僕の過去
幼いころ、「影踏み鬼」という遊びが流行った。鬼を決め、その鬼に影を踏まれたヤツが次の鬼になるという、「鬼ごっこ」の進化したような遊びだ。
「バカにしてるのかい? それぐらいは知っている」
それは失礼。……大抵は時間を決めて、その時に鬼だったヤツの負けという遊びだったが、影を踏んだ踏まれてないの言い合いで誰が負けなのか分からなくなったり、誰かが急遽帰らなければいけなくなってうやむやになることが多かった。
「それで?」
だから僕らは決まりを作った。鬼は鬼のお面を付けること。鬼が急に帰らなければいけなくなったときは、いつも遊んでいた公園のブランコにそのお面を置いておくこと。そうすれば鬼が分からなくなっても最初からやり直せる。今思えば、無尽蔵に遊び続けられて、つねに走り回らなければいけない遊びを、よくもまあ飽きもせず毎日やっていたものだと感心するよ。
「子供の頃の体力っていうのは限界がないからね」
そうなんだろうな。……あの日も、僕は鬼のお面を付けて影を踏むために一生懸命走り回っていた。いつの間にやら見慣れない路地に入っていたけど、あの頃の僕は「家の近くの何処かだろう」「走っていればその内知った道に出るだろう」と、気にしていなかった。
そして、とうとう前を走って逃げるヤツを見つけて追っかけまわし、影を踏んだ。その子は何か言った気がするけど、僕はお面を置いて一目散に走って逃げてしまったから、よく覚えていない。
「……ふむ、続けて」
そのあとは捕まることもなく、日が暮れ始め、約束の時間になってから公園に向かうと、何故かお面を誰も持っていなかった。どうやら、僕のあとは誰も鬼になっていないらしい。
僕は、「きっと誰かが嘘をついている」「誰かを捕まえてお面を渡した」と力説したが信じてはもらえず、結局うやむやになって解散した。
月日が経って、中学生になったある時。学校の帰り道の途中、小学生の頃よく遊んだ公園のそばを通りがかった。すると、どこからか子供が僕に近づいてきて「影、ふーんだ」と言って去っていった。僕は懐かしく思いながらもその場を後にしたんだけど、その日から僕の生活は変わってしまった。
「どんなふうに?」
影が一人でに動くんだ。
「やっぱりね」
初めはモゾモゾと動くだけで、僕も目の錯覚だろうと思っていたのだけど、その動きは日に日に増していき、ついには僕と全く違う動きをするようになったのだ。
誰かに相談しても、どうやら影が動く様子は自分にしか見えないようで、友達とは疎遠になり、唯一一緒に暮らしている歳の離れた姉からは精神科をオススメされる始末。
それならば自分で解決してやろうと、オカルトに関する情報をかき集めているうちに、今の僕が出来上がったってわけ。
本務に言われるがまま、今起きている出来事と、原因と思われる過去を洗いざらい話してしまった。やってしまったという後悔と、ついに話せたという安堵からか、僕の手は汗でビッショリと濡れていた。
「ボクが思うに」
しばらく黙り込んでいた本務が口を開く。先ほどまで隣から聞こえていた声が、少し遠くから聞こえるのだがいつの間に移動したんだ。いまだに目が暗闇に慣れていない僕がビックリするだろう。
「きっとキミは子供の頃、人ならざるモノの影を踏んでしまったんだろうね。そして、ソイツがキミを見つけ、影を踏んだ。ということは今度はキミが鬼なんだ」
「そんなことは分かってる。僕が知りたいのはその先だ。どうすれば元の生活に戻れる」
すでに予想していたことを指摘され、苛立った僕は声を荒げた。だが、本務は何でもないという風に笑うと冗談めかして謝ってくる。
「ふふ、すまないね。簡単だよ。鬼の影を踏んでから、影踏み鬼を終わらせればいい」
「そんな簡単じゃない。僕が今日までソイツを探さなかったと思うのか」
「探したんじゃ出てこないだろうさ。影踏み鬼をやらなきゃね」
呆気に取られた。きっと、今の僕の顔はさぞかし愉快なことだろう。部屋が真っ暗で本当に良かった。
そんな僕を知ってか知らずか本務は持論を展開する。
「キミが最初にその鬼にあったのは、影踏み鬼をしていたときだ。きっと、影を踏み返された時も公園の近くだと言っていたし、子供らが影踏み鬼をしていたんだろうね。ソイツは影踏み鬼をしているときにしか現れない。だから探しても見つからないのさ」
「……それで、見つからなかったら?」
「見つかるよ。きっとね」
何故だか分からないが、彼女が優し気な笑顔で答えてくれているような気がした。それに僕は嬉しかったのだろう。今まで誰にも信じてもらえず、自分だけで背負ってきた恐怖を誰かに話し、それを受け入れられ、解決策まで提示してもらえたのだ。気づけば頬を熱い涙が伝っているのがわかる。
「さぁ、電気を点けようか。そろそろ暗闇にもうんざりだろう?」
それを聞くや否や、僕は慌てて涙を拭う。拭い終わるのを見計らっていたのかとでも言いたくなるようなタイミングで部屋が明るくなった。明るさに目が慣れないまま本務を見つけると、彼女は出会った時と同じく無表情で立っていた。
「お昼でも奢ってもらおうか。相談料と解決料だよ、まさか嫌とは言わないよね」
「……はい」
やっぱり性格は曲がっていそうだ。だが、少なからず彼女に感謝していた僕は頷く。
理科準備室を出た僕らだったが、下駄箱へ向かううちに疑問が浮かんだ僕は、前を歩く本務に話しかけた。
「なんで影が動くんだ?」
本務はチラリと僕を見やると足を止めることなく逆に質問してきた。
「影踏み鬼は、影を踏まれるとどうなる?」
「そりゃあ鬼に……まさか」
「そう、影が鬼に変わり始めているんだ」
「そんな、だってたかが子供の遊びだろ?」
「人の思いというのは、時に人智を超えたモノを生み出す。それが子供の純真な心なら、なおさらだろうね」
嘘だと言って笑い飛ばしたかった。昔の僕ならそうしただろう。だが、影が勝手に動くなんて有り得ないことを見てしまった今では全く笑えない。これまで生きてきて、背筋が凍るなんてことが二度もあったのは今日だけだろう。そう信じたい。
よっぽど絶望的な表情をしていたのか、本務が見かねて足を止め、振り向いた。
「大丈夫、キミはボクが助けてあげる」
数分前に言った言葉を繰り返しただけだったが、僕には精神安定剤のように効いた。強張った体がほぐれていくのを感じる。
「差し当たっては昼食を取ろう。聞く限り、影踏み鬼はハードだからね」
前に向き直り、歩き始めた本務は肩越しに言った。僕はその言葉に首を傾げる。
「……影踏み鬼、やったことないのか?」
本務はそれに答えず、スタスタと歩いて行ってしまう。僕は慌てて後を追っかけた。聞いてはいけないことだっただろうか。反省するが、覆水盆に返らず、だ。お詫びといってはなんだけど、多少高めのものを奢ってやろう。相談料と解決料を兼ねてるわけだしな。
いつの間にか僕は口元がニヤケているのに気が付いた。最近はいつも影に怯えていたから、とても新鮮に感じる。そう考えながら、僕らは学校をあとにしたのだった。