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第3話

私の祖母、君子が生まれたのは、大正11年(西暦1922年)7月15日のことである。

エジプト王国がイギリスから独立宣言し、国内においては、大日本帝国がシベリア撤退を決めた年でもあった。

君子の生まれた、山口県も例外ではなく、大正8年(西暦1919年)8月10日には、山口歩兵第42連隊がシベリア出兵していたのである。3年が経過していた。

世の中は近代化が進みつつも、庶民の生活は、まだまだその恩恵は得ていない混沌とした時代だった。


君子は、両親、重蔵とおとめの長女として生まれた。2年前には、兄である(やすし)も生まれていて、家は裕福ではなかったが、百姓として、近所の皆が助け合って生きていた。

「今日はぶち、えらかったそ」(今日は本当にしんどかったね)

「それいね、けんど、とめさんとこも娘さ生まれたし、頑張らんと。大きな田んぼだどもね」

(そうだよね、だけど、おとめさんとこも娘が生まれたし、頑張らないと。大きな田んぼだから。)


そう、周りは温かい環境だった。


二人は、すくすくと育っていった。近所でも仲が良いと評判な兄妹だった。

ただ、性格は違っていた。靖は小さな頃から、大将肌で友達たちを従えさせていて、君子はどちらかというと、人の後ろに隠れて付いて行くという控えめな女の子であった。

そんな二人に転機が訪れたのは、靖が10歳、君子が8歳の時である。


「ここで、こげんことしてても、わしら、生きていけん。とめ、今、お偉いさんたちが、募集しちょる、満州っちゅう土地さ行って、新しゅう始めんか?あっちなら、国が補助してくれるって言っちょるし、どないや?」

1931年、満州事変に事を発した国を挙げての移民政策に乗っかろうというのである。その2年前に起きた、世界恐慌にて、こんな地方の百姓も少なからず、損害を被っていたのである。近所の農家も続けてゆけんと次々と土地を手放していった。

「けんど、見知らぬ土地さー、こげん子供も小さいし、どげんかなるね」(けれど、見知らぬ土地だから、こんなにも子供も小さいのに、どうにかなるかね?)

おとめは、そんな事を言っても、一度こうと決めた重蔵が止めても聞かない事は百も承知だった。


「大事なことじゃけー忘れちゃ、つまらんよ」(大事なことだから忘れちゃ、いけないよ)

靖は、君子と二人、その両親の会話を寝床で聞いていた。君子の様子が気になっていた。

「そねーに、はぶてんないや」(そんなに、すねるなよ)

君子は、お父さんの話を、あまりよくは解っていなかったが、この故郷を離れる話であろうということは、ちゃんと理解していた。

「どこにおっても、家族は家族じゃ。離れてはおえん」(離れては駄目だ)

靖はそう言って反対を向き、一枚しかない布団を深く被った。


それから、半年もせぬうちに、新しい命をお腹に抱えたおとめを労りながら、家族揃って、大型船に乗り込むのである。


年号もすでに変わっていた昭和7年(1932年)の春先のことであった。


満州国独立というその最中に飛び込んでいったのである。日本国内では、良い噂にて移民への気持ちを煽っていたが、実際の様子はそれとは、かけ離れていた。家族はさらなる過酷な生活に身を置いていくのである。

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