表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/25

第6話

金廠溝事件(きんしょうこうじけん)は、それでも少なくはない日本への不満が重なって、1936年のその年、ソ連との国境付近で起こった事件である。満州国軍隊の一部が日本の将校、数名を殺害し、ソ連国内へと亡命したのである。


あちらこちらで、日本との共存も模索する一方、多くの満州民族は自分たちの地であるとの考えを持った小規模な抵抗を示していた。


1年もの間、靖と王杰は家族の元を離れて、お互いに切磋琢磨しながら、時には助け合い、時には熱く語る友でいた。そんな二人が帰省できたのは、1937年の旧正月のことである。二人が、足を踏み入れたのは、世の中の争いも何もかも忘れたような、爆竹の音がそこら中で鳴り響く、中国伝統の田舎の風景だった。


「お兄ちゃん、お帰り」

君子と母、おとめはそれぞれに幼児を背負って、万頭をこの日ばかりはと沢山、こしらえていた。

「二人とも、大きゅうなったきに」

おとめは、疲れたその横顔に精一杯の笑顔を浮かべて、二人を迎えた。


「叔母さん、お久しぶりです」

「万頭、一杯こしらえたきに、家族さ、持って帰ってあげて」

おとめは、大きくなった王杰にも変わらない接し方をしていた。

謝謝(ありがとう)、幾つか貰って帰ります。靖、しっかり家族と中国の正月を楽しんでくれ、じゃあ」

「王杰、家族に宜しくな」

王杰は、おとめから沢山の万頭を持たせてもらうと、そのまま、家族の元に帰っていった。


「今年も賑やかだな、また、しばらく寝れそうもないや」

そう言って、久し振りの我が家に休まる気持ちを感じるのであった。


そうやって、10日も過ぎれば、靖たちにまた、炭鉱に戻る日がやってきた。この間、靖は君子に変わって、弟たちと一緒に遊び、よく面倒を見た。母の少し疲れた顔を気にしながら、それでも、自分が父、重蔵に変わって、この家族を守っていかなければという、思いを一段と強めたのであった。

「母さん、少ないけど、これだけ蓄えてるから、美味しいもん、ちゃんと食べて、元気にな。君子、大変やけど、みんなのこと、頼むけんな」

「兄ちゃんも風邪ひかんと、身体大事にしーや」

靖はニコッと君子に兄貴らしい頼もしさをみせた。


しかし、時間になっても王杰は現れなかった。炭鉱に戻る日付も時間もお互いに確認しあっていたのに…

「時間ないな、君子、もし兄ちゃんが行った後に、王杰が来ることがあったら、先に行って待ってるって伝えといてくれ」

「わかった。気をつけーね」

靖はそう君子に言い残した後、鉄道に乗って、炭鉱の町に一人で帰っていくのであった。



王杰は、その頃、街からはかなり離れた集会が行われている場所に立っていた。

「我々は、満州人であり、この地の住民だ。我々に近いのは、中華民国の民か、それとも、土足で入り込み、土地を取り上げてきた日本人か、もう一度、その胸に聞いてほしい」

若者の間でも、こういった反日の感情があちこちで起こっていたのである。王杰、また一部の間には日本人にいくらか、情を寄せる者もいた。

が、時は後戻り出来そうにない、その歴史をさらに過酷にしていくのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