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第28話 あちらもこちらもロック・オン

 自宅マンションの集合ポストから、縁に赤い線が入っている封筒を取り出した淳は、無意識に顔を引き攣らせた。

「また来たか……」

 取り合えずそれを手にしたまま部屋まで移動し、鞄を置いて椅子に座ってから、恐る恐る封を切って、慎重に中身を取り出す。そして折り畳まれた半紙を広げると、彼の目の前に存在感があり過ぎる×印が現れた。


「くっ……、本当に鬼だな、あの人。これまでの人生で、こんな立派な×印を連続で貰った事なんて、無かったってのに……」

 二枚とも机に広げて、これまでの人生の中で最大の敗北感と挫折感を味わっていた淳だったが、ここで彼のスマホが着信を知らせた。

「秀明?」

 相手が相手なだけに、何となく嫌な予感を覚えたものの、取り敢えず淳は電話に出てみる事にした。


「何だ? 秀明」

「今暇か?」

「ああ、ちょうど帰宅したところだ」

「そうか。それなら話があるんだが……」

「何だ?」

「……すまん、淳」

 微妙に言葉を濁したと思ったら、いきなり謝罪してきた秀明に、淳は当惑以上に不気味なものを感じた。


「お前がいきなり詫びを入れるなんて、気持ち悪いぞ。一体どうした」

「一応、先に言っておくが、美子に悪気は無いんだ。…………多分」

 如何にも取って付けた様な、自信なさげな声を聞いた淳は、益々気が滅入りながら話の続きを促す。

「あまり聞きたくないが、何の話だ。さっさと言え」

 相手の口調から、もうろくでもない予感しかしなかった淳だったが、不幸な事にそれは的中した。


「お前が美実ちゃんに贈ったクリスマスプレゼントが、美子の物になった」

「はぁ? まさかあの人、妹からプレゼントを取り上げたのか?」

 思わず非難する口調になった淳だったが、秀明が不機嫌そうに話を続けた。


「最後まで話を聞け。小野塚がお前の選んだプレゼントと全く同じ物を美実ちゃんに贈って、お前より先に渡してたんだ」

「え?」

「当然そっちを開けてしまっていたから、二つ同じ物を貰ったと判明した時に、偶々そこに居た美子が手付かずの方を貰ったそうだ。お前、絶対尾行が付いてるぞ。変な事はするなよ?」

「…………」

 詳細を聞いた淳はがっくりと項垂れたが、急に相手が無言になった為、秀明が声をかけてきた。


「おい、淳。大丈夫か?」

「秀明……。お前、よりにもよって、美子さんから盛大な×印を返されたタイミングでそんな話……。絶対、夫婦で示し合わせて狙っただろう?」

 呻く様な問いかけに、秀明は若干たじろぎながら弁解してきた。


「いや、決してそういう意図は無くて、お前にさっきの話をどう伝えるかちょっと悩んでいるうちに、何だかんだと一日程度経過して……。そうか。速達が届いていたか。重ね重ねすまない」

