表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/43

第4話 性格の不一致

「……でも姉さんの言う通り、そういう価値観の違いって、大抵のカップルには多かれ少なかれあるものよ? 姉さん夫婦が特殊なだけだから」

「それは確かに、そうだと思うけど……」

 再び聞こえて来た美恵と美実の会話は、それなりに冷静に聞こえる物だった。


「それを当人同士で話し合って一つずつ解決したり、折り合いを付けていくのが、夫婦って物なんじゃないの? あんたの考えは極端過ぎるわ」

「でも、結婚するとなったら、本人同士だけの話じゃ済まないじゃない?」

 そんな問題提起をしてきた美実に、既婚者の立場から美恵も素直に同意する。


「まあ……、それはそうね。でも幸い、私は康太の実家とは、それなりに上手くやっていると思うし」

「そうなの? 家事が得意じゃないのに?」

 その何気ない口調での質問に、美恵は若干嫌そうな口調で答えた。


「……一言余計よ。それに初対面の時に、堂々と宣言したもの。『家事は苦手で家の事は満足にできないかもしれませんが、生活費は自力で稼ぎます』って。そうしたら『康太が風来坊で申し訳ない。宜しくお願いします』って頭を下げられたわ。一応心配したけど、案ずるより産むが易しってあの事よね」

「冒険家なんてやってるから、相当家族に心配されてたみたいね……」

 そんな事をしみじみとした口調で美実が呟くと、美恵が淡々と話を続ける。


「それは分かってたし。それで『康太の好物の、茶碗蒸しの作り方を教えて下さい』ってお願いして、そこに滞在中ずっと特訓して貰ったの。本当にそれだけして、変に会話が途切れたり気まずい思いをする事も無かったから、精神的には楽だったわ。『何か料理について聞きたい事があったら、いつでも聞いて』って言われて、その時にお義母さんと電話番号とメルアドの交換もしたし」

「そうなんだ……」

「何? どうかしたの?」

 ここで妹が、何やら急に暗い顔付きになった事に気が付いた美恵が声をかけると、美実がかなり迷う素振りを見せてから、ぼそぼそと言い出した。


「実は……。私、去年の冬……、淳の実家に連れて行かれたの」

「え? ちょっと待って、何それ? 私、全然聞いてないけど!? 姉さんが私に言わなかっただけ?」

 寝耳に水の話を聞かされた美恵は、家を出ていた自分には言っていなかっただけかと、慌てて確認を入れたが、美実は首を振った。


「ううん。だって美子姉さんを含めて、この事は、今まで誰にも行ってないし……」

「どういう事?」

 益々訳が分からなくなったらしい、困惑した美恵の声が室内に響いたが、それを聞いた美子と秀明は、揃って無言で淳に視線を向けた。そして嫌な予感を覚えた淳が冷や汗を流し始める中、美実の打ち明け話が続く。


「その事、事前に淳から聞いて無かったの。ただ一緒に、二泊三日でスキーに行くつもりで……」

「それなら覚えてるわ。久し振りに帰って来たら、お父さんの機嫌がもの凄く悪かったもの。それで?」

 あの時かと納得しながら美恵が続きを促すと、美実が徐々に涙声になりながら話を続けた。


「スキー場に隣接したホテルにチェックインしたら、ちょっと出かけるからって淳が言い出して。どこに行くのかなって、思ってたらっ……、ちょっと離れた温泉街に入って、そしたら……、旅館……、実家っ……」

「はぁ!? あんたまさか、小早川さんの実家が近くにあるって、その時まで全く知らなかったわけ?」

 段々消え入りそうになりながらの美実の話を聞いた美恵は、本気で驚いた声を上げた。と同時に、美子と秀明の、淳に向ける視線も若干険しい物になる。


「うんっ……、だって、淳は……、『家業も継がないで好き勝手してる放蕩息子って、家族全員呆れてるからな』って言って、殆ど話してくれなかったし……。旅館を経営してる事は知ってたけど、名前も場所も知らなかったし。知ってたら……、せっかく近くなんだから、実家に顔を出すか、売上に貢献する為に泊まろうって言ったものっ……」

「…………」

 そこまで言ってぐすぐすとすすり泣きを始めた音声が伝わってきた為、更に美子の顔付きが険しくなった。そして美恵と秀明が頭を抱える中、状況は悪化の一途を辿った。


「それで? そこで、何かあったのよね?」

「……うん」

 そこで何とか気持ちを落ち着けたらしい美実が、当時を思い出しながら話を続ける。


「いきなり玄関から入った淳が、『近くまで来たから、親父とお袋に顔を見せに来た』って言って、それでそこが淳の実家って分かって。慌てて挨拶しようとしたら、緊張して思いっきり舌を噛んじゃっ……、淳を含めた皆に、大笑いされっ……」

