第8話
私は、書き進める文字に疲れを感じて、ペンを置いた。少し、喉が渇いた。ゆっくりと席を立つと、一階の台所へと降りて行き、冷えたお茶をコップに注ぎ、それを一気に飲み干した。妻と別れたこの家は自分には広すぎる。だけど、ここから出ようなんてことは一度も思ったことがなかった。祖母がこの台所に立っていたのは、もう17、8年前のことだった。
私達は、結婚式をあげず、身内へのお披露目だけを行った。祖母はまだ、会話ができるくらいに元気だった。
「お婆ちゃん、今日は皆んな集まってくれて嬉しいね」
この頃、まだ痴呆の症状はなかったと思えていたが、今からすると気付かなかっただけなのかもしれない。その言葉には元気がなかったことを記憶している。
祖母が倒れたのも、それから数年も経たないうちのことだった。
「少し、呆けてきてるのかな?言葉がかみ合わないし、時々、イラッとしてるみたい」
2度目の結婚の後には、息子とかがいない祖母は仕方なく、施設に預けられ、その経過を見守られた。
娘達が、結婚して家を離れ、祖父と二人暮らす様はもしかして、寂しさがあったのだろうか。ただ、それを私の前では見せることはなかった。
祖母にはとても可愛がられた記憶がある。娘達ばかりの中、前夫との娘、長女だった私の母が男の子、私を生み、弟が生まれる前には長い間、私は祖母に預けられた。山口は自然が多く、街中に流れる川も澄んでいた。女の子のように色白だった私が、母の元に帰った時には、色黒の男の子そのものだったらしい。それだけ、土建の仕事についてまわって、自然の中で育てられて、今の自分がいるのだ。優しいイメージ、守られている感覚は今も残っている。
その祖母が今は小さく、ここにいたのだ。それから、身体を壊し、旅立った時には、気を遣ったのだろうか。誰もが少し身体を休めに家に帰った時間を狙ってかのようだった。
祖母は可愛かった。今となっては、この祖母が物語の中のように強く生きてきた人とは思えなかった。前夫との息子、私の叔父がこのような書物を残していなけば、ここに書いている事は決して、語られる事はなかったのである。
私は、その面影をこの台所で感じながら、祖母も好きだった冷えたビールを冷蔵庫から取り出し、二階へと上がるのだった。叔父の遺した小説を傍らに置いて、自分が語れる集大成を書き留めるために。
私はここ10年ほどだが、仕事の関係もあって、中国、大連開発区での仕事を手にしていた。日本の本社から出向いて、子会社を立ち上げに微力ながら、力を注いだのである。ここ10年で中国も変わった。足の踏み場もなく、ゴミの散らかり放題だった街中も清掃の叔母さん達も減り、綺麗になっていった。日本では、衛生的な店にしか入れない僕も中国では勝手が違う。気にしていたら、食べる事さえ出来ない。そんな環境も変わりつつある。
大連は比較的、日本に有効的な人が多いのだろうか。数年前、日本叩きが中国全土であった時にも、私は街中を一人で歩いていた。よく日本でも報道されるのは、日本に対する暴動の数々である。しかし、政治と経済とは私が思うには、近くて遠い感じが此処にいれば、いるほど思えてくる。
そんな感じを抱かせた話が数年前にもあった。