「ああ……、悪気は無かったんだよな? 何かもう本当に、お前ら似合いの夫婦だよな?」

 半ば自棄気味の淳の台詞に、秀明が溜め息混じりに言い聞かせてくる。


「気持ちは分かるがやさぐれるな。愚痴を言ってる暇があったら、さっさと美実ちゃんが気に入る名前を考えろ。それじゃあな」

 そして容赦なく通話を終わらせた秀明に、淳は舌打ちして悪態を吐いた。

「あいつ……。言いたい事だけ言いやがって……」

 そこで気分直しに何か飲もうと台所に向かった淳だったが、冷蔵庫の中を確認していると、再びスマホが着信を知らせてきた。


「今度は誰だ? ……何だ、縁か」

 正直話をする気分では無かったものの、わざわざ電話をかけてくるなど、姉の性格を考えれば珍しい事であり、淳は取り敢えず出てみる事にした。


「もしもし、淳? 今、大丈夫?」

「ああ、縁か。どうした?」

「全然連絡を寄越さないけど、やっぱり年末年始はこっちに帰って来る予定は無いの?」

「ああ。そういう気分じゃないしな」

「そう……」

 多少素っ気なく断りを入れると、小言の一つも言ってくるかと思った相手が、力無く相槌を打ったのみだった為、逆に淳は心配になった。


「どうした? 何か元気ないな。具合でも悪いのか? それとも親父かお袋に何かあるのか?」

 その問いかけで我に返ったらしい縁は、慎重に話題を変えてきた。


「ううん、そういう事じゃないんだけど……。あの、淳。あんたが付き合ってた美実さんって、旭日食品の社長令嬢なのよね?」

「ああ。それがどうかしたのか?」

「そちらのお家って、観光業界や出版業界に何か伝手があるとか、親戚にそっち方面に関わりがある方とかが居たりしない?」

 そんな唐突な問いに、淳は目を丸くした。


「は? それは無いだろ? 確かに美実の親父さんは旭日ホールディングスの社長も兼ねてるが、関連企業や子会社は全て食品の生産・加工・販売・輸出入に関わる業種の筈だし」

「そうよね。一応ホームページでも、調べてみたんだけど」

「それならわざわざ俺に聞く事は無いだろうが。どうしてそんな事を聞くんだ?」

 不思議に思って理由を尋ねると、縁は若干重い口調で話し出した。


「この前、キャンセル客での満室状態の話をしたでしょう?」

「聞いたが……。まさか、それが未だに続いているわけじゃないよな?」

「実はそうなのよ。しかも先々週の土曜日に珍しく一組だけお客様がキャンセルせずにお泊りになったんだけど、その方達が某旅行雑誌の覆面取材の方だったの」

「え?」

 あまりにも予想外の内容を語られて、淳が当惑する中、縁の説明が淡々と続いた。


「チェックアウトする時に、その事を言われたの。詳細は良く分からないけど、上の方からうちの名前が挙がったとかで。でも『これまでに数多くの旅館に宿泊してきましたが、週末にこれだけ人気と活気が無い旅館は初めてです。何か悪い評判とか事件でもあったんですか? 早急に解決する事をお勧めします。旅館の中身はともかく、こんな状態では読者にお勧めできません』と言われて……。せっかく有名誌で紹介して頂ける、チャンスだったのに……」

「間が悪かったな……」

 最後は如何にも気落ちしている声だった為、淳は思わず慰めた。しかし縁の話はこれで終わらなかった。


「それからお母さんが『さすがに年末年始はキャンセル客もそうそう居ないでしょう。どうせ平日はキャンセル客ばかりでしょうから、その前に有休を取っておいて』と指示を出して、偶々水曜日に従業員の七割が休みを取った時に、予約客が全員、夕方の六時から七時にかけて押しかけてきて」

「ちょっと待て、縁! それって大丈夫だったのか!?」

 どう考えても拙い話を聞いて、淳は思わず声を荒げて問い返したが、それ以上に感情的になった縁の声が返ってきた。


「大丈夫なわけ無いじゃない! もう大混乱よ! 休んでいた中居を大急ぎで呼び寄せる羽目になったし、食材も最近は無駄になるからってかなり少ない量しか仕入れて無かったから、あちこちに頭を下げてかき集めて。普通だったら閑散期でも、予約人数分の従業員も食材もきちんと揃えておくのに、全員キャンセルなんて状態が続いたからすっかり油断してて! 夕食を出し終わるまで、九時までかかったわ! 布団を敷き終えるまで、どれだけかかったと思う!? 普段だったら絶対、こんな事ありえないのに!!」

「分かった。想像は付くから、無理に言わなくて良いから。大変だったな……」

 泣き叫ぶ様に言ってきた姉に、確かに全面的に旅館側の失態ではあったものの、淳は心底同情した。すると縁が、急に押し殺した口調に変えて、話を続けてくる。


「実はその中に、某旅行会社の企画室の一行がいらしてたの……」

「何だって?」

「何でも、うちと同規模の全国各地の温泉地の旅館を十軒程取り上げて、施設内容やサービス比較して紹介する企画で、一般客を装って取材に来ていたそうで。ここの温泉街では、どこからなのかは分からないけど、うちが推薦されたらしいの……」

 そこで無言になった姉に、淳は一応聞いてみた。


「縁……。その人達は何て言ってたんだ?」

「聞かないでよ!!」

「分かった。悪かった」

 瞬時に泣き声で怒鳴り返した彼女に、淳は素直に謝った。すると縁が何とか気を取り直したらしく、普段と変わらない口調で言ってくる。


「それで……、そんな事が立て続けに起こって、今家の中の空気が重いから、せめて淳が帰って来ないかと思って電話してみたんだけど……」

 姉が電話をかけてきた理由が分かった淳は、納得して頷いた。


「そういう事か。だが俺が帰省しても、却って険悪になるだけだと思うが」

「そんな事は無いわよ。確かにお母さんは未だにぐちぐち言ってるけど、それは裏を返せばあんたの事を可愛がってるって事なんだから」

「そういうものか?」

「そういうものよ」

 そこでくすりと笑った縁に、淳も思わず苦笑いしてしまった。しかしそこで電話越しに、縁が愚痴めいた事を言ってくる。


「お母さんと言えば……。今回の一連の異常事態は、藤宮さん、だったかしら? あんたの相手のご家族が、うちに恥をかかせる為に裏で手を回したに違いないって喚いてて。だけどさっき言った様に、食品関係の業種しか関係ないんでしょう?」

「ああ。母方は完全にそっち方面だな。父方は揃って政治家の家系だし、観光業界や出版業界にそんなに影響があるとは」

「ちょっと待って、淳。父方って何の事?」

 急に自分の台詞を遮って、鋭く問いかけてきた縁に、淳は不思議そうに説明した。


「言って無かったか? 彼女の親父さんは婿養子なんだ。父親が元代議士の倉田公典で、当初その後継者に目されてたんだけど、美実のお袋さんに惚れ込んで藤宮家に婿入りしちまったから、弟が跡を継いだんだ。それが現職の倉田和典代議士。知ってるか?」

「勿論知ってるわよ! 与党でも大手派閥の、有力議員じゃない!」

 何故か声を荒げた姉に、淳が考え込みながら告げる。


「他にも親父さんの姉婿二人が、名前は確か……、長谷川雄太代議士と中野新代議士だったか。父親の従兄弟や又従兄弟辺りまで含めると、区議会議員とか県会議員とか、色々居るみたいだが。藤宮家は母方父方双方と、親戚付き合いがすこぶる良好だからな。一番上の美子さんが、万事そつなく取り仕切ってるから」

「ちょっと待って、淳! その義理の伯父さん達の名前も、時々ニュースとかで聞くわよ!? あんたそういう大事な事は、さっさと言いなさい!」

「何だよ。第一、旅館業には関係無いだろう?」

 いきなり叱り付けられて、淳は唖然としながら言い返した。しかし縁はここで声を潜め、重々しい口調で続ける。


「実は少し前から、県内の観光業者の中で、変な噂が飛び交ってるの」

「どんな噂だ?」

「県内の某温泉旅館の跡取り息子が、跡を継がずに弁護士になったは良いが、某与党有力代議士の姪を妊娠させた挙げ句に捨てた為に、彼女を可愛がってる叔父の某代議士が激怒して、選挙時のこの県選出の代議士への応援回数や、地方交付金を削減する様に画策してるって噂なんだけど」

「なんだよ。その微妙にかすって、微妙に外してる噂は……」

 淳が思わず顔が引き攣るのを感じながら呟くと、縁が押し殺した声で続けた。


「それであんたが弁護士になって家を出て、東京に行ってるのを知ってる同業者の何人かから、会合とかの時に『まさかお宅の息子の事じゃ無いだろうね?』ってお父さん達が聞かれてて。滅相もありませんって答えてたんだけど。美実さんって本当に、倉田代議士の姪なの? それで可愛がられてるの?」

「確か……、倉田家の子供は息子だけで、藤宮家は五人姉妹だから、何か行事がある度に招待されて、全員可愛がって貰ってるとか言ってたが」

 それを聞いた縁は、独り言のように続けた。


「うちの県の観光協会会長が、県選出の代議士の実弟なのよ。多分そこら辺から、話が広がったんだわ。この話が万が一うちの事だと思われたり、事実そうだったりしたら……。県内の観光協会に所属する業者から、総すかんを食らうのは確実……」

