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もぐら  作者: だいふく
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itinoyon


 建物から出ると、楠田はいつもそうするように、両手をぐっと天に向けた。別にガッツポーズがしたかったわけではない。そうすることで、自分の中でのスイッチの切り替えをしているのだ。

 周囲には、見た目や感覚を完全に除外し、利便性のみに特化した建物ばかりが立ち並んでいる。道路は球体である地球に反するように真っ直ぐで、植物などどこにも見当たらない。まさに合理的な設計だろう。敷地がテーマパークほどあったところで、ここを遊園地と勘違いする人間はそうそういるものではない。

 楠田はポケットから端末を取り出し、マップを呼び出した。端末には、しっかりとストラップが結んである。好意なのだから、しっかりと受け止めることにしたのだ。

画面を覗き、食堂を探した。その言葉を口にしたときは単なる口実だったのだが、いざ外に出てみると、急に空腹感を覚えたのだ。マップはすぐさま近くにあるレストランを指し示す。ただ、今はそんな気分ではない。購買で何か適当に買って、部屋に戻って食べるのが一番有効な選択だろう。

 端末に、『購買』と入力する。いくつかヒットするものがあったが、いずれにせよ少しばかり遠いのが分かる。

「ああ、こんなに遠いのか。どうしようかな」

 そんな言葉が口から出たが、それとは無関係に足は勝手に歩き出す。

いつもそうだ。思考が肉体に追いついていないと言うべきか、そもそも思考が分裂していると言うべきか。どちらにしろ、自分の体を上手くコントロール出来ていないのには変わりがない。

購買まで、距離にして四百メートルといったところか。迷う事はないとは思うが、似通った建物ばかりで、現在地を見失う可能性もある。楠田は慎重に建物の数を数えながら歩いた。マップの指示通り三つ目の角を曲がる。そこから真っ直ぐ行くと目指すべき場所があるはずだった。

ところが。

ところが角を曲がると、見慣れないものが目に飛び込んできた。それはまさに、飛び込んでくる、という比喩そのままの現象だった。通常ならばそこは、ちょっとした駐車スペースになっているはずだったのだ。しかし今は、様相が異なっている。

なぜこの場所に置かれたのか、誰のために置かれたのか、何のために置かれたのか、それすらも分からないベンチ。コンクリートの平面の中で、異なった色彩を放つ木々。穏やかに風に揺れる花々。それらはどれも異色で、この場所に存在してはいけないもののようにも思えた。

それだけではない。もう一つ、いや、もう一人。この場に相応しくない人間が、ベンチに座っていた。それを見て、楠田は瞬時に理解する。つまりそのベンチは、かろうじてその時だけ、その人のみのために存在しているのだ。

はるか昔の雑誌で見た、時代遅れの真っ白なワンピース。大きな鍔のついた帽子。肩に掛けられているのは、幅の広いマフラーだろうか。普段ファッションに気を使わない楠田には分からないが、その服装が数十年も昔に流行ったものであろうことは分かる。ただ、鋭角に曲げられた足と、真っ直ぐに伸びた背筋、まるで測ったように芸術的な本と顔との距離が、彼女を含めた周りの風景を一枚の絵として完成させている。

楠田はつい立ち止まって、一瞬その情景に見入ってしまった。いつまでもこの景色を見ていたいと思う自分が、そこにいる。

それは楠田の語彙を超えた、最上級の褒め言葉だった。

ふと、何気なく、自然な動作で、彼女がこちらを見た。すぐさま楠田は視線をずらそうとしたが、目の前のものに完全に見入ってしまって、動作が遅れてしまう。

楠田の目を真っ直ぐに見て、彼女はにこりと微笑んだ。凡庸にも、頭を下げる楠田。どうして、もっと気の利いた事をやれなかったのだろう。楠田がそう後悔したのは言うまでもない。

「何をしているの?」

 問いかけながら、彼女は栞を挟んで本を閉じる。決して敵対心のない、純粋な興味からの問いかけだということが窺えた。

「いや、特に何も」

 楠田は答える。もっと話を続けたい、そう思うほど、答えが単調になっていくのが不思議だった。

「そう……。綺麗でしょう?」

 彼女は周りを見渡しながら聞いた。数秒後に、楠田は彼女が何のことを言っているのか理解する。

「ええ、とても」

「私がね、言ったの。ここはとても殺風景すぎるって。それって、とても悲しいことじゃない?」

「誰に?」

「お父様によ」

「ふうん」

 楠田は頷いたが、彼女の父親が誰なのか、彼が知るはずもない。そもそも、彼女が誰なのかも知らないのだ。ただ、彼女の父親が、この研究所にそこそこの影響力を持つ人物なのはよく分かった。

「ねえ、少しお話をしない?」

「なにを?」

「うーん、そうねえ」

 彼女は少し困ったように首を傾げた。

一陣の風が、二人の間を駆け抜けていく。その風は、二人の空間を別つためのものだろうか。それとも、埋めるためのものだろうか。

「例えば、あなたは明日、何をするつもりなの?」

「明日?」

「ええ、明日」

 そう聞かれて、楠田は少し考え込む。

「えっと、いつもどおりかな。朝起きて、出社して、帰って寝るだけ」

 楠田が答えると、彼女は眼を丸くしながら口元を押さえた。

「本当にそれだけ? 信じられないわ」

「それだけだよ。信じられなくても、つまらない人生には変わりないんだ」

「いいえ、違うの。私が信じられないと言ったのは、無いことに対してではなくて、見つけられないことに対してよ」

彼女は悲しそうに首を振った。

「ああ、そういうことか」

 楠田は肩をすくめる。

「でも、しょうがないよ。余計な事を考えると、そのぶん、キャパシティが足りなくなってしまうから」

「キャパシティ?」

「うん。ああ、えっと、容量のことだね。ジョウロに砂を入れてしまうと、水が入る量は少なくなってしまうでしょ?」

「ああ、なるほど」

彼女は納得したように頷いた。

「よく分かったわ。でも、時には砂を入れることだって大事だと思うわ。ジョウロに砂を入れてはいけないっていう決まりなんて、どこにも無いんだから。だって、何を入れてもジョウロはジョウロでしょう? それが何かの役に立つ事もあるかも」

「そうだね。けど、今の僕に必要なのは、砂ではなくて水なんだ。そんな余裕なんて、どこにもないよ」

「ふうん、そうなの」

 そう言うと、彼女はどこか哀れむような眼を楠田に向けた。はたして、自分は哀れまれるようなことをしただろうか。そんな疑問が浮かぶが、即刻削除する事にする。

「そういえば、君の名前は? ここで働いているの?」

 楠田はかねてから気になっていたことを聞いた。見たところ、彼女は楠田よりも若そうだ。それに、事務仕事をしているようