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第8話 文通

「ダイレクトメールとかチラシとか、毎日多いよね……。え?」

 いつもの習慣で、帰宅時に門の横に設置されている郵便受けを内側から開けて、中身を取り出した美幸は、学校の指定鞄を肘にかけて両手で簡単に内容を確認したが、すぐにその動きを止めた。そしてそれが、新たな騒動の始まりだった。


「ただいま。郵便受けに郵便物が届いてたから、持ってきたわ」

 美幸がリビングに顔を出すと、美子と美恵がそれぞれ娘を伴って談笑している所であり、相手が機嫌が良さそうなのを見て安堵しながら声をかけた。

「ありがとう、美幸」

「それで、美子姉さんと美実姉さんに、小早川さんから手紙が届いてるんだけど……」

 そう言いながら、美幸が届いた郵便物の束を美子に差し出すと、伸ばした手が一瞬動きを止めてから、何事も無かったかの様に受け取る。


「あら、そうなの。じゃあ美実宛ての物は、直接渡してくれる? 部屋に居るから」

「分かったわ」

 素早く確認して美実宛ての封書を抜き出した美子が、それを美幸に差し出した為、彼女はおとなしく受け取ってリビングを出て行った。そして美樹の不思議そうな視線と、安曇を抱えながら強張った表情になっている美恵の前で、美子は戸棚の引き出しから鋏を取り出し、自分宛ての淳からの封書の端を切って中身を取り出す。


「ふぅん?」

「……姉さん?」

 早速便箋に目を通した美子が、一通り目を通してからうっすらと笑った為、それ以上の沈黙に耐えられなかった美恵は恐る恐る声をかけてみた。すると美子が、便箋を元通り畳んで封筒にしまいながら、短く感想を述べる。


「なかなか面白いわね」

「手紙の内容が?」

「それもだけど……。電話とメールがシャットアウトされたら、てっきり他人の迷惑も顧みずに連日押し掛けるか、秀明さんに泣きつくかと思ったのにこうくるとは、正直予想していなかったのよ」

 そう言ってクスクスと小さく笑い出した美子に、美恵はかなり疑わしげな視線を向けた。


「仮に泣きついたとして、あの義兄さんが、どうこうしてくれると思うの?」

「友人の誼で、口を利く位の事はするかと思ってたけど……。良く考えてみたら、あの人がそんなに甘いわけ無かったわね。小早川さんもなまじ友人付き合いが長いだけ、そこら辺を熟知していたと言う事かしら? 私もまだまだ、考えが甘かったと言う事ね」

 さり気なく自分の夫に対して酷い事を言いながら、美子がソファーから立ち上がってドアに向かって歩き出した為、美恵は益々怪訝な顔になりながら声をかけた。


「姉さん、どこに行くの?」

「用事ができたから、ちょっと部屋に行ってるわ。少ししたら、夕飯の準備を始めるから」

「よしきも、いくー!」

 振り返って答えた美子に美樹がトコトコ歩み寄り、親子でリビングを出て行くのを眺めた美恵の顔は、この時点で完全に不安に彩られていた。


「美実姉さん、入るわよ?」

「美幸、お帰りなさい。どうかしたの?」

 そしてリビングから美実の部屋に直行した美幸は、怪訝な顔をする姉に向かって、淳からの封書を差し出した。


「小早川さんから手紙が届いたの。はい、これ」

「え?」

 机の前に座ったまま当惑して固まっている美実に苛ついた様に、美幸は遠慮無く机に歩み寄り、その上に封筒を置いて強い口調で念を押した。


「渡したからね? ちゃんと読んであげてよ? 問答無用で破り捨てたりしないでね?」

「それ位、礼儀でしょう? 分かってるわよ。何度も念押ししないで頂戴」

「本当によ? それじゃあね」

「……しつこいから」

 美幸が出て行くのを憮然としながら見送ってから、美実は机に向き直って問題の封筒を見下ろした。白一色の、しっかりした作りのそれを暫く凝視した美実は、困惑しながら開封してみる。


(手紙なんて……、淳から貰うのは初めてよね? これまでずっと、電話かメールでやり取りしてたし)