「おい、縁?」

「とにかくこの事を、お父さんとお母さんに知らせないと! ごめん、淳、切るわね! 年末年始、戻って来なくても良いから! というか、もう未来永劫戻らなくても良いわ! でも可哀想だから、骨になったら引き取ってあげるから安心して! 強く生きなさい。それじゃあね!!」

「あ、おい、縁!」

 急に焦った口調でまくし立てたかと思ったら、乱暴に切られた為、淳は呆気に取られてから、憮然とした顔つきになった。


「縁起でもない……」

 しかし通話を終わらせてから、一人難しい顔で考え込む。

「だが……、倉田家も観光業や出版業に大した影響力は持って無いよな? それに藤宮さんがそんな変な噂を流すとは思えないし、実弟の倉田氏も知っている限りでは……。こんな下手な謀略めいた噂……」

 そこで彼はすっかり失念していた、ある人物の事を思い出した。


「そう言えばすっかり忘れていたが、観光業界や出版業界を含む各方面にそれなりに影響力を保持していて、謀略が十八番って人物……、と言うか組織があったな」

 それに気づいた瞬間、淳の顔がこれ以上は無い位、苦々しい物となる。

「本格的に、加積が関わってるのか? しかし実家に下手な事は言えないし、明らかに関わってるという証拠もない……」

 そして思い付いた内容について、淳は一人悶々と悩み続ける事となった。


 ※※※


 和真に伴われて加積邸を訪ねる事になった美実だったが、まず門構えの立派さに驚き、次に屋敷そのものの広さと作りに度肝を抜かれ、かなり動揺しながら奥へと進んだ。その様子を見て和真は笑いを堪えながら、そして時折美実を宥めながら並んで歩いて行った。


「美実さん、こちらが当主の加積康二郎氏、そちらが桜夫人です。お二人とも、こちらが藤宮美実さんです」

「初めまして、藤宮美実と申します。本日は年末のお忙しい時に押しかける形になってしまって、申し訳ありません」

 使用人らしき人物に案内されて、広い座敷に通された美実は、緊張がピークに達していたが、辛うじて残っていた平常心をかき集め、座卓の向こうに座っている男女に挨拶して頭を下げた。すると厳めしい顔つきの老人が、若干顔を綻ばせて鷹揚に頷く。


「いや、それは気にしないでくれ。最近は若い人が訪ねてくる回数がめっきり減っているから、可愛らしいお嬢さんが顔を見せてくれるだけで、嬉しいからな」

「お正月になったらお客が山ほど来るのだけど、年末はする事が無くて暇なの。忙しいのは掃除や正月の支度で忙しい使用人だけだから、気にしないでね?」

「はぁ……」

 横からにこにこと笑いながら老婦人も会話に加わってきて、美実は漸く緊張が解れて、冷静に相手を観察し始める事が出来た。


(何か印象が定まらない不思議なご主人と、お年の割に可愛らしいけど豪快な奥様だわ。一体美子姉さんは、この人達とどこでどんな風に知り合ったのかしら? あ、そういえば)

 ここで美実はここに来た本来の目的を思い出し、手提げ袋から菓子折りを出して、向かい側の二人に恭しく差し出す。


「あの、先日は姉夫婦が喧嘩した折に二人を諫めて頂きまして、誠にありがとうございました。一応お電話でお礼を申し上げましたが、機会があれば直にお礼を言いたかったもので、今回小野塚さんにお願いした次第です。こちらは些少ですが、宜しかったらお納め下さい」

 それを聞いた加積は苦笑いし、桜が嬉しそうに応じる。


「それはご丁寧に、ありがとうございます。そこまで恐縮される事もありませんが、せっかくだから頂きましょう」

「あれ位で美味しい物が頂けるなら、美子さん達には週に一回位は派手な喧嘩をして欲しいわね」

「桜、止めろ。美実さんが本気にするぞ?」

「あら、私は本気よ?」

「全く、困った奴だ」

(うぅ~ん、益々不思議。美子姉さんとどういう知り合い?)

