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名探偵、皆を集めて、「さて」と言い

 コンビニから戻ると、二人はベンチに座って待っていた。高知さんは本務に背中を擦られてはいたが、泣いている様子はなく、落ち着いているように見える。


「ココアです。甘いものは落ち着きますよ」


「……ありがとう」


 僕が高知さんにペットボトルを渡すと、彼女はそれの温もりを逃がさないように両手でしっかりと包み込んだが、それを飲むことは無かった。ただ、ゆっくりと両手の中でボトルを回しながら、自分の足元を見つめている。


「ボクの分もあるのかい?」


「ああ、紅茶で良かったか?」


「もちろんさ。ありがとう」


 本務にも温かい紅茶を渡すと、それを一口だけ口に含む。しかし、それ以上飲むことはなく、眉を顰めて首を振った。


「……あまり美味しくはないね」


「お前はコンビニに何を求めているんだ」


 たしかに、しっかりと茶葉の香りを移したものには負けるとは思うけれど、大量生産の中ではそれなりに美味しいと思うものを買ってきたのに。なんだか自分の味覚が粗末だと言われた気がして、若干落ち込んでしまった。


「まあ、それは置いておいて、事の顛末を話すとしようか」


 その言葉を聞いた瞬間、高知さんの肩がビクッと動いたが、何も言わなかった。


「さて」


 咳払いを一つすると、本務はゆっくりと話し始める。


「事の始まりは、約一年十ヶ月前に一人の女性が、おそらくは望まぬ妊娠をしてしまったことが発端だよ」


「それって……」


「ああ、キミの言っていたSNSアカウントの人物だろうね。そして、死んでしまったという生徒でもある」


 本務は手の中でボトルをもてあそびながら、話を続けた。立っている僕からは、俯かせて死角になってしまっているその表情をは見えなかったが、声音はとても暗かった。


「妊娠が明るみに出ることを恐れた彼女は、中絶のために病院へ行くことは出来なかっただろう。そうしているうちに、中絶可能な期間は過ぎてしまう」


「でも、そこまで行けば誰かが気づくんじゃないか? 妊婦のお腹って大きくなるじゃないか」


「いや、子供が大きくなるためには、キミが想像している以上に栄養が必要なんだ。本来なら相応の食事を摂る必要があるけれど、彼女はきっと気付かれるのを恐れて普段通りの食事しか摂らなかっただろうから、あまり大きくはならなかっただろうね。それでも子供が流れなかったのは、運がいいのか悪いのか、ボクには分からないけれど」


 納得しかけてしまったが、おかしな点に僕は気付いた。


「けど、高知さんの子供じゃないなら、どうして泣き声が彼女に聞こえたんだ?」


 母親ではない高知さんを呼ぶのはおかしい。


「それは――」


「アタシが! アタシが……捨てたから……」


 本務の言葉を遮った高知さんの声は、か細く、震えていた。しかし、俯かせていた顔を上げ、遠い地面を見つめる視線はしっかりと定まっているように感じた。


「大丈夫かい? 話せないなら無理をしなくてもいいんだよ」


 本務の声は、いつものようなどこかからかう・・・・ような色は無く、僕を助けてくれると言ってくれた声音そのものだった。


「いいの。アタシには話す義務があるわ」


 本務の顔を見て、弱々しい笑みを浮かべた高知さんはそう言うと、視線を戻し、今度はしっかりとした声で話し始める。


「先輩はアタシの憧れだったの。いつも背中を追いかけてた。だから、部活に来なくなって、アタシを避け始めたときは悲しかったわ。……ようやく何を隠しているのか教えてくれたときは、正直嬉しかった。でも、その頃には出産間近で、結局夜遅くに、この駅のトイレで生まれたの」


 高知さんの目元には涙が溜まっていたが、それを溢れさせないために何度も何度も瞬きを繰り返しながら、話し続けた。


「産まれた子供を見たとき、先輩は見ようともしなかったわ。そんな先輩を見たくなくてアタシはコインロッカーに捨てたってワケ。先輩は一生懸命慰めて、その日は帰ってもらったの。……その数日後、あの人は電車に飛び込んで死んだ。だから、あの子がアタシを恨むのも無理はないわ。自分を殺し、母親も救ってくれなかったんだから」


 堪えきれなかったのか、後半は声を震わせ、しっかりと開いた目からは、瞬きをするたびに大粒の涙が一粒ずつ流れていたが、それでも、最後まで話しきった彼女は両手で顔を覆ってしまう。手放したボトルが足元で転がっているのが、とても寂し気に見える。


「よく、頑張ったね」


 本務は、そんな高知さんの肩を抱き、ゆっくりと頭を撫でた。とても優し気な微笑みを浮かべて。


「大丈夫、あの子は恨んでなんかいないさ」


「ごめん……ごめんなさい……」


「聞きたまえ」


 顔を隠す高知さんの手を、ゆっくりと剥がして、目と目を合わせながら本務は真面目な顔で告げた。


「子というのはまず母を求め、そして父を求める。だからあの子は母親を探していただけなんだ」


「でも、高知さんは母親じゃないのに」


「産まれたばかりの赤子は目が見えない。だから母親を見分ける方法は、その他の五感に頼るしかないんだ。そこで、最も記憶と結びつけやすい、"嗅覚"で判断する。つまりはニオイだよ」