 そして表書き通り、便箋にも手書きでびっしりと字が書き連ねてあるのを見て、美実は本気で驚きながら感心した。


(うわ、自筆だわ。中は打ち出したものかと思ったのに……。ちょっと新鮮かも。サイン位は見たことあるけど、ある程度纏まった文章を書いたのを見たのは初めてだもの)

 そして次に、冷静に中身を観察し始める。


(男の人ってもう少し字が汚いかと思ってたけど、意外に整ってるじゃない。でも、ここら辺が癖字っぽいから、この文字はもう少し左右に広げれば、バランスが良くなると思うんだけどなぁ)

 そんな見た目を判断しながら、書いてある内容に目を通し始めた。きちんと挨拶から始まって、体調を心配する言葉になり、加えて諸々の謝罪と自分の美実に対する気持ちを切々と訴えてくる文面を見て、自然と美実の顔が緩んでくる。


(だけど、初めて知ったわ。耳で聞くのより書いた物を見る方が、数倍恥ずかしいかも。一体これを、どんな顔をして書いたのよ……)

 僅かに照れながら、それでも律儀に読み進めた美実は、軽く八つ当たりめいた事まで考えた。


(でも、淳の事だから、案外平気で書いたのかしら? それはそれで、ちょっと悔しいんだけど)

 そう思いつつも決して悪い気持ちはせず、美実は夕食までの一時を、笑顔のままそれを何度も読み返して過ごしたのだった。


 そして夕食の時間帯になり、多忙な男性陣はまだ帰宅せず、女ばかりで食堂のテーブルを囲んで世間話をしながら食べていたところで、ふと美恵が思い出した様に言い出した。


「そうだわ。日中、康太から連絡があって、五日後に帰国するそうなの」

 それを聞いた美子が、少し驚いた様に確認を入れる。

「あら、聞いていた予定より、早かったわね。マンションに荷物を置いたら、すぐこっちに来るの?」

「……マンションに寄らずに、成田から直行するかも」

 多少言いにくそうに美恵が口にすると、美子がおかしそうに笑った。


「生後二ヶ月近く経過してからの安曇ちゃんとの初対面だし、待ちきれないのかもね。無関心より良いし、可愛い所があるじゃない」

「姉さん……」

「嫌味を言ってる訳じゃないし、本当にどっちでも良いわよ? ちゃんと安曇ちゃんの世話ができる様に、必要な諸々を谷垣さんに叩き込んでから、ここを出て行って貰うつもりだしね。そうじゃないと、こっちが安心できないわ」

