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第38話 色々な思惑

 美子達の働きかけも虚しく、取りかかっている淳の仕事もケリがつく目処が立たないまま、あっと言う間に三月に突入し、淳の苛立ちは日を追うごとに増加していた。


「高梨さん、こちらの文書の清書をお願いします。それから三雲さん、このリストの全員と連絡を取って、スケジュール調整をして下さい。それと沼澤さん、この書き出した内容と類似する、過去の判例の検索をお願いします」

「分かりました」

「お預かりします」

「少々お待ち下さい」

 周囲のスタッフに矢継ぎ早に指示を出しながら、鬼気迫る形相でモニターの表示を勢い良くスクロールさせつつ、一心不乱に何かをノートに書きなぐっている淳を、事務所の者達はどこか心配そうに遠目で見やった。


「小早川先生、どうかしたんでしょうか?」

「最近、変ですよね?」

「何なんだろうな? 少し前までは幸せ一杯って顔をしてたのに、最近雰囲気が怖いぞ」

 そんな事を囁かれているなど気付きもせず、淳はひたすら目の前の事案に取り組んでいた。


(全く、よりによってどうしてこんな時期に、こんなに揉める案件に関わらなくちゃならないんだ!!)

 心の中で盛大な罵倒を吐き出した淳だったが、そこで周囲からの有形無形の圧力を受けた森口が、さり気なく声をかけてきた。


「どうした、小早川。随分苛ついているみたいだが、何かあったのか?」

「……プライベートで少々」

「そうか……」

 ノートを見下ろしながらも、一応手を止めてぼそりと呟いた淳に、森口は言葉少なに応じた。正直なところ(またかよ……)と呆れた彼だったが、それは感じさせずに明るく話しかける。


「それで、今度は誰を怒らせたんだ? 美実さん本人か? 夫婦喧嘩に関しては一家言を持っていると自負しているから、アドバイスできるならしてやるぞ?」

「どれだけ夫婦喧嘩をしてるんですか……。お心遣いは大変ありがたいのですが、喧嘩の類ではありませんので」

 溜め息を吐きながら丁重に断りを入れた淳に、森口は意外そうな顔つきになった。


「ふうん? でもまさかお前に限って、借金とかじゃあるまいな?」

「その心配も無用です、森口さん。ちょっと美実が軟禁されているだけですから」

「ああ、そうか軟禁……、って! 何だそれはっ!?」

 思わず素直に頷きかけて、慌てて自分の肩を掴みながら声を上擦らせた森口に、淳は僅かに困った顔を向けた。


「森口さん……」

 淳がさり気なく周囲に目線を向け、今の行為で室内の人間の視線を集めてしまったと認識した森口が、声を潜めて謝罪した。

「あ、ああ……、悪い。いや、しかしだな、穏やかでは無さ過ぎるだろ! 何なんだ軟禁って!」

 小声ながらも鋭く詰問してきた森口に、淳は冷静に答えた。


「もっと正確に言えば、ヒット本欲しさに、自主的に滞在しているとも言えますが」

「さっき聞いた内容との差が、著しいと感じるのは俺だけか?」

「森口さんは、『三田の妖怪』と言うフレーズを聞いた事はありますか?」

 唖然としたところで唐突に話題を変えられ、森口は困惑しながらも記憶を探ってみた。


「『三田の妖怪』? それって……、あれだろ? 加積康二郎の事だよな? 奴の息がかかってるスクエア法律事務所って、業界内でも超有名じゃないか。灰色を白にするどころか、真っ黒をえげつないやり口で白にしちまう、ろくでもない悪徳弁護士事務所で、腹黒くて後ろ暗い奴ら御用達だし。うちも何回か負けてるだろ?」

「その加積邸に軟禁されてます。彼女の姉夫婦が、解放するように妖怪夫婦と交渉中らしいですが」

 さらりと聞き捨てならない事を言われた瞬間、森口の顔が凍り付き、押し殺した声で淳に迫った。


「……お前、一体何をやった?」

「先んじて、こちらから何かをしてはいません。美実が軟禁されてからは、軽く喧嘩を売ってきましたが」

「だからお前、何をやらかしてるんだ!?」

 森口が思わず大声で叱りつけ、更に室内の視線を集めたが、淳は微動だにせずに淡々と状況説明をした。


「最悪、辞表を出すので、今手がけている事案をできるだけ進めて、滞りなく引き継ぎできるようにしておきます。なるべく他の皆さんに、ご迷惑をかけないようにしておきますので」

