赤子の親は
帰宅後、僕はさっそく某SNSに登録したは良いものの、特に進展もなく、夜になるまで行動を起こすことが出来なかった。
高知さんのアカウントを見つけたところまでは良かったのだが、あれほど怒っていた彼女をどう呼び出せばいいのか分からなくなっているのだ。この手のものを初めて使ったので、どう話しかければいいのかも知らないし。
「……物は試しだ当たって砕けろ!」
自分に気合を入れてから、高知さんをプライベートチャットに誘い、書き込んだ。
『こんばんは、本務です』
『先日は大変失礼しました』
なんだか堅苦しい文章になってしまったが、反省の色を示すためにはこのぐらいがちょうどいいだろう。
僕はドキドキしながら、返信が来るのを待った。……恋人からの返信を待つというのはこういう感じなのだろうか。いたことないけど。
ピロリン、と小気味よい音と共に高知さんがチャットルームに入ってきたのが確認できると、携帯に飛びつく。
『なんかよう?』
「うわ……これ、まだ怒ってるな」
短い文だったが、それだけはハッキリと伝わってきた。
『確認したいことがあるので、明日もう一度来ていただけませんか』
怒っている女性に、何度も謝ったり、おどけた態度を取るのは愚策であると姉で何度も痛い目をみた僕は、単刀直入に用件だけを言うことにした。もちろん、これは下手をすると余計に相手を怒らせてしまう諸刃の剣だが、上手くいけば怒りを抑えて会話してくれたりする。
『は? ふざけないで』
……今回はダメだったようだが。
『お願いします』
『アンタはあんだけコケにしてきた相手にもう一度会いたいと思うわけ?』
『それに関してはお詫びします』
『あの女が謝るまで絶対イヤ』
そんなやり取りを続けて、これはダメかもと思い始めたところで、僕の必死の説得と誠意が伝わったのか、ようやく高知さんは了承してくれた。
「な、長かった」
ゆうに小一時間は携帯の画面と睨めっこを続けた僕の目は、疲れと眠気のせいか限界だった。しかし、明日もあの二人の仲を取り持ちながら話し合いをさせるのかと思うと、胃が締め付けられるような感覚を覚え、やはりなかなか寝付くことが出来なかった。
ここ連日の睡眠不足のせいで、学校に行けば麗度に笑われながら心配され、授業中はほとんど眠ってしまった翌日、僕は高知さんを待って校門で待機していた。高校生のくせに心身衰弱で倒れてしまっては、社会に出ている方々に申し訳ないなんて適当なことを考えながら。
「来たわよ」
気付けば目の前に、高知さんが腰に手を当てて立っていた。まったく気付かなかったのは僕が迂闊なのか、はたまた疲れのせいか。
「わざわざ出向いてもらってすいません」
「まったくよ」
昨日の二の舞になるのは避けたかった僕は、曖昧に笑ってから彼女を連れて理科準備室に向かう。その途中、彼女の袖から黒の布地が見えたのだが、黒が好きなんだろうと決めつけ、詮索するのはやめておいた。下手につついて余計に怒らせたくない。
「やあ、いらっしゃい」
理科準備室に入ると、爽やかな香りが広がった。見れば無表情の本務が、今度はガラスのポッドでハーブティーを入れている。……もう好きにしろよ。
「キミたちも飲むかい? カモミールティーだ」
「アタシになんのよう?」
その言葉を無視して、高知さんが切り出す。それに対し本務は肩を竦める。
「カモミールは心を落ち着ける効果があるのだけどね……まあいいさ。キミを呼び出したのは、とある事件の話をしたかったのさ」
「事件?」
「持仲駅コインロッカーに赤ん坊が捨てられていた事件さ。今回の依頼に関係がないとは思えないのに、どうして話さなかったんだい」
「なっ……」
「ボクらが辿り着かないとでも思っていたのかい?」