 夫婦のやり取りを困惑しながら眺めていた美実に、ここで加積から声がかけられる。


「美実さんは、何やら私達に尋ねたい事が有るのではないかな?」

「分かりますか?」

「それはまあ、美実さんよりかなり長く、生きているので」

「あの……、不躾な問いでしたら申し訳ありません。お二人は美子姉さんと、どの様に知り合ったのかなと……」

「ああ、それですか。それは……」

 納得したように加積が何か言いかけたが、それを遮って桜が説明してきた。


「それはね? 私が道を歩きながらソフトクリームを食べていて、美子さんの横を通り抜けようとした時に、偶々よろけて彼女の着物にソフトクリームをべったり付けてしまってね。そのお詫びに、着物を新調する事になってからのお付き合いなの」

「そういう事でしたか」

(あれ? その話って、以前確かどこかで聞き覚えが……)

 桜の話に素直に頷いた美実だったが、何やら頭の片隅に引っかかった。そして少し考えてから、該当する記憶に行き当たる。


「あああぁっ!! 思い出しました! そういえば住所が三田の、華菱で『棚のここからここまでを全部頂戴』をマジでやらかした、豪快セレブおばあさん! ……じゃなくて! 誠に失礼致しました!!」

 絶叫しながら思いっきり相手を指さすと言う暴挙をやらかしてしまった美実は、それに気づいた瞬間即座に腕を下げて勢い良く頭を下げて謝罪した。そして座敷の隅に控えていた給仕役の女性が真っ青になる中、桜がころころと楽しそうに笑う声が響く。


「あらあら、構わないのよ? 美実さんから見たらおばあさんなのは確かだし、人から良く豪快だと言われるし、セレブなのは本当だしね」

「はぁ……、恐縮です」

 冷や汗を流しながら(こんな事が美子姉さんにばれたら、どんな制裁を受けるか)と恐れおののいていると、加積が「今のは美子さんには内緒にな」と笑いながら妻に言い聞かせる声が聞こえる。それで心底安堵したものの、美実は益々加積の事が良く分からなくなった。


(桜さんの方は何となく分かったかも。年は違うけど、何となく美子姉さんと馬が合いそうだし。でも加積さんって……)

 美実が恐る恐る顔を上げながら加積の様子を窺うと、彼とばっちり目が合ってしまった。その瞬間、美実の顔が強張ったが、加積は益々面白そうな顔つきになりながら尋ねてくる。


「美実さんは、隠し事ができないタイプだと言われないかな?」

「あ、はい。その通りです。どうしてですか?」

「まだ何か、聞きたそうな顔をしているからな」

「そんなに分かり易い顔をしてますか?」

「ああ」

「まあ! 若い人が遠慮なんかしちゃ駄目よ? 何でも聞いて頂戴」

「はぁ……」

 夫婦揃って笑顔で促された美実は、先程から気になっていた内容を、思い切って尋ねてみる事にした。


「それなら、差し支えなければ教えて頂きたいのですが、加積さんのご職業は何ですか?」

「美実さんにはどう見えるのかな?」

「それは……」

 すかさず面白そうに問い返されて、美実はちょっとだけ迷ってから口を開く。


「ちょっと失礼な事を申し上げても、宜しいでしょうか?」

「勿論、構わない」

「それなら遠慮無く、言わせて貰います。私、実は割と初対面の方の職業や職種を当てるのが得意なのですが、どうも加積さんのイメージが定まらないもので……」

「ほう? 私はそんなに得体がしれないかな?」

 おかしそうに問いかけてきた加積に、美実は素直に頷いてみせた。


「はっきり言わせて頂ければそうです。明らかに会社勤めのサラリーマンの定年退職後って風情ではないですし、芸術家関係でもありません。このお屋敷を見れば相当な資産をお持ちだとは分かりますが、動産不動産の投資や転売だけで財を成したという感じもしませんし」