「お世話になります」

 ひたすら頭を下げるしかない美恵は、神妙な物言いで頼み込んだ。それに鷹揚に頷いて見せてから、美子は隣に座る美樹に声をかける。


「美樹、康太叔父さんが来たら、ちゃんとご挨拶してね?」

「こーた?」

 子供用の椅子に座りながら、きょとんとした顔になった娘に、美子は分かり易く言い直した。

「くまさんよ。前に遊んで貰ったでしょう?」

 すると美樹は、途端に激烈な反応を示す。


「くま!? くまさん、くる?」

「ええ」

「やったー! くま~、くま~、うぇるか~む!」

「美樹、座ったまま踊っちゃ駄目よ? 椅子ごと倒れたりして危ないわ」

「は~い!」

 上機嫌になって、腕と全身を左右に揺らし始めた美樹を宥めながら、美子は満足そうに頷く。


「でも、ちょうど良かったわ。美樹の二歳の誕生祝いの日に来て貰えば、何度もご馳走を作らなくて済むものね」

 そんな母娘の様子を見ながら、妹達は何とも言えない顔で囁き合った。


「美樹ちゃんの中で、『くまさん』が定着しちゃったわね。無理ないけど」

「アマゾンの奥地探検に出発する前に挨拶に来て、八ヶ月ぶりだし……。名前を覚えてるのは、さすがに無理よね。妙に懐いちゃってるけど」

「第一印象って大事だよね。現代版美女と野獣、そのままだもの」

「姉さんと言い、あんた達と言い……。本当に失礼よね」

 そこで美恵が呻いた為、不穏な気配を一掃しようとしたのか、美野がやや強引に話題を変えてきた。


「ところで、美実姉さん。小早川さんから美実姉さんに手紙が来たって、美幸から聞いたけど、どんな内容だったの?」

「どんなって……」

 急に話を振られて当惑した美実だったが、美恵も先程の怒りを消して、ニヤニヤしながら会話に加わってくる。


「私も興味あるわぁ。あの小早川さんが、どんな顔してどんな手紙を書いたのかと思うと、想像しただけで笑っちゃう」

「美恵姉さんまで……。笑い事じゃないんだけど?」

「あら、十分笑い事よね?」

 完全に面白がられて美実が密かに苛立っていると、ここで唐突に美樹の声が割り込んだ。


「ママ、おてがみ、かいたね~」

「え?」

「ええ。明日出すわ」

 他の者が当惑する中、美子が平然と口にした内容を聞いて、美恵が若干顔色を変えながら確認を入れた。


「ちょっと待って、姉さん。誰に何の手紙を書いたの?」

「小早川さんから頂いた手紙のお返事に決まってるでしょう? 何を言ってるのよ」

「お返事って……」

 当然の如く言い換えされて絶句した美恵を無視して、美子は挨拶をしてから立ち上がった。


「ごちそうさまでした。さあ、片付けるわよ?」

「ごちそーです! よしきも、おてつだい!」

「ありがとう。じゃあ、お願いね?」

「うん!」

 そして美樹を持ち上げて椅子から下ろし、軽いお椀を持たせると、美子は自分と美樹の食器を纏めて、隣の台所へと運んで行った。その姿がドアの向こうに消えた途端、美恵が焦った表情で美実を問い質す。


「美実! 返事は書いたの!?」

「え? 返事って、何の?」

「決まってるでしょう! 小早川さんの手紙に対する返事よ!」

 しかし、それに対する美実の反応は鈍かった。


「でも……、その、別れた相手から送りつけられた手紙に、わざわざ返事を書くのって、おかしくない?」

「おかしくてもおかしくなくても、構わないから書きなさい!」

「どうして?」

「だって、姉さんが書いてるのよ? あんただって、姉さんが本気で怒った時の容赦の無さは、知ってるでしょうが!?」

「それは知ってるけど……」

 思わず口ごもった美実に、美恵が益々語気強く迫る。


「姉さんがどんな内容を書いたのかは分からないけど、下手したら小早川さんの心をバッキリ折ったり、傷口に塩を塗るどころか、ざっくり抉る内容かもしれないわ」

「美恵姉さん、ちょっと待って。少し冷静に」

「万が一そうだったら、取り返しがつかないわよ? 小早川さんが、再起不能になりかねないじゃない! 幾ら別れたと言っても、前途有望な小早川さんの将来を、潰して良いと思ってるの?」

「そんな大袈裟な。幾ら何でも」

「絶対、そうならないと言い切れる?」

「…………」

 真剣そのものの表情と口調での美恵の主張を、美実は否定できずに黙り込んだ。するとここまで黙って聞いていた妹達も、神妙な口調で言い出す。


「うん……、ここは一つ、どんな内容でも書くべきだと思う」

「美実姉さん、なるべく穏やかな表現で、感謝の気持ちを書きましょう?」

「ええと、でも……」

「まだ何か文句でもあるの?」

 躊躇する美実を美恵が鋭く睨み付けたが、美実は申し訳無さそうに、とある事情を口にした。


「そうじゃないけど……、私、レターセットとか持って無くて。仕事でのやり取りも友達との連絡もメールで済んでるから、わざわざ手紙とか書かないし。葉書だったらあるけど、それで良いと思う?」