「おっ、お前な……。いや、喚いている場合じゃない。下手したらスクエア法律事務所が絡んでくる可能性が無きにしも非ずとなると、所長になるべく早く報告しておかないと……」

 思わず声を荒げかけた森口だったが、何とか思いとどまり、勢い良くその場から駆け去って行った。


「森口さん?」

「どうしたんですか!?」

 周囲の者達が驚いて、その背中に声をかける中、淳だけは冷静に、中断していた作業に再び取り組み始めた。そんな風に、色々な意味で淳は徐々に煮詰まっていたが、美実はすこぶる順調に、加積邸での日々を過ごしていた。


「おはようございます」

「おはよう」

「あ、美実ちゃん、おは~」

 朝起きて食堂に顔を出すと、屋敷内で生活している女性達が挨拶を返して来たが、それに美実は逆に驚いた。


「あれ? 楓さん、今日はお店が休みって言ってませんでした? それなのに、いつもより起きる時間が早いですよね?」

 クラブのオーナーママである楓は、皆が朝食を食べ終えてからゆっくり起きてくるのが常であり、席に着きながら尋ねてみると、彼女は堂々と主張してきた。


「休みだから、早く起きるんじゃない。時間は有効に使わなくちゃ。夜まで遊び倒すんだもの」

「あなたの場合、『夜まで』じゃなくて『夜も』でしょう? もうそんなに若く無いんだから、いい加減夜遊びも夜の商売も、足を洗いなさいよ」

「余計なお世話。それに還暦で現役ママをしている大先輩に、失礼だと思わないの?」

 年嵩の蓮が冷静に突っ込みを入れ、それに楓が盛大に言い返す様子を見て、美実は(相変わらずだわ)と苦笑いしながら、久しぶりに朝に顔を合わせた楓を宥めた。


「でも本当に、楓さんって三十代半ばだなんて見えませんよ。最初、私と何歳かしか違わないと思ってましたし」

「うん、正直で宜しい!」

「増長するから、この子に関しては、お世辞はほどほどにね」

「いえ、本心からそう思ってますが!」

 そこでこれ以上揉めては堪らないと、美実は慌てて使用人の女性に揃えて貰った箸を取り上げながら、話題を変えた。


「そういえば、加積さん達は、昨日からお出かけでしたね」

 すると蓮と楓は軽く目を見交わしてから、意味ありげに微笑む。

「ええ。夫婦で温泉旅行だそうよ」

「良いですよね。お年を召してからも、仲が良くて」

「そうね」

「二人揃って、面白い事が大好きですものね」

 蓮達は、加積達が淳の実家にちょっかいを出しに行ったのを知っていたが、美実には内緒だった為、すっとぼけた。そして広い食堂で三人で朝食を食べ始めて少ししてから、美実がさり気なく話題を出す。


「だけどこの間ずっと観察してましたけど、お二人って全然愛人らしく無いですよね? ちゃんと外でお仕事をしてますし。初めて紹介された時に、驚きました。てっきり加積さん達の娘さんかと思ったんですが」

 それを聞いた二人は、小さく噴き出してから口々に言い出した。


「確かに、世間一般のイメージとは、かけ離れている自覚はあるわ」

「私達、どっちかって言うと、康ちゃんより桜さんの意見の方を優先するしね」

「加積さんの事を『康ちゃん』呼ばわりするだけで、楓さんが勇者に見えます……。できれば加積さんとの馴れ初めとかを、差し支えなければ聞かせて頂きたいんですが……」

 そんな事を控え目に美実が言い出した為、蓮が意外そうに尋ねた。


「あら? ひょっとして、桜さんに聞かれたら拙いかもと思って、そこら辺を今まで聞いていなかったの?」

「はぁ……、一応」

「そんな事、気にする事無かったのに! だって桜さんが大いに関わってるし」

「どういう事ですか?」

 途端にケラケラ笑い出した楓に美実は驚いたが、楓はそのまま楽し気に話を続けた。


「それがさぁ、もう少し若かった時、一念発起して自分の店を持とうと思ったわけ。それで小金をかき集めた上に、借金して開店資金を揃えたんだけど、当時付き合ってたろくでなしが、その金を抱えてトンズラしちゃって」