「いやっ、それは、ちょっと驚かせようかなって軽い気持ちで。それに本当にちょっとだけ、顔を見せるつもり」

「静かに」

「…………」

 美実の泣き声を聞いて、淳は焦った様に弁解してきたが、それを美子が静かに、しかし鋭く制止した。そして再び、室内にレコーダーの音声のみが響く。


「……ああ、うん。それは慌てるわよね。それで?」

 美恵が宥めながら話を促すと、美実がしゃくりあげながら説明を続けた。


「つ、付き合ってる人の、実家訪問……。それまでっ、色々っ……、考えっ……、うぇぇっ!」

「うん、そうだよね? 普通、色々考えるわよね?」

「ちゃ、ちゃんと……、スーツとか、しっかりした……、好感持たれ……、格好っ……」

「スキーに行くとしか聞いてなかったから、思いっきりカジュアルだったのよね? それは全面的に、あんたのせいじゃないから。気にしないの」

「…………」

 優しく宥める美恵の声と美実の完全な泣き声に、先程のやり取りの一部始終を覚えている美恵は座卓に突っ伏して姉から視線を逸らし、その美子はもはや冷え切った視線を淳に向けた。


「それに……、厳選した、手土産の一つも持っ……、ちゃんとっ、ご、ご挨拶をっ……、ふえぇぇっ!」

「ちょっと! そんな事位で、泣かないの! ちょっと初体面で失敗した位で!」

 精一杯宥めようとした美恵だったが、美実は益々興奮状態になって泣き叫んだ。


「そ、それにっ! 淳の実家の人、私が淳の交際相手って分かって、凄く嫌そうだったしっ! 結婚するとなったら、否応無しにお互いの家族と行き来しないといけないじゃない! だから淳と結婚なんか、無理なんだもの!!」

「それは……、確かに結婚するとなったら、お互いの家族の好悪の感情って無視できないとは思うけど、気にし過ぎじゃないの? 正式に顔を合わせたわけでも無いんだし」

「だって! しっかり聞いたんだもの!!」

「聞いたって、何を?」

 何気なく尋ねた美恵だったが、そこで何故か美実はピタッと泣き止み、恐る恐る確認を入れてくる。 


「その……、美恵姉さん」

「急に改まってどうしたのよ?」

「これから話す事は、美子姉さんには内緒にしてくれる? 絶対、激怒するから」

「…………」

 その台詞を聞いた美子は無言で美恵を凝視したが、美恵は座卓に突っ伏したまま姉と視線を合わせなかった。


「うん……、姉さんの耳に入れたら、相当拙そうだって事は、あんたのその表情で分かるわ。私だって好き好んで物騒なネタを振り撒くつもりは無いから、安心して。取り敢えず言ってみなさい」

「分かったわ」

 そして美実が、緊迫感溢れる口調で話し出す。


「それでその時、旅館の奥のプライベートスペースに通されて、お父さんを相手に淳と三人で暫く話をしてたの。それでお手洗いを借りる為に、中座したんだけど、その時通りかかった部屋の中で、お母さんとお姉さんが話をしていて……。それが廊下まで聞こえてて……」

「なんて言ってたの?」

「……本当に、美子姉さんには内緒にしてくれる?」

「くどいわね。私が信用できないわけ?」

「そういうわけじゃないけど……」

 まだ少し気が進まない感じの美実だったが、美恵が苛ついた声を出した為、重い口を開いた。


「その時……、『こんなに近くまで来たのに、わざわざホテルを取るなんて、今時の子は古臭いのは嫌いと見えるわね』とか、『大体、恋人の実家に顔を出すのに、手土産の一つも持参しないなんて、常識知らずも良いところよ』とか、『まともに挨拶もできないし、普段敬語なんかも使って無いんでしょうね』とか、『淳も馬鹿よね。若いだけが取り柄の、頭が軽そうな子に引っかかるなんて。淳を家の経営に携わらせ無くて正解。あんな子に女将業なんて務まるはず無いもの』とか、『淳から前にチラッと電話で聞いた事があるけど、あの子の母親は長患いした後、亡くなってるそうよ。だから親からまともな躾とかされていないだけよ。まあ、可哀想と言えば可哀想じゃない。大目に見てあげたら?』とか、美子姉さんが聞いたら『妹を馬鹿にしただけでは飽き足らず、母まで侮辱する気!?』って間違いなく激怒して、旅館に放火しかねない話を」