 そんな事を真顔で言われてしまった美恵は、一瞬唖然としてから美実を叱りつけた。


「礼状位、手書きで出しなさいよ! 無地で白だったら、幾らでもあげるから!」

「えっと……、季節に応じたレターセットは揃えてるから、食事が終わったら部屋に持って行くわ」

「可愛いのだったら幾らでもあるから、任せて!」

「……うん、ありがたく頂きます。明日書いて出すから」

 美恵の剣幕に、若干引きながら美実は頷いたが、更に叱り付けられる羽目になった。


「この期に及んで、何を惚けた事を言ってるの! 姉さんはもう書いてるのよ? 朝一番で出しに行ったらどうするの! 美幸。明日登校するときに、ついでに投函して」

「了解」

「美実! 今夜中に書いて、明日の朝には美幸に渡すのよ?」

「分かりました……」

 取り敢えずおとなしく頷き、皆で食事を済ませて片付けを手伝った後、自室で押し付けられたレターセットの中から一組を選んだ美実は、机に向かって頭を抱える事になった。


(そうは言っても……。いつもメールや電話のやり取りだったから、淳に改まって手紙を書くなんて初めてだし、何か気恥ずかしいんだけど。何をどう書こうかしら)

 そんな風に真剣に悩んでいると、ドアを叩く音と共に、小さな声が聞こえた。


「みーちゃん?」

「美樹ちゃん、どうしたの?」

 慌てて立ち上がった美実がドアを開けてしゃがみ込み、姪と目線を合わせると、彼女は真顔で言い出した。


「あっちゃん、おてがみ?」

「『あっちゃん』って、淳の事よね?」

「うん」

「えっと……、今、淳に手紙を書いてるけど……」

 今一つ、美樹が言いたい事が分からないまま口にしてみると、美樹が手に持っていた物を美実に向かって差し出した。


「はい」

「え? ひょっとして、淳への手紙にって事?」

「うん」

 相変わらず真顔で頷く美樹を見て、美実は折り畳まれた紙を受け取りながら、困惑を深めた。


「それは構わないけど……。何? 折り紙?」

「おてがみ。あっちゃんに。ママ、かいたの」

「美子姉さんが、一緒に入れてくれなかったの?」

「ぺったん」

「ああ……、書いたら、封をしちゃってたのね……」

 美恵の夫の谷垣とは異なり、これまでに何度も顔を出し、しっかり顔と名前を一致させていたらしい淳に、美樹が何やら伝えたい事があるらしいと分かった美実は、笑顔になって請け負った。


「分かったわ。私の手紙に、一緒に入れるから」

「おねがい。おやすみです!」

「おやすみなさい」

 互いに笑顔で挨拶してドアの前で別れてから、美実は再び机に戻って、何気なく白い折り紙を開いてみた。


「お手紙って、一体何を……」

 そして開いた途端目に飛び込んできた色彩と、その裏側の白い面に大きく黒のサインペンで書かれた、かなり歪んで何とか判別可能なひらがなの並びに、美実は無言で固まった。


《あつちやん がんば!》


 文字だけ読めば、子供なりの精一杯の気遣いの文面を、美実は少しの間凝視してから、深い溜め息を吐いた。

「激励してるのは何とか分かるし、二歳前の子供にしたらかなり上手に書けているけど……。せめてこの折り紙の色、何とかならなかったのかしら? もっと朱色に近い色とか、明るい紅白帽に使う感じの赤とか。よりにもよってこんな暗い、黒に近い呪われそうな赤なんて……」

 ある意味、毒々しいとも言えるそのチョイスに、美実は本気で頭を抱えた。


「美子姉さんが、美樹ちゃんに百色セットの折り紙を買ってあげたのは知ってるけど……。子供が使うのに、何もこういう毒々しい色を、入れなくても良いのに。これってどうなのかしら?」

 しかしさすがに本人から直に頼まれた物を、途中で握り潰す様な真似はできなかった美実は、それを使う予定の封筒に入る形に折り直しながら、自分自身に言い聞かせる。


「でも、美樹ちゃんなりに一生懸命書いたんだし、ちゃんと入れてあげないと。そうなると、これをフォローする言葉も、入れないといけないわね。本当に、何をどう書けば良いかしら」

 そうしてさんざん悩んで時間をかけながらも、何とか返事を書き上げた美実は、翌朝それを美幸に手渡し、美子からの返事と共に投函して貰う事ができたのだった。



 藤宮家で、そんな小さな騒動が勃発した三日後。淳は職場で、傍目には冷静に自分の仕事をこなしていた。

(さてと。取り敢えず持参する資料は纏めたし、訴状の用意も完璧。あとは申し入れた時間通りに、先方に出向くだけだな)

