄っても顔を上げない本務に、僕は声を掛ける。
顔を上げた本務は、難しい顔を綻ばせた。
「やあ、待っていたよ」
「何を調べてたんだ?」
「まずは、キミの方から聞かせてもらおう」
「うっ」
本務は新聞を畳むと、自分の隣の席をポンポンと叩く。
「どうしたんだい? 座りたまえ」
「……はい」
いつまでも座ろうとしない僕に、本務は催促をしてきた。逃げられなさそうだ。
僕は大人しく隣に座ると、多田村に聞いた話をする。
「なんというか、まあ」
「すまん、僕のコミュ力じゃ、これが限界だった……」
本務の呟きに、僕は恥ずかしくて顔を上げることが出来ない。なんだか胃まで痛み始めた。
僕は昔から人の頼みを断れず、それでも何とかこなそうとしてきたものの、完璧に達成できたことは少ない。けれど、今までならば、特に興味もない相手にガッカリされたり、責められたり、笑い飛ばされて終わっていたが、今回は違う。
自分から請け負ったのだ。
それを達成できなかったと感じる自分が恥ずかしかったし、何より、本務にガッカリされるのは、なぜだかとても嫌だったのだ。
「何を謝っているんだい?」
「え?」
からかわれるか、怒られるかと思っていた僕は、思いもよらぬ言葉に顔を上げる。すると、本務が不思議そうな表情を浮かべているのが見えた。
「キミはボクにとって必要な情報を持ってきてくれたよ」
「え、え? だって全然、話を聞けなかったけど」
困惑している僕に、本務はニコリと笑みを浮かべると、先ほどまで読んでいた新聞を手に受付へと歩いていき、しばらくして別の新聞をいくつか持って戻ってくる。
それを目の前の机に置くと言った。
「キミも探してくれたまえ。今年の春の不可解な交通事故を」
「え、あ、わかった」
何を言っているのかサッパリ分からなかった僕は、言われるがままに新聞をめくる。
しばらくの間、二人でで新聞をめくり続けた。事故の記事が書かれていては、これかと尋ね、本務は首を振る。そして全てに目を通すと、新たな新聞を求めて受付に行く。
どれくらいの時間が経ったのか分からなかったが、自分の指がインクで黒く染まったころ、本務が呟く。
「見つけた」
そう言って、僕に見せてきたスポーツ新聞の記事には大きく
[大学生の怪死! 事故か自殺か他殺か!?]
と書かれていた。
「これが、なんだ?」
「ほら、ここを読みたまえ」
本務が黒ずんだ指で差した部分を読むと、一人の大学生が今年の春、バイクでの単身事故を起こしたと書かれていた。しかし、事故が起きたのは道の広い一本道で、夜だったとはいえ見通しは悪くなく、さらには被害者はブレーキも掛けずにかなりの速度で壁に衝突、バックミラーには何故か紫色のペンキが塗られていたと書いてある。
「これって……」
「キミは必要以上に多くを自分に求めすぎているようだ。さっき落ち込んでいたのも、自分が役立たずだとか思っていたのだろう?」
的を射た本務の言葉に、僕は何も言えず、黙り込んでしまう。
しかし、本務は気にせず続けた。
「たしかに、キミは成績も悪いし、コミュニケーション能力は低いし、事あるごとに落ち込んで性格も暗いし、ボクの考えの一割も読めないし、事あるごとにボクに代金を請求してくるし、友達も少ない」
たしかにその通りだけど、今サラッと私怨を混ぜなかった? あと、友達はこれから増える予定だ。
「けれどね、ボクにとっては、とても役立つ助手なんだ。それを否定するような言動は慎んでくれたまえ」
そう言った本務の表情は、先ほどまでの呆れたものとは打って変わった真剣そのもので、僕は思わず息を呑んでしまう。
「お、怒ってる、のか?」
「まあね。キミのネガティブ思考に呆れてもいる」
なんだか納得はいかなかったけれど、心臓は何故だか鼓動を速めていた。姉に、隠していた答案を見つけられ、説教されているような気分が一番近かったが、それとは微妙に違う、僕の知らない感覚だ。
「なんか、ごめん」
「わかってくれればいいのさ」
「それで、なんでお兄さんの知り合いが亡くなったって知ってたんだ? それに事故まで調べて」
僕の中に残る、妙な感覚を取り払うために、話題を変える。本務もいつもの、からかうような表情にもどって話してくれた。
「彼は紫鏡の対策を知っていて、その方法はすでに試し、そして効果が無いと分かって怯えていたね」
「そうだな、それは今日の多田村の話で確信した」
「なぜ?」
「なぜって言われても……」
「すでに他の誰かが実践し、失敗したから。だよ」
なるほど、それならあれだけ怖がっていたのも頷ける。一般的に解決できると言われている方法が無意味なのだと知ったのだから。
「でも、それじゃあ答えになってないぞ」
「では何故、彼が失敗した例を知っていたのか」
「……ああ、そうか」
「そうさ、彼は同じく紫鏡に怯える誰かを知っていた。そして共に水晶を用意したんだろう。しかし、その誰かは呪いから逃げることは出来ず、死んだ」
それならば辻褄が合う。本やネットに、回避したという成功例は載っていても、失敗したという話は載らない。なんせ、本人は死んでいるのだから。
「ボクもそこまでは辿り着いたんだ。だからこそ、図書館で事件や事故の記事を調べていた。でも、怪死の記事なんて山ほど見つかるのだよ。そこに、キミが情報を持ってやってきたというわけさ」
だから本務は、僕を役に立つと言ってくれたのか。そう思った途端、顔に血が上ってくるのを感じる。褒められ慣れていないから、照れてしまったのかもしれない。何とか、顔が赤くなるのだけは阻止したけども。
「なんだ、褒められて照れているのかい?」
「なっ」
なぜ分かったのか。
本務は面白がるような表情をすると僕を指さす。
「耳が赤くなっているよ」
僕は耳を抑えて蹲ってしまったのだった。