「大変じゃないですか! 借金だって丸々残ってますよね!?」

「うん、借りたのもあまり良くない筋からだったから、取り立てが凄くて。押さえた店も人手に渡って、どうにもならなくなった所で、康ちゃんに特攻かけたわけ」

「……すみません。できればもう少し、具体的にお願いします」

 にこにこと笑っている相手に美実が懇願すると、蓮が食べる合間に素っ気なく解説を加えた。


「簡単に言うと『腐るほど、金持ってるんでしょ? 私の身体を好きにして良いから、店を持たせてよ』って事」

「ええと、主旨は分かりましたが、手段としては……」

 再び楓に視線を向けると、彼女は平然と話を続けた。


「とある料亭での滞在予定を耳にしたの。某お偉いさんとの会食の後は、そのまま宿泊ってチャンスじゃない。この屋敷には忍び込むなんて、どう考えても無理し」

「いえ、料亭でも忍び込むって、結構大変だと思いますが……」

「意外に簡単だったわよ? 日中に客として座敷に上がって食事して、ちゃんと会計を済ませてから『ちょっと庭が見たい』と断りを入れて、庭を見学するふりをしてこっそり上がり込んで、靴を持って夜まで押し入れに隠れたの」

「……バイタリティ溢れてますね」

「図々しいだけよ」

 思わず入った突っ込みを無視して、楓の思い出話は続いた。


「夜になってから押し入れから出たけど、部屋が分からなくてうろうろしているうちに仲居に見つかって、追いかけっこになって」

「計画性が皆無ね」

「だから余計な口を挟まないで!」

「楓さん、それでどうなったんですか?」

「それでね、一部乱闘になりつつ、何とかそれらしい部屋を見つけて飛び込んだのよ。そうしたら……」

「そうしたら?」

 急に不機嫌になって口を閉ざした相手に、美実が尋ねた瞬間、楓は一気にまくし立てた。


「布団の上に正座していた桜さんに、『根性のある子は好きよ?』ってコロコロ笑われたわ。当然康ちゃんの姿なんて、影も形も無し」

「はい?」

「要するに、桜さんがこの子の周りにガセネタ流して、からかって遊んでたのよ」

「……お疲れ様でした」

 蓮の解説を聞いて、美実は憐憫の眼差しを楓に向けた。するの彼女が憤然として続ける。


「ええ、本当にお疲れ様よ。あの時、本気でブチ切れたもの。『ちょっとババァ! 笑ってないで店を買い戻す額に加えて、慰謝料を色を付けて払いなさいよね!』って喚いたら、瞬時に黒服四人に囲まれたわ。……あ、今の話、万が一本に書く時は、私は悲劇のヒロインっぽく、脚色よろしく」

 にっこり笑って付け加えられた台詞を聞いて、美実は本気で驚いた。


「書いて良いんですか!?」

「何か、書いて拙い事ある? 私がこの屋敷在住なのは、知る人ぞ知る事だし」

「一応、加積さん達には聞いてみますが……」

 呆然としながら美実が呟いたが、次の蓮の台詞で再び驚きの声を上げた。


「美実さん。私は差し障りがあるから、身元はぼかして貰えると助かるんだけど。息子に迷惑をかけると悪いし」

「蓮さん、息子さんがいらっしゃるんですか!?」

「あら、聞いてなかった?」

「初耳です。それなら加積さんのお子さんですか?」

「まさか。学生時代に妊娠して産んだんだけど、卒業したら正式に結婚するって約束を反故にして、男が逃げたのよ」

「何ですかそれはっ!?」

 話の流れとその内容に、さすがに腹を立てた美実だったが、対する蓮は淡々と話を続けた。


「若気の至りって奴よ。でも顔も頭もそこそこ良かったから、遺伝子的には問題は無いだろうと思って、男を当てにしないで大学院に進みながら手元で育てたの。実家の親は跡取りとして育てるなら、金は出してやるって言ってくれたし」