 そして出発予定まで、まだ少し時間がある事を確認した淳は、机に座ったまま物思いにふける。


(しかし……、結構恥ずかしい思いをしながら、書いた甲斐はあったな。正直、真面目に返事をくれるとは、思って無かったんだが……)

 美実からの返事の内容を思い返した淳は、無意識に表情を緩めた。


(サインしてるのは何回か見た事があるから、なんとなく丸文字っぽい字を書くかと思っていたが、文章を書くと普通に綺麗じゃないか。美子さんは書道の有段者だし、確か五段だったか? そっち方面には五月蠅いのかもしれないが)

 そこまで思い出した淳は、一気に表情を暗くして項垂れた。


(美子さんと言えば……、やっぱり秀明と似合いの鬼だな、あの人。誠心誠意書いた文章を、容赦なく添削して送り返してくれて。そりゃあ、美子さんと比べたら癖字で読みにくいし、文学的表現にも乏しいだろうが、あそこまで重箱の隅をつつくような突っ込みを、全面赤ペンで書き込まなくても……。これで誤字脱字でもあったなら、どんなに貶された事やら)

 そこで何とか気分を浮上させようと、淳は上着の内ポケットから手帳を取り出し、そこに挟み込んでおいた折り紙を見下ろして、無言のまま涙ぐんだ。


(しかし……、あの性根が腐りきって、良心が複雑骨折してる秀明と、外見はおっとり奥様風なのに、中身は頑固一徹な美子さんとの間に、美樹ちゃんの様な素直で優しい子が生まれたのは、もう殆ど奇跡……)

 そんな事を考えてから淳は再び手帳を閉じ、両目を閉じながら切実に祈る。


(どうかこのまま成長してくれ、美樹ちゃん。君は、俺の心のオアシスだ)

「……よし、時間だな」

 再び目を開けて現在時刻を確認した時、淳は既にいつもの顔に戻っていた。そして迷いなく鞄を手にして立ち上がり、自分の直属の上司である、民事部門統括部長である梶原の机に歩み寄って声をかける。


「それでは部長。これから三笠コーポレーションに出向きます」

「ああ。宜しく頼む」

「お任せ下さい。依頼人の主張をしっかり伝えてきます。公判に持ち込んでも、必ず勝ちますので」

 落ち着き払って上司とやり取りをし、颯爽と事務所を出て行った淳だったが、そんな彼を壁際の、コーヒーサーバーが置いてある休憩スペースで観察していた面々は、顔を見合わせてひそひそと囁き合った。


「やっぱり、最近おかしいですよね、小早川さん」

「明らかに変だよな? 突然ニヤニヤしたかと思えば、いきなり暗くなって」

「かと思えば、手帳を覗き込んで、涙ぐんでるんだぜ? どう見ても、情緒不安定だろ」

「だけど、普段はまともに仕事してるのよね。今週も一つ結審して、ばっちり成功報酬をゲットしたし」

「と言う事で、森口さん。さり気なく小早川さんの、近況を聞き出してみて下さい。気になって仕方がないんです」

「何で俺が、そんな事をしなくちゃならないんだ?」

 いきなり自分にお鉢が回ってきた事に、森口は珈琲を片手に持ちながら渋い顔をしたが、周りは容赦なかった。


「だって私達、単なるパラリーガルや司法書士や税理士な上、年下や後輩ですから」

「悩みを打ち明けるなら、どう考えても同じ弁護士で年長者である、同じ部署の先輩の森口さんが適任ですよね?」

 真っ向から正論を繰り出されて、森口は反論できなかった上、ここ最近気になっていた事でもあり、不承不承頷いた。


「全く……。分かった。取り敢えず聞いてはみるが、お前達は下手に騒ぎ立てるなよ? それにプライベートに関わる事だろうから、安易に漏らせない内容だったら、お前達には教えないからな?」

「分かりました」

「勿論です」

「取り敢えず小早川先輩の相談に乗って、解決できそうなら、アドバイスしてあげて下さい」

 真顔で頷いた面々を見て、興味本位で騒いでいる訳では無い事に安堵しつつも、森口は面倒な事になったものだと、深い溜め息を吐いたのだった。


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