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第5話 動揺

 藤宮家の当主である昌典は、帰宅時に玄関で孫娘が出迎えてくれた為、泊まりがけの出張の疲れも忘れて、満面の笑顔になった。


「おじーちゃん! おかえり!」

「ああ、美樹。ただいま。ちょっと見ない間に、また大きくなったな」

「うん!」

 相好を崩しながら美樹を両手で持ち上げた昌典を見て、既に夕飯を済ませて出迎えた美子と秀明が、苦笑しながら声をかける。


「たかだか三日会わなかった位で、大きくなったも何も無いでしょう」

「お帰りなさい、お義父さん」

「ああ、美子、秀明。留守中、何か変わった事は無かったか?」

「それは……」

 美子達が咄嗟に顔を見合わせ、どう話を持って行こうかと口ごもった隙に、美樹が空中に持ち上げられながら、上機嫌で報告した。


「おじーちゃん! あかちゃん!」

「はぁ? 美子、二人目か?」

 慌てて昌典が美樹を床に下ろしながら視線を向けてきた為、美子は慌てて説明しようとした。


「違うわ、そうじゃなくて」

「みーちゃん、あかちゃん! よしき、おねーちゃん!」

「どういう事だ?」

「美樹……」

 にこにこと美樹が報告した内容を聞いた途端、昌典は僅かに表情を険しくし、秀明は思わず片手で顔を覆った。


「お父さん、話は夕食を済ませてから」

「食べる前に話を聞く。居間に美実を連れて来なさい」

「……はい」

 何とか取りなそうとした美子だったが、昌典はそのまま居間に向かった為、秀明はその後に付き従い、美子は美実を部屋まで迎えに行った。


「お帰りなさい、お父さん」

「そこに座れ」

 自分を呼びに来た美子から、一応説明を受けていたものの、居間に入って明らかに不機嫌そうな父親を見て、美実は溜め息を吐きたくなるのを堪えた。そして手で示されるまま、美実は昌典の向かい側のソファーに座り、彼女の隣に美子が、昌典の隣に秀明が座った所で、尋問が始まる。


「俺に話す事があるな?」

「ええ。昨日の話なんだけど……」

 ここに来るまで完全に腹を括っていた美実は、前日の騒動の一部始終を淀みなく説明し、自分の主張で話を締めくくった。


「……そういうわけで、淳と別れて子供を産んで育てる事にしたから」

 しかし話が進むにつれて徐々に憤怒の形相になりながらも、黙って話を聞いていた昌典の怒りが、ここでとうとう爆発した。


「ふざけるな!! この大馬鹿者がっ!!」

「……っ!」

「お父さん、少し冷静になって頂戴」

 かつて無い程の怒鳴り声と共に、破壊するのではないかと思われる程の勢いでローテーブルを拳で叩いた昌典を見て、美実は真っ青になって身体を強張らせ、美子は冷静に父親に声をかけた。するとその物言いが気に障ったのか、昌典の怒りの矛先が美子へと向かう。


「美子、お前もお前だ! 何を悠長に構えているんだ! しかも小早川君を叩き出すとは! ここは叱りつけてでも、きちんと結婚させるべきだろうが!」

 しかしその腹立たしげな訴えにも、美子は落ち着き払って言い返した。


「結婚は本人同士の意志ですべきでしょう? 美実が納得できていないものをごり押ししても、上手くいかないと思うわ」

「しかしだな、生まれてくる子供の事を考えると」

「そしてその子が大きくなったら『本当は結婚したくなかったけど、あなたの為を思って仕方無く結婚したのよ』って言わせるの?」

「……それは極論だろうが」

 思わず憮然とした顔付きになった昌典だったが、そんな父に向かって、美子は淡々と話を続けた。


「美実がどうしても産みたくないって言うなら、早めに堕ろす選択肢もあるけど、どうしても母体に負担がかかるから勧められないし。だけど今の所、美実は産むつもりだから、それを認める代わりに、何かあった時は私と秀明さんの養子にするわ」