「蓮さん……、それってどうなんでしょう?」

「そうしたら曲がりなりにも研究室で働くようになって、子供が六歳になった時、突然男がしゃしゃり出て来てね。『俺の所で育ててやる。ありがたく思え』と、こうよ? 実家は実家で『そろそろ本格的に育ててやるから、こっちによこせ』って言ってくるし」

 如何にも不愉快そうに蓮が口にした内容を聞いて、美実は思わず尋ねた。


「あの…、本格的に育てるって、実家は梨園とかですか?」

「いいえ、ヤクザなの」

「はい!?」

「男はそれなりに良い所のボンボンだったし、実家は今も昔も結構羽振りが良いし、一々突っぱねるのも面倒でね。実家に居た時に名前だけ耳にしていた加積氏に、ちょっと絡んで貰おうと思ったわけ」

 淡々と事情を説明した連だったが、この時点で美実は本気で頭を抱えた。


「……その話に、どう加積さんが絡んでくるんですか?」

「子供連れでこの屋敷の門の前に来て、『加積の息子を連れて来たから開けなさい』と言ったのよ」

「蓮さん! さっき息子さんは加積さんとは無関係って、言ったばかりじゃないですか!?」

 ほとんど悲鳴に近い声を上げた美実だったが、事の顛末を知り抜いている給仕役の使用人や楓は、気の毒そうな視線を彼女に向けた。


「勿論そうよ。だけど嘘も方便って言うじゃない。とにかく中に入れて貰ったら、どうにでも口先三寸で丸め込もうと思ったのに、雅史ったら人の計画を台無しにしてくれて……」

「あ、雅史って、蓮の息子の名前ね」

「その息子さんが、どうかしたんですか?」

 ここで常に冷静な連らしくなく、面白く無さそうな表情で眉間にしわを寄せた為、美実は思わず話の先を促した。すると、予想外の答えが返ってくる。


「夫婦の前で、開口一番『頭が良いけど常識が無い母と、お金はあるけど恥知らずな父親と、手駒はあるけど人望皆無な祖父のせいで、ご迷惑おかけします』と言って、真顔で頭を下げたのよ。もう二人揃って大爆笑。話にも何にもならなくて」

 そのままブツブツと何やら呟いてからご飯を口に運んだ連を見て、美実は感嘆と呆れが入り混じった声で感想を述べた。


「……子供の頃から色々、物の分かったお子さんだったんですね」

「本当に、雅史みたいな子供だったら欲しいわ~」

「あんたの毒牙にかかったりしたら堪らないから、高校から全寮制の進学校に入るのを許可したのよ」

「それでそのまま、アメリカの大学に行っちゃったの。お姉さんは悲しいわ~。今でも律儀に、手紙を送ってくれる良い子よ~」

「独り身のオバサンを、ちょっと心配してるだけよ」

 二人の漫才めいたやり取りに、思わず美実が頬を緩めていると、蓮が苦笑いで話を締めくくった。


「結果的に、それで親子纏めて気に入られて、男を追い払ったついでに転落人生に突き落として貰って、実家にも話を付けて貰ったわけ。さすがに大学の研究室には残れなくなったけど、パワハラセクハラにうんざりしてたし、それからはフリーで活動する事にしたのよ」

 それをきいた美実は、納得したように頷いた。


「思い切った進路変更ですよね。でも蓮さんの本名を聞いて、本当に驚きました。私でも名前を聞いた事がある、有名なカウンセラーですし」

「蓮の場合、カウンセリングなんて二次的産物なのよ。だって人の深層心理にざっくざっく切り込み入れて、弱みや恨みや怒りとか人間の一番脆くて汚い所を引きずり出して、散々舐め回す様に観察して分析した結果、お悩み解決の指針になっちゃうんだもの。本当に、歪んでるわよね。雅史があんなに素直で優しい子に育ったのは奇跡だわ」