本務の問いかけに、高知さんは黙り込んでしまう。顔を俯かせたまま、椅子に座る彼女に、僕は本務のそばにあるハーブティーを入れると持っていく。それを受け取った高知さんは一口飲むと、しばらくして呟くように口を開いた。
「……その子、アタシの子なの」
「えっ」
「ほう」
本務は興味深いとでも言わんばかりの口調だった。
逆に、心底驚いた僕は、口を開いたまま高知さんを見つめる。たしかに彼女くらいの年齢なら、今どき珍しくもないのかもしれないが、そんな風にはとても見えなかったから余計に驚きの値が大きい。
「詳しく話してくれたまえ」
「……適当な男を引っかけて小遣い稼ぎしてたのよ。それで去年の五月ぐらいだったかしら。その時の男の人の押しに負けて……後悔してたんだけど、気づいたら妊娠してたの。親にバレるのが怖くて下ろすわけにもいかなくて……去年、駅のトイレで産んで、その、ロッカーに捨てたの」
「そんな……」
ショックだった。僕と大して年齢の変わらない女性が子供を産んで捨てたということもだけど、僕なんかよりも頭が良くて、見た目も可愛い女の子がそういうことをしていたという事実が。
「なんで……」
気づけば、僕は呟いていた。情けないことに、声は震えていたと思うけど、それが怒りからなのか哀しみからなのかは分からない。
「なんで? 秀才学校に通ってるとね、それはそれで鬱憤が溜まんのよ」
「でも――」
「それで、どうして今更ボクらに依頼しようと思ったんだい」
なおも僕が食って掛かろうとすると、本務がそれを遮った。
「声が聞こえたのが最近だったのよ。……望んでもない子供を産まされて、その子に恨まれて付きまとわれるなんて御免だわ。……だから、さっさとお祓いなりなんなりして、あの子を成仏させてちょうだい」
「なるほどね、了解した。聞きたいことは以上だ。ご足労感謝するよ」
「頼んだわよ」
高知さんは来た時とは違い、落ち着き払った口調でそう告げると、理科準備室を出て行った。本当なら送ったほうが良いのだろうけど、彼女に対する嫌悪感と、赤の他人にそんな感情を抱いてしまう自己嫌悪で気持ち悪くなってしまった僕は動けなかった。動きたくなかった。
「キミも飲むといい。心が落ち着くよ」
そんな僕を心配してくれたのか、突っ立ったままボウッとしている僕に、本務はカップを渡して椅子を勧めてくる。
大人しく座ったはいいものの、ハーブティーを飲む気になれなかった僕は、柔らかな湯気が立つカップを両手で包んだままその温もりを奪うだけだった。
見かねたのか、本務が話しかけてくる。
「そんなにショックだったのかい?」
「……当たり前だろ。なんていうか、その、同じくらいの歳の子が、そんなことをしていたって」
「……これはキミにも話していなかったのだけどね。実は、もう一つ興味深い事件があってね」
「それが、どうしたんだよ」
「彼女にはその事も聞くつもりだったんだ。けれど、赤ん坊の話をする彼女を見て確信した。それを聞いても何も話さないだろうと」
僕には本務が何を言いたいのか分からなかった。顔を上げて彼女を見たけれど、本務は微笑むばかりで、その表情の奥にある意図を読み取ることは出来ない。
本務は微笑んだまま、口を開く。
「さあ、今日はもう帰りたまえ。それから、彼女のSNSをよく調べてみるんだ。きっとどこかに答えが隠されている」
「?……わかった」
言われるがままに帰ることにした僕は、不思議と胸のあたりにあった気持ち悪さが消えているのに気づく。手の中を見れば、もうほとんど湯気の立っていないカモミールティーがそこにはあった。
捨てるのも勿体ないので、それを飲み干すと、口の中に清涼感が広がる。そして、口の中に残っていた不快感も消してくれたのだった。