「ちょっと待ってよ! 養子って何? 私、ちゃんと育てるわよ?」

 姉の提案を聞いて、美実は慌てて会話に割り込んだが、美子は父から妹に視線を向けてから、幾分冷たい口調で言い捨てた。


「何を甘い事を言ってるの。女手一つで育てるなんて、生半可な事じゃ務まらないのよ? 今のところ仕事はあるけど、物書きなんて書けない売れないなんて事になったら忽ち干上がるし、何の保証も無い職業じゃないの」

「それは! 確かにそうかもしれないけど!」

「それに将来、あなたが結婚を考える相手ができたとして、その人が子連れで結婚するのを嫌がったらどうするの?」

「そんな事は……。結婚とか、そういう事は……」

 それ以上反論できずに俯いて口ごもった美実だったが、美子は構わずに再度主張を繰り出した。


「あなたがどうしても産みたいって言うのなら止めないし、できるだけ力になるつもりだけど、これからどうしようもない事態になる事が、起こらないとは限らないもの。だから万が一あなたの手に負えなくなったら、私達夫婦が責任を取ると言っているだけよ」

「俺達が二人でそういう話をしているのを、美樹が聞いて先程の発言になったと思われます。配慮不足でした。申し訳ありません」

 そこで秀明が補足説明して昌典に頭を下げると、彼は表情を怒りから苦笑に一転させて、義理の息子を宥めた。


「秀明、お前が謝る事ではない。一歳児が理解できる話だとは俺にも思えん。美樹が年相応の子より口が達者で、頭の回転が早いだけだ」

「今、さり気なくジジ馬鹿ぶりをさらけ出しましたね?」

「ここに家族以外は居ないからな。問題あるまい」

 そんな風に男二人で和やかな会話を交わしてから、秀明は真顔になって美実に向き直り、落ち着いた声音で言い聞かせてきた。


「だけど美実ちゃん。美子が言っている事は正論だ。俺の母も未婚の母だったからね。俺が認識してる範囲でも相当苦労していたし、実際はそれ以上だった筈だ。だから本音を言えば、一人で産んで欲しくないんだが」

「お義兄さん……」

 義兄の生い立ちの詳細までは知らないまでも、おおよその所は知り得ていた美実は、さすがに言い返せずに黙り込んだ。それを見た秀明が、若干困った様に笑いかける。


「でも、やっぱりお腹の子供は俺の友人の子供でもあるから安易に堕ろしたりして欲しくないし、かと言って美実ちゃんに不本意な結婚もして欲しくない。これからもう少し、お互いに冷静に話し合って貰いたいんだが、それでも問題が生じた時は俺達で責任を取るから、安心して産んで良いから。余計な心配を増やすと、身体に悪いからね」

 彼にしては優しく声をかけると、慌てて美実が反論しようとする。


「そんな! お義兄さん達が責任を取る必要なんて!」

「本来は無いわね。産むと言う権利を行使するなら、それに付随する義務と責任を果たすのはあなたの役目よ。せめて産むまでの間に、それをしっかり認識しなさいと言っているだけだわ」

「…………」

 しかしバッサリと美子に切り捨てられ、美実は思わず黙り込み、居間に気まずい沈黙が漂う。すると突然、その空気に似合わない、明るい声が割り込んだ。


「みーちゃん! おふろ、は~い~ろ~!」

 ドアを押し開けて入ってきた美樹が、迷わず自分の所まで来て、くいくいと手を引っ張った為、美実は面食らった。


「え? 美樹ちゃん?」

「やくそく! ね~! お~ふ~ろ~!」

「え、ええ……。でも……」

 約束などした覚えなど無かったが、ここは話を合わせるべきかと、美実は恐る恐る父親の顔色を窺った。すると昌典は、顔をしかめながらもこの場を離れる事を許可する。


「もう行って良いぞ」

「はい……、失礼します」

「おじーちゃん、おやすみです!」

「ああ、おやすみ」

 神妙に頭を下げた美実の横で、美樹がにこにこしながら挨拶すると、さすがに憮然としたままの顔はできなかったのか、昌典の顔が僅かに緩んだ。その隙に美実はソファーから立ち上がり、美樹の手を引いて居間から抜け出した。


「美樹ちゃん。お風呂の約束、してないよね?」

 廊下を歩きながら尋ねてみると、美樹が真剣な表情で見上げながら言ってきた。


「うん。えーちゃんが、『さーしゅーけーき、とーぬー』だって」

「え? 何それ?」

「えっと、『ほーべん』で、うそ、いいって! ほーべんさん、すご~」

 美樹が口にした内容を、美実は僅かに眉を寄せて脳内変換し、すぐに正確な所を理解した。と同時に、美樹の背丈であれば、まだ居間のドアノブにまで手が届かない筈であり、誰かが廊下からドアを開けてやらないと彼女が一人で入って来れる筈が無かった事に気が付き、更に自分達が廊下に出た時に誰も居なかった事で、二重の気遣いを感じた。


「ええと……、つまり『最終兵器投入』で『嘘も方便』って事ね。美恵姉さん……、美子姉さんにバレたら、後から怒られるわよ?」

 思わず小さく笑ってしまうと、美樹が少し困った様にお伺いを立ててくる。

「みーちゃん。やっぱり、ダメ?」

 そこで心配そうに尋ねてきた姪を安心させるべく、美実は笑顔で首を振ってみせた。


「ううん、これから一緒にお風呂に入ったら、嘘じゃないから大丈夫よ?」

「うん。お~ふ~ろ~! じゃぶじゃぶ~!」

 彼女の言葉を聞いて安心した美樹は、途端に機嫌良く風呂場に向かって歩き出した。

 一方で、美実達が出て行った直後の居間では、昌典が美子に対して溜め息を吐いてから苦言を呈した。


「美子……、お前の気持ちは分かるし全く同感だが、あまりきつく言うな」

「怒鳴りつけていたのは、お父さんじゃないの。……どうせ私は、ガミガミばばぁよ」

 父親の言葉に美子は不快そうに目を細め、面白くなさそうにそっぽを向いた。しかしそれを見た秀明が、笑いを堪える様な口調で言い出す。


「拗ねるな、美子。可愛過ぎて、また惚れ直すだろうが」

「秀明、こんな時にのろけるな」

「茶化すのは止めて頂戴」

 義父からは呆れ気味の、妻からは冷たい視線を向けられた秀明だったが、そこでいつもの表情になって昌典に申し出た。


「話を戻しますが、俺としてはやはり、二人にきちんと結婚して貰うのが最良だと思います。ですが先程言った様に最悪の場合でも、美実ちゃんと子供の事は俺達できちんと面倒を見ますので、安心して下さい」

 そう請け負った秀明に、昌典は自然に頭を下げた。


「そうか……。本当にすまん、秀明」

「お義父さん、頭を上げて下さい。俺にとっても美実ちゃんは可愛い義妹ですから、それ位当然です」

「お父さん、少ししてから食堂に来て。お夕飯を出しておくわ」

 そんな二人の会話を無視して唐突に立ち上がり、自分の言いたい事だけ言って台所に向かった美子を見送った昌典は、思わず溜め息を吐いた。


「美子の奴、相当へそを曲げているらしいな」

 それに秀明が、困った様に頷く。

「はい。淳本人が美実ちゃんの事をちゃんと理解していなかった事に加えて、実家の家族に言いたい放題言われた事で、完全に態度を硬化させまして。昨夜から、何度かやんわりと諭してみたのですが、全く聞く耳持ちません」

「本当に……、しなくても良い苦労をかけるな」

 頭痛を堪える様な表情になった義父を、秀明が冷静に宥める。


「気にしないで下さい。それよりも美子の攻略と懐柔が、二人が結婚する為の最重要課題だと思われます」

「確かにそうだな……。小早川君がこれ以上、美子を怒らせない事を祈ろう」

「なるべく俺も、フォローできる所はしていきますので。美恵ちゃん達にも頼んでおきます」

「そうだな。よろしく頼む。食べたら深美にも頼んでおこう」

 そこで亡き義母の名前を聞いた秀明は、放っておくと昌典は仏壇の前で徹夜するかもしれないと懸念し、区切りの良い所で声をかけないと駄目だろうなと、密かに考えを巡らせた。