「趣味と実益が両立しただけよ。他人にとやかく言われる筋合いはないわ」

 素っ気なく言い捨てた蓮だったが、ここでふと思い出したように言い出した。


「ところで、子供と父親云々で思い出したんだけど、美実さんの相手って、この現状について納得してるの?」

「あ、そうそう。私も聞きたかったのよね。生活時間帯が微妙にずれてるから、これまで落ち着いて話ができなかったし」

「え、ええと……」

 唐突に問われて美実は口ごもったが、興味津々の様子を見て曖昧に誤魔化されてくれる筈も無いと観念した彼女は、控え目に話し出した。


「ここでの滞在が決まったのが急だったので、その前に直接会って話はしていませんけど……。一応、姉に経緯を説明する録音の中に、淳に説明しておいて欲しい旨のメッセージを入れましたし、淳は普段から私の仕事に関しては結構理解があったので、あまり問題はないかと思うのですが……」

「ふうん?」

「へえ? そうなんだ~」

 それ以上否定も肯定もせず、無言で小首を傾げる蓮と面白そうに微笑んでいる楓を見て、美実は少々居心地悪い思いをする事になった。


(良いとか悪いとか、できれば言って欲しいんだけど。どういう反応をすれば良いのかしら? 何かいたたまれない)

 次に何を言われるかを、内心でびくびくしていると、少しして蓮が何事も無かったかのように会話を再開した。


「まあ、本人がそれで良いって言うなら、他人が口を挟む事じゃないしね。ちょっと聞いてみただけだから、気にしないで」

「はぁ……」

 曖昧に頷いた美実だったが、ここで蓮がさり気なく意見を述べた。


「でも桜さんから話を聞く限り、私の昔の男と比べたら、ちゃんと父親の責任は果たすつもりの人物らしいし、美実さんの事も随分理解してくれている人のようだから、あまり邪険にしない方が良いんじゃないかと思って」

「そうよね。あまりほったらかしてると、愛想尽かされて浮気するとか捨てられるとか」

「楓」

「あ、軽~い冗談だからね!」

「えっと……、はい。分かってますので」

 茶化す様に口を挟んだ楓を蓮が一睨みし、美実は慌てて頷いてみせた。

 それから三人は割と静かに食事を進め、綺麗に完食した美実は軽く頭を下げて挨拶した。


「ごちそうさまでした。それでは失礼します」

「ええ」

「それじゃあね」

 まだ暫く食堂に居座る気らしい二人に声をかけると、彼女達は笑って挨拶を返した。そして美実が部屋に戻るのを見送ってから、蓮が食後のお茶を優雅に飲みながら、軽く楓を嗜める。


「もう少し、時と場所と言葉を選んだら?」

 それに、まだダラダラと食べていた楓が、拗ねた様に言い返す。

「でも、間違った事は言ってないわよ? それにこれ以上被害が拡大したら、本当に拙いんじゃない? 康ちゃんが腰を上げちゃったのよ? マジで相手の実家が潰れたりしたら、関係修復も何もあったもんじゃないわ」

「それなら教えてあげたら? あの子が慌てて帰ったら、男も無暗に刃向かったりしないでしょう」

 さり気なく提案した蓮だったが、それを聞いた楓が渋面になった。


「だって緘口令出てるし。ここ居心地良いから、もう少し居たいもの。蓮こそどうなのよ?」

 正論を返された蓮だったが、彼女は全く動じる事なく、湯呑の中のお茶を見下ろしながらうっすらと笑う。

「……もう少し、観察したいわ。色々と」

「うっわ、本当に性格悪っ!」

 楓が本気で蓮の発言にうんざりしていた頃、与えられていた部屋に戻った美実は、早速仕事に取りかかっていた。


「う~ん、やっぱりこのエピソードは外せないし、この事件って真相が明らかになって無いんだよね。加積さんが『もう表沙汰にしても良いだろ』って言ってくれたし、こっちも入れたいのよね……。どうやって一冊に纏めようかしら……」

 これまで加積や桜を始め、加積の全面的な許可を得た上で、屋敷に出入りする人間にも恐れ気もなく突撃取材していた美実は、これまで集めた内容を整理しながら、贅沢な悩みを口にしていた。しかし、ふと食事の席で蓮に言われた内容が、頭の中をよぎる。


「加積さんの話を聞かせて貰う為に、ここに暫くお邪魔してるって言ったし、大丈夫よね。確かにちゃんと言わなかったのは悪かったけど、こんなチャンス滅多に無いもの。……お母さんに、少しは認めて貰いたいし」

 そんな事を呟いて手の動きを止めていた美実だったが、少ししてから再び無言で作業を続けていった。



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