「ちょっと待って、姉さん! お願いだから落ち着いて!!」

 美子が腕を伸ばした気配を察知した美恵が顔を上げると、姉が無表情で座卓に並べていた包丁の一つを掴んだ所だった為、美恵は悲鳴じみた声を上げて美子の腕に組み付いた。そして向かい側の男二人が動揺して僅かに腰を浮かせる中、姉妹での怒鳴り合いに突入する。


「離しなさい、美恵!! その諸悪の根元の馬鹿男の頸動脈を、後腐れ無く切り裂いてやるわっ!!」

「気持ちは分かるけど、少しは冷静になって! 姉さんが捕まったら、この家はどうするのよ! 殺るなら私が殺るわ!」

「何言ってるの! あなたが私以上に包丁が使えるわけ無いじゃない! その男に切りつける前に、自分の手を切るのがオチよ!」

「料理下手で悪かったわね! だけど姉さんが殺人犯になったら、美樹ちゃんはどうするの!?」

「あなたこそ、安曇ちゃんはどうするのよ! あんなあちこちフラフラ渡り歩いてる冒険家もどきに、安曇ちゃんをまともに育てられるわけ無いでしょうが!!」

「康太は冒険家もどきじゃなくて、れっきとした冒険家よっ!! それに、人の亭主を甲斐性無し呼ばわりするのは止めてくれない!? 第一、秀明義兄さんに美樹ちゃんを任せる方が、人間性と情操教育の面で、激しく問題があるに決まってるわ!!」

「そんな事は百も承知よ! だからこのろくでなしを殺した後は、秀明さんに死体を始末して貰って、何も無かった事にするわ!」

 そこで美恵はあっさり姉を押さえていた手を離し、真顔で言い出す。


「あ、それなら止めないわ。じゃあその三徳包丁より、やっぱり出刃包丁じゃない?」

「骨を切り落とす訳じゃないし。これが一番、手に馴染んでるのよ」

「それならやっぱりそれかしら? 押さえるのは手伝うわ」

 すこぶる真顔で交わされる女二人の会話の内容に、流石に淳は冷や汗を流しながら宥めようとしたが、立ち上がった秀明が彼の背後に回り込み、その襟首を掴んで引き上げた。


「ちょっと待っ、ぐはっ!」

「秀明さん?」

「お義兄さん?」

「秀明! いきなり何を」

 首が締まる形になった淳に構わず、秀明が問答無用で彼を廊下に引きずり出す。


「行くぞ」

「おいっ!!」

「二人とも、俺が戻るまでここから一歩も出るなよ?」

「…………」

 廊下に出ながら秀明が室内に目を向け、美子と美恵に釘を刺すと、美子は不満げに、美恵はどこか安堵しながらも無言で軽く頷いた。それを見てから、秀明は遠慮無しに淳を引き摺り始める。


「こら、離せ! 苦しいだろうが!!」

 少し歩いたところで、漸く淳が秀明の腕を掴み、自分のワイシャツから手を引き剥がして立ち上がった。そこで溜め息を吐いた秀明は、予め用意しておいた用紙を取り出し、彼に向かって差し出す。


「これ以上この家にお前がいたら、刃傷沙汰確実だから、今日のところは帰れ」

「あのな」

「双方の事情と主張と問題は粗方分かっただろうし、あとは明日以降仕切り直して、当人同士で何とかしろ」

「何とかって……。第一、どうして実家に行った時、聞いてないとか酷い事を言われたって、俺に言わないんだよ?」

「お前と美子、双方に気を遣ったんだろう? 美実ちゃんは美野ちゃんみたいに控え目で引っ込み思案とはまた違った意味で、何事も一歩引いて状況を冷静に考える質だからな。それ位、分かっていると思っていたが」

「…………」

 秀明が困り顔で口にした内容を聞いて、淳は押し黙った。すると秀明が再度言い聞かせる様に、メモ用紙を彼に押し付ける。


「悪い事は言わん。改めて出直せ。それから夜間救急診療をやっている所の住所と電話番号だ。頭だから一応念の為、診察して貰っておけ。今、タクシーを呼ぶ」

「……分かった」

 真顔で言い聞かされて、ここでこれ以上粘っても、状況が改善できないどころか悪化しそうだと認識した淳は、素直に頷いて用紙を受け取り、タクシーを手配する秀明と並んで歩きながら玄関へと向かった。