 予想外の誘いを受けたお風呂で、美樹と楽しく一時を過ごした美実だったが、風呂から上がって美樹を秀明に引き渡し、自室に一人きりになった途端、気分が下降するのを止められなかった。

「相変わらず美子姉さんって、普段おっとりしている感じなのに、叱る時は容赦ないんだから」

 布団に潜り込みながらぶつぶつと文句を口にした美実だったが、美子の主張を全面的に認めるだけの、冷静さは持ち合わせていた。


「義務と責任なんて……。分かってるわよ、そんな事位。子供じゃないんだから……」

 弁解する様に呟いた美実は、自分が泣きそうになっている事に気が付き、それ以上余計な事を考えない様にするため、頭から布団を被って寝る事にした。

 そんな風にすっきりしない気分で過ごしていた美実だったが、一方の淳も状況は大して変わらなかった。


「それではこの訴訟に関しては、今回確認した内容で進めさせて頂きます」

「早速、東京高裁に出向いて、手続きを執り行いますので」

「先生方、宜しくお願いします」

 事務所内で民事部門経済事案班に所属している淳は、その日、同僚と二人で依頼を受けた企業に出向き、担当役員と打ち合わせを済ませたが、途端に相手方の傲慢な物言いが癪に障った。


「いやぁ、この手の訴訟に詳しいそちらに引き受けて頂けたのなら、あんな恩知らずなど蹴散らすのは容易いでしょうな!」

「全くです。施設も資材も会社の物を使い放題で開発した特許ですから、権利は全て会社に帰属するのが当然でしょうに、勘違いした馬鹿野が」

「あんな恩知らずに、退職金を満額払っただけでも忌々しいぞ」

「はっ! 今回の控訴で裁判費用に全部むしり取られるだけですよ。技術開発では有能だったかもしれませんが、金勘定はからきしですね」

「当然だ。俺達が開発費用をどれだけ苦労してかき集めたと思ってる。資金を枯渇する様なリスクも冒さずに、気ままに研究だけしていた物の道理を弁えない馬鹿に、目に物見せてやる。後から泣きを入れても遅いぞ」

 そんな事を言い合いながら高笑いしている面々を、淳も同席している森口も表情を変えずに帰り支度をしていたが、ここで淳が机の向こう側に並んでいる彼等に向かって、穏やかに声をかけた。


「申し訳ありません。最後に一言言わせて貰っても、宜しいでしょうか?」

「はい、先生。何か?」

「小早川? お前、何を……」

 役員も森口も怪訝な表情で淳に目を向けると、彼は淡々とした口調で言ってのけた。


「率直に申し上げますと、ここまで揉める事になったのは、そもそも社員に対する貴社の対応に、著しく問題があった為だと思われます」

「何だと?」

「おい、小早川!」

 明らかに依頼側を非難する内容に、周りの者達は顔色を変えたが、淳だけは表情を変えないまま冷静に言葉を継いだ。


「確かに在職中に開発した特許に関する権利が、全て開発者に帰すると考えるのは暴論ですが、個人の貢献度を全く考えずに全て企業に帰すると言う考え方も、現在の社会通念上あり得ません。ここまでこじれる前に、例えばストックオプション制度などを導入して、企業の業績に応じた利益を得られる様にして、社員のモチベーションを高める努力をしても良かったのではないかと」

「貴様は弁護士だろうが!? 企業の経営方針にまで口を挟む気か!」

 そう怒鳴りつけられた淳は、ここでわざとらしく驚いてみせる。


「滅相もありません。ただ今回、こんな膨大な請求金額の訴訟を元社員に起こされた本当の意味を、きちんとご理解して頂けているのかと愚考しまして」

「本当の意味?」

 怪訝な顔で問いかけてきた役員に向かって、淳は軽く頷いてから話を続けた。


「科学特許分野の貢献度など、第三者が断定する事など不可能に近いでしょう。それに加えて、あちらが50%を主張しているのに、こちらは1%の評価しか下しておらず、差が大きすぎます」