「ニオイ……? あ」


「そこで彼女の黒セーターを着たのさ。わざわざ自分の体臭を消してね」


「体臭って……」


 女子が言っていい言葉なのかそれは。だけど、これで本務に感じていた違和感がわかった。いつもの金木犀きんもくせいに似た甘い香りがしなかったんだ。


「子供は彼女に抱きかかえられて、コインロッカーに入れられた。そのニオイの持ち主が母親であると思っていたのだろう。だから、彼女がハッキリと否定することで事件は解決したんだよ」


「なるほどね」


 見れば、いつの間にか高知さんは泣き止んでいた。本務の目をしっかりと見つめている。


「本当に……?」


「ああ、本当さ。だから今日のところは帰りたまえ。疲れただろう」


「……わかったわ。ありがとう」


 そう言って、高知さんは帰って行ってしまった。その顔は心なしかスッキリとしているようにも見えた。



「さあ、僕らも帰ろうか」


「ちょっと待てや」


 本務が立ち上がって帰ろうとするので、僕は肩を掴んで引き留めた。


「……なんだい?」


 本務は露骨に面倒くさそうな表情をするが、その程度で僕が怯むわけもない。こちとら何年も機嫌の悪い姉の八つ当たりを受けているのだ。


「謎がまだ残ってるぞ」


「いいじゃないか、事件は解決したんだから」


 そりゃあ、本務は全部分かっているのかもしれないし、高知さんは当事者なんだから知っているだろうけど、僕からすれば置いてけぼりだ。


「そ、そんな顔をしないでくれたまえ。誰も話さないとは言っていないだろう」


 僕が黙り込んでいると、慌てたように本務がベンチに座りなおした。そんなに悲しそうな表情を僕はしていたのだろうか。


「助手は探偵が解き明かした謎を知る権利があるからね。さあ、何でも聞いてくれ」


 とにかく、本務が話してくれる気になってくれたのはラッキーだ。


 僕は遠慮なく疑問をぶつける。


「どうして本務がわざわざ高知さんの服を着てまで抱きかかえたんだ? そんな危険なことを」


「本来、"水子みずこ"という霊は血族にしか害を成さないんだ。裏を返せば、血族にしか触れることは出来ない。けれど、彼女の怯えようからしてそれは無理そうだからボクがしたまでさ。それに、害が無いのは分かってたし」


「なぜ?」


「前にも言っただろう? 子供の念とはとても強いんだ。害を成すなら、とっくにしているだろうけど、彼女は声を聞いただけ。だから害は無いと踏んだ。本来、水子はとても恐ろしいんだよ?」


「……どうして今更泣き声が聞こえたんだ? その話ならもっと前に聞こえててもいいはずじゃないか」


「一周忌、というものを知っているかい? 供養されなかった霊魂は、それを機に活動し始めることが多いのさ。聞きたいことは以上かい?」


 本務が話は終わりとでも言う風に手を広げるので、僕は慌てて止める。


「待て待て、まだあるよ。高知さんがイメチェンした理由が分からない」


「そうだね、きっと軽い女に見られるようにして、先輩とやらを孕ませた男を探そうとしたんじゃないかな。失敗に終わっているようだけど」


「そういえば、その男って……」


「さあ? そこまでは知らないよ。依頼からも外れるしね」


 一番重要なところを知らないと言われて、拍子抜けすると同時に、ガッカリしてしまった。そして、それに気付いてしまった自分に驚く。普段は冷たいけれど、優し気な本務を見てしまった僕は、知らないうちにその男を見つけており、通報するものだと思ってしまっていたのだ。


 ……いや、本務でも分からないことはあるのだ。そう考え直したところに、本務がついでのように呟く。


「それに、ボクらが見つけなくとも、きっとその男は後悔するだろうしね」


「どういう意味だ?」


「さっきも言っただろう。子はまず、母を求め、その後父を求める、とね。あの子の父親は、これから眠れぬ夜を過ごすことになるだろうさ」


「なるほどね」


 見たことも無いような本務の笑みに、底知れない恐怖を感じた僕の体はブルリと震えた。


 あの子の父親は、最初のうちは微かに、そして段々と大きくなって聞こえる泣き声に怯えることだろう。泣き声を誰かに相談しても、それは誰にも聞こえないため、理解されることはない。理解されない寂しさ、恐ろしさは僕が一番よく分かっているつもりだ。


「さて、本当に終わりかい? キミも疲れただろうし、帰ろうじゃないか」


「あ、最後に。僕には本務が抱いているナニカが見えた。水子の霊は他人には見えないんだろう? なのにどうして」


「……それはね、キミが長く怪異に触れてしまっていたせいさ。"影踏み鬼"の邪気がキミに移って、普通なら見えないものが見えるようになったんだろう」


「……そうか」


 その言葉に、僕は俯いてしまう。


 本務は、そんな僕をしばらく見つめていたように感じるけれど、ふいに立ち上がると、少し歩いて背を向けながら僕に話しかけてきた。


「キミにとって、見えるということはとてつもない不幸かもしれない。けれどね、ボクにとってはこの上ない幸運なのさ。なぜなら――」


 両手を後ろに組んだまま、振り向いた本務に僕は見惚れてしまった。


「なぜなら、キミがボクの助手になってくれたのだからね」


 何度か彼女の笑顔は見て来たけれど、柔らかな月明かりに照らされた今回の笑顔は、今までになく、綺麗だったのだから。


「……それはどうも」


 照れ隠しに苦笑して俯いてしまったが、僕の顔は真っ赤になっていたと思う。それを本務に見られたかどうかは分からないけれど、願わくは、見られなかったと願う。


 なんてったって、恥ずかしいからね。


 ――こうして、僕が助手となって受けた初の依頼は、終わりを告げたのだった。



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