「ほう? そうかな?」

 明らかに面白がっている加積から、美実は徐々に視線を逸らし、俯き加減になりながら自問自答気味に語り続ける。


「そういう儲け方もされているかもしれませんが、ほんの一部じゃないかと。本業は……、投資顧問? うーん、違うな。なんかそんなチマチマした事をする様な人には見えないし。お顔が怖いし、実家が暴力団関係の小野塚さんの遠縁だから、一瞬ヤクザさんかとも思ったけど、それもなんか違う感じだし。一番お金に関わるのは金融関係だろうけど、なんかお金は持ってるけど、そんなにお金そのものが好きって感じがしないんだよね……。もっと色々広範囲に影響を及ぼすような……、でも政治家とかじゃないよね? うーん、後は……」

 ぶつぶつと呟きながら自分の思考に嵌まり込んだ美実を見て、和真は呆気に取られ、部屋の隅で控えていた使用人は、ヤクザ云々の所で顔色を変えたが、加積は特に気にする事もなく問いを重ねた。


「そんなに難しいかな?」

 その声に、美実は顔を上げた。

「はい。良く分かりません」

「それでは、こんなじいさんの相手をするのはつまらないだろう?」

「いえ、大変興味深いです」

「ほう? そうか?」

「私、あなたの様な底知れない人についての、本を書きたいです」

「はあ?」

 真顔で見据えながら、唐突に言われた台詞に、加積は本気で面食らった。しかし美実は彼の戸惑いなど物ともせずに、思った事を正直に告げる。


「でも残念ですが、きっと今の私の実力では、あなたのこれまでの人生を、余す事無く書き切れないと思います。ですから書くとしても、かなり先の事になると思いますが」

 そんな事を如何にも悔しそうに述べた美実をしげしげと眺めてから、加積は含み笑いで尋ねた。

「そうか……。俺の様な人間の事を、そんなに書きたいか」

「はい」

 真正面から視線がぶつかっても恐れる事無く、真剣に見返してくる美実を見て、加積は軽く膝を打って楽しそうに笑った。


「さすがは美子さんの妹だ。これまで何人もの有名無名の作家に会った事はあるが、俺に面と向かって俺についての本を書きたいと言ったのは、美実さんが初めてだ。気に入った」

「そうなんですか? 加積さん位、興味をそそる素材はそうそういないと思いますが。それに物書き崩れの私にこんな事を言われたら、気分を害すると思ったのですが……」

「『物書き崩れ』とは謙遜が過ぎるな。確かに美子さんから聞いて、美実さんが今現在どんな本を書いているかは知っているが、決してそれ以外の本が書けないと言うわけではあるまい」

「はぁ……」

「寧ろ他の分野で、もっと才能を開花させそうな気がするな。まだ若いんだ、色々やってみると良い。頑張りなさい」

「ありがとうございます」

 滅多に見られない程の上機嫌な笑顔で加積が励ましの言葉を口にすると、それに美実は心から感謝したが、桜や和真は思わず自分の目を疑った。


(うん、やっぱり顔は怖いけど、物分かりの良い、良い人っぽいよね? 小野塚さんはあの善人面で実家を継げなかったけど、加積さんは悪人面で誤解されて、人生損してるタイプだわ)

 そして周囲の者達の驚愕になど全く気付く事なく、美実は加積に見当違いの同情をしながら世間話に花を咲かせ、結局最後まで巧妙に加積の正体についてはうやむやにされて、再び和真に伴われて屋敷を辞去したのだった。


「あなた。美子さんの時と同様に、珍しくあの子の事が気に入ったみたいね」

「お前もな」

 わざわざ屋敷の玄関まで出て美実達を見送ってから、桜が茶化す様に夫に声をかけると、笑いを含んだ声が返ってきた。それを受けて、桜がちょっとした願望を漏らす。


「このまま首尾良く、和真があの子をお嫁さんにしないかしらね? そうしたら一応親戚になるし、色々面倒を見てあげられるもの。……あら、それに美子さんとは姉妹なんだから、美子さんとも遠縁になるんだわ」

「親戚と言うには随分遠い、義理の縁だがな。しかし……、そう上手くいくかな?」

 ウキウキとし始めた桜を横目で見ながら、加積はそう苦笑気味に呟き、屋敷の奥へと戻って行った。


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