真実の母親
「それで、何時に呼び出せばいいんだ?」
僕はポケットから携帯を取り出して、本務に訊ねた。
「そうだね、出来れば人が少ない時間帯だといいのだけど」
「それなら、2時くらいはどうだ? 最終電車時刻もとっくに過ぎてるだろうし」
「うん、いい考えだ。それじゃあ、二時に持仲駅コインロッカーに依頼人を呼び出してくれたまえ」
「わかった」
僕は頷くと、携帯の画面に指を走らせ文字を打つ。掲示板なんかに書き込むことの多い僕は、自慢じゃないけれど入力が速いほうだと思う。
『こんにちは、渡須です。
依頼されていた件の、解決の目処が付きました。
明日午前二時に、持仲駅コインロッカーに来てください』
短い文を、高知さんのSNSアカウントに送信する。やや堅苦しいが、崩した文章で彼女を怒らせてしまうよりかはいいだろう。
「送った」
「そうか、ならキミも一度帰りたまえ。ボクも準備しなければいけない」
「いいのか? 手伝うぞ?」
僕が提案すると、本務は困ったような表情をした。
「身だしなみを整えたいのだけど……その、キミが見たいのなら」
「それじゃあ後でな!」
本務の言葉を最後まで聞かず、僕は理科準備室を飛び出した。言われてみれば、彼女は昨日から帰っていないのだし、ましてや女の子なのだから清潔にしたいと思うのは至極当然の考えなのだが、罪悪感で頭がいっぱいだった僕はそこまで頭が回らなかった。
「遅刻しないようにしてくれたまえよー」
閉めた扉の向こうから、面白がるような声が聞こえた。どうやら、からかわれたらしい。健全な男子高校生をからかうのはやめてくれ。心臓に悪いから。
家に帰り、携帯を取り出すと通知のランプが点滅しているのに気が付いた。きっと高知さんからの返事だ。
『わかった』
その四文字を見た瞬間、僕はグッと拳を握りしめる。
正直、自分で提案したのはいいものの、高知さんが了承してくれるのか不安だったのだ。しかし、これで第一関門は突破した。
「頼むぞ、本務」
あとは全て本務に任せるしかない。
* * *
「やあ、来たね」
予定時刻までソワソワしていた僕が、終電で持仲駅に行くと、そこでは制服姿の本務が、学校指定の真新しいカバンを持ち、コインロッカーのそばにあるベンチに座って待っていた。
「早いな」
「まあね」
青ざめた顔をしていないから、同じ電車で来たわけではないだろう。ということは、どれだけ前から来ていたんだ。
「来たのはついさっきだよ。ただ歩いてきただけさ」
僕の心を見透かしたかのように、本務が話す。僕は苦笑しながら隣に腰を下ろした。
「探偵ってのは心が読めるのか?」
「そんなわけないだろう。ただ、キミならこう考えているだろうな、と考えるだけさ」
「すごいな」
「誰にでも出来るわけじゃない。キミにだけさ」
「そうですか」
しかし、何故か本務に違和感を感じる。その理由はわからないが、いつもと何かが違う気がしてならないのだ。
まるで恋する女子が、気になる男子を視界の端で見るが如く、バレないように彼女を観察した。
「どうしたんだい? チラチラと見て」
「いや、別に」
どうやら、完全にバレていたようだ。どうして女の子っていうのは視線に対してこうも鋭いのだろうか。
それきり、僕らは完全にだまりこんでしまった。目の前を、帰宅を急ぐ人たちが横切っていき、それは段々と減っていく。
そうして、人影が消え、駅が閉まった頃になって、依頼人が現れた。
「来たわよ」
そう言って仁王立ちしている高知さんは、全身を黒い私服で包んでいた。どれだけ黒が好きなのか。
「わざわざこんな時間にしなくても良くない?」
「やれやれ、キミもか。霊というのは――」
「すみません! でもほら幽霊って夜遅くに出るって言うじゃないですか」
高知さんの文句に、本務が呆れて挑発めいたことを言おうとするのを、僕は慌てて声を被せて隠した。彼女を怒らせるのは得策じゃない。
しかし、高知さんは本務が言おうとしたのに気付いてしまったのか、眉を顰めた。
「あんたね――」
その時だった。赤ん坊の泣き声がコインロッカーから響いてきたのは。
高知さんの顔は暗くてもハッキリわかるぐらいに青ざめていった。
「来たね」
本務は冷静に言うと、カバンを開けて中から黒いセーターを取り出す。
「むぅ、胸周りが少し小さいな」
余計な情報を言いながら、頭から被ったところで高知さんも気づいたようだ。
「そ、それって」
「ああ、人の助手を童貞扱いしたキミのセーターだよ。さあ、どこに赤ん坊を捨てたんだい?」
「あ、あそこ……」
そう言って高知さんが指さしたのは、下の隅にある小さめのロッカーだった。
「よし」
本務は頷くと、そこに歩いていき扉を開く。そして何かを引っ張りだすような仕草をすると、それを抱きかかえたように戻ってくる。
それは異様な光景だった。
本務の腕には、黒くモヤモヤしたものが掛かられており、そこから赤ん坊の泣き声は聞こえてくる。それは近づいてくるほどに大きくなっていったので、間違いないだろう。
「本務!」
そして、目の前に来た時、本務が抱きかかえているソレが、彼女の上半身に纏わりついてるのが分かった僕は、思わず叫んでしまう。
しかし、本務は僕に黙るようなジェスチャーをすると、高知さんに向かって口を開いた。
「さあ、この子に謝りたまえ」
「あ、ああ謝る……?」
「そうさ。せっかく生まれてきてくれたのに、殺してしまってごめんなさいと謝るんだ」
「なんでそんなこと!」
高知さんがヒステリックに叫んだ瞬間、泣き声は耳が痛くなるほどに大きくなる。
「ひぃッ」
「さあ! 謝りたまえ! すまないと! 申し訳ないと!」
小さく悲鳴を上げながら、高知さんは後ずさって遠ざかろうとするが、本務はそれに合わせて近づく。その顔は無表情であり、能面のような恐怖を感じた。
「ああぁ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
ついに耳を塞ぎながらしゃがみこんでしまった高知さんは、有らん限りの声で謝罪を始める。しかし、泣き声は止むどころか、ますます大きくなっていった。
「どうした! 本当の母親なのだろう! ならば心から謝り――」
「違うッ!」
本務がさらなる謝罪を求めようとした瞬間、高知さんが叫んだ。
「違う! アタシは本当の母親じゃないの! その子の本当の母親は先輩なの!」
そう告げると同時に、泣き声はピタリと止んだ。見れば、本務に纏わり付いていた黒いナニカは綺麗に消えている。
「ごめん……ごめんね……」
高知さんが、泣きじゃくりながらもなお、謝り続けている。そこに、本務は近づき、優し気に抱きしめながら声をかける。
「キミの子ではないんだね?」
「そう……そう、なの……」
「そうか、なら大丈夫。もうキミに、あの泣き声が聞こえることはないよ」
「本、当……?」
「ああ、もちろんさ」
涙で真っ赤に泣き腫らしているであろう瞳を覗き込みながら本務が微笑むと、高知さんは静かに大粒の涙を流し、それを本務も静かに抱き留める。
「渡須くん、何か飲み物を買ってきてくれないか。温かいものが良いだろう」
「え? あ、ああ、わかった」
本務に言われて我に返った僕は、近場のコンビニを探して走ったのだった。