 そして十分程して座敷に戻って来た秀明に、美子がまだ幾分険しい視線を向けた。


「あなた。小早川さんは?」

「きちんと叩き出した。お前も少し、頭を冷やせ。腹を立てるのは分かるが、面と向かってお前やお義母さんの躾がなっていないと、言われた訳では無いしな」

「……美実の様子を見て来るわ」

 憮然として立ち上がり、部屋を出て行こうとした妻の背中に、秀明が声をかける。


「美恵ちゃんの立場もあるだろうし、さっきの美実ちゃんの話は、聞かなかった事にしておくんだぞ?」

「それ位、分かってます」

 振り向かないまま面白く無さそうに答えた美子は、そのまま座敷を出て行った。その姿が見えなくなってから、美恵は秀明に向かって両手を合わせる。


「フォロー、感謝」

「聞かれたくない内容は、消してから持ってくるべきだったな」

「近年、稀にみる失態だわ。睡眠不足が祟ってるわね」

 苦笑いした秀明に、美恵はうんざりとした表情で項垂れるのみだった。


「美実、ちょっと良い?」

「はい、どうぞ」

 美子がドアをノックして美実の部屋に入るなり、美野に声をかけた。

「美野、安曇ちゃんを美恵の所に連れて行ってくれない?」

「分かりました」

 余計な事は言わずに、安曇を慎重に抱えた美野が姿を消すと、カーペットに直に座っていた美実の前に、美子も正座した。


「美実。小早川さんは帰ったから」

「……うん」

 俯きながら小声で応じた美実に、美子は言いたい事が色々あったものの、ぐっと我慢して飲み込んだ。そしてできるだけ優しい口調を心掛けながら、彼女に言い聞かせる。


「取り敢えず、色々あって疲れたでしょうから、今日はもう休みなさい。それから、騒ぎになってご迷惑をおかけしたから、明日お詫びの品を持ってお店に行くわよ? 一緒に、頭を下げてあげるから」

「うん……、ごめんなさい……」

「謝る相手が違うわよ。本当に、仕方が無いわね」

  項垂れて涙声で謝罪の言葉を口にしてきた妹に、美子は(本当に困った子)と苦笑いしながら手を伸ばし、軽く頭を撫でてあげた。

 それから美実を着替えさせて、きちんとベッドに入ったのを確認してから美子が部屋を出ると、ドアの両脇に夫や妹達が勢揃いしていたのを見て、僅かに驚いた表情になった。しかし無言でドアを閉めた後、身振りで全員に少し離れた場所まで移動させてから、声を潜めて宣言する。


「皆が揃っているなんて、丁度良いわ。今後、小早川さんからの電話やメールは、全て着信拒否という事で。良いわね?」

 さも当然の事の様に言われた面々は、揃って渋い顔や動揺した顔になる。

「あのな、美子」

「姉さん、それはちょっと……」

「ママ?」

 その中でただ一人、きょとんとして見上げてきた美樹に、美子は笑いかけた。


「ごめんね、美樹。もういつもなら寝ている時間だものね。秀明さん、寝かし付けて貰えるかしら?」

「お前は? これから何か、する事があるのか?」

「ちょっと仏間に行って来るわ」

 怪訝な顔で問いかけた秀明だったが、美子が告げた理由を聞いて(お義母さんとの話は長くなりそうだな)と色々諦め、少し屈みながら娘に笑いかけた。


「……分かった。よし、美樹。今日はパパと一緒にお風呂に入ろうな?」

「うん! パパとお~ふ~ろ!」

 手を伸ばした秀明に抱き上げられ、上機嫌になった美樹を見てから、美子は一階に下りるべく歩き出した。そんな姉を見送った美恵が、安曇を抱きかかえながら確認を入れてくる。


「義兄さん……。お父さんが出張から帰ったら、今回の事を姉さんと義兄さんで報告してくれるのよね?」

 尋ねられた瞬間、秀明は僅かに顔を強張らせたが、溜め息を吐いて頷いてみせた。


「そうだな。立場上、当然だ。美恵ちゃん達はその時、部屋に引っ込んでいてくれて構わないから」

 それを聞いた美恵達は、揃って深々と頭を下げる。

「お願いします」

「すみません」

「頑張って下さい」

「……ああ」

 できる事ならお義父さんと入れ替わりに出張に行きたいなどと、埒もない事を考えながら、秀明はなるべく波風が立たない様な報告にするためにはどうしたら良いかと、一晩真剣に悩む羽目になった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