「当然だ!」

「ですが、それを今現在、貴社に所属している社員達が目にしたらどう思うでしょう? それにこの場合、どう考えても裁判所から和解案が提示されます。正直に申しますと、10~25%が妥当な線でしょうか?」

「……だったら何だと言うんだ」

 不満げに睨み付ける相手にも臆さず、淳は冷静に指摘した。


「このまま貴社に骨を埋めたくないと言う人間や、一方的に搾取されていたと逆恨みする人間が出てくるのではないかと。こういう方法もあると、今回先方が身を持って実践し、前例ができてしまいましたから。ですからこれは、金額云々が問題ではなく、社内に残っている同僚や後輩への、先方なりのアピールとも取れるかと」

「…………」

 これから生じるかもしれないその懸念を想像したのか、先程まで威勢の良かった面々が揃って黙り込んだ。それに止めを刺す如く、先程までとは打って変わった笑顔になった淳が、如何にも楽しげに言ってのける。


「ですが、訴訟になればなるほど私達の仕事が増えますから、これ以上口を挟むつもりはありません。寧ろ揉めて下さった方が、こちらとしては仕事が増えて願ったり叶ったりですので」

「なっ!」

「貴様っ!」

 そんな明らかに嫌味と分かる物言いに、役員達は一瞬ポカンとしてから忽ち顔を怒りで赤く染めたが、彼等が何か言う前に森口が左手で鞄を、右手で淳の腕を掴んで立ち上がり、非礼で無い程度に一礼する。


「それでは失礼します。速やかに手続きを行いますので」

「失礼します」

 そして有無を言わさずに会議室から引きずり出された淳は、押し黙った森口と共に依頼先の社屋ビルを出たが、公道に出た途端、盛大に叱りつけられた。

「おい! あれは一体、何の真似だ!? クライアントに楯突くなんて、いつも冷静なお前らしく無いぞ?」

 その叱責に、明らかに自分の非を認めていた淳は、素直に頭を下げた。


「すみません、森口さん。あの高笑いを聞いていたら、無性に腹が立ちまして」

「まあ……、確かにな。これまでにもあれだけ調停の場を設けたのに、全部向こうの主張を受け入れずに一蹴してたし。気持ちは分かるが、これで抗議が来て、担当を外されるかもしれないぞ?」

「ご迷惑おかけしたら、申し訳ありません」

「俺が聞きたいのは謝罪の言葉じゃなくて、最近お前が冷静さを欠いている理由だ。何かあったのか? 先週末辺りから、苛ついてるだろ?」

 渋面になっていきなり核心を突いてきた、先輩でもある彼に、淳は俯きがちになりながら神妙に問いかけた。


「……分かりますか?」

 それに森口が、溜め息混じりに応じる。

「ちょっとおかしい、と感じる位にはな。俺はお前とセクションが同じだし、机も近いし。他の奴が気付いているかどうかまでは分からん。今のところ、事務所内で噂にはなって無いぞ?」

「そうですか……」

「それで?」

 すかさず聞いてきた森口に、淳は再び深く頭を下げる。

「すみません、一応プライベートなので……」

 すると森口は、予想外にあっさりと引いた。


「分かった。これ以上聞かないが、仕事に支障をきたす真似だけはするな。それと仕事中はそれに徹しろ。こんな新人に対して注意する様な内容、二度と俺に口にさせるなよ?」

「はい、勿論です」

 尤もな忠告に反論できる筈もなく、淳は神妙に頷いた。そこで森口が、思い出した様に付け足す。


「そう言えばこの前、そろそろ結婚するって言ってたよな? それなら余計に、腑抜けてる場合じゃ無いだろうが」

「……肝に銘じておきます」

 一瞬反応が遅れたものの、淳は傍目には冷静に応じたが、それなりの付き合いがある森口は、彼が結婚云々を耳にした瞬間、僅かに顔を強張らせたのを素早く見て取った。


(うん? こいつに限ってまさかとは思うが、何か結婚に関してトラブってるのか?)

 そんな疑念を覚えた森口だったが、明らかにプライベートに関する事である為、それ以上無闇に追及したりはせず、淳はそんな森口の察しの良さに、密かに感謝したのだった。


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