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第4話

1932年、日本人の多くの移民先といえば、ブラジルであったが、世界恐慌以後、徐々にその入国を制限されるようになっていった。そんな中で、3月1日、関東軍は清王朝最後の皇帝、溥儀を擁立し、満州国の建国を高らかに宣言したのである。それ以降、移民先といえば、満州国になっていくのである。


満蒙開拓団と称された、その移民団は渡航前に、農業研修や軍事的な訓練を受けるのが常であった。もちろん、重蔵たちにも、それは課せられた。

だが、まだ見ぬ土地への希望と軍部国家による宣伝が良く、多くの志願する人たちが後を絶たなかったのである。


重蔵とその一家が移民としてたどり着いたのは、満州国首都、長春(その当時は、新京と改名している)より東に位置していた、吉林省吉林より少しだけ離れた片田舎であった。

しかし、その土地というのは日本政府が地元農民を強制的に集団部落に移住させ、満州拓殖公社が安価で手に入れた見窄らしい土地であった。


「こんな場所で何ができる?」

多くの日本人たちはそう思ったそうだ。また、中国人、韓国人達からはほぼ強制といった形で土地を取り立てていたので、多くの場所で抗日運動の的にされたのである。

それは、満州国の治安が改善されるまで続いていった。


だが、日本人の多くは負けなかったのである。元々の性格だろうか。どんな逆境に置かれても、お互いに助け合い、共に生き抜こうとするその思いは、他に類がなかった。1936年には2万人の家族移住者、1938年から1942年までの間には、20万人もの農業に従事する青年達を送り込んでいるのである。重蔵達はその先駆者としていた。


満州国は学校教育で日本語教育も必修とし、中国、満族や、朝鮮族の子供達もこの開拓団地域では、日本語に触れることは珍しくはなかった。次第にこの他国においても日本語が通ずるようになっていくのである。


「お前達は、僕たちの土地を奪った泥棒だ」

王杰(ワン・ジエ)は、日本語も堪能な少年だった。敵国の言葉を習うというのは、どうしても我慢できるものではなかったが、この言葉を発したい、日本人を罵倒したいが故に習った結果である。

靖と同じ年のこの子は、いつも靖たちに喰ってかかった。


「日本人はそんなことしない。ここだって満州、君達の国じゃないか?日本人が占領してるわけじゃないじゃないか」

靖は、妹の君子を自分の後ろに隠し、怪我をさせまいと気遣っていた。

「それに君の家族だって、ここで働かないと、食べていけるのか?そうじゃないだろう」

この頃の土地を追われた満族たちの一部は小作人として、日本人と同じ土地を耕し、その作の一部で暮らしていたのである。日本人も自分達だけでは、この土地を管理できずにいた。


日本人、中国人の間には大きなわだかまりがあった。だがこの時代、どこに平和な土地があろうか。子供達はまだ、この先にある悍しいほどの舞台が自分等に降りかかろうとは思ってもいなかった。


1934年(昭和9年)、靖、王杰、14歳。

君子、12歳のことである。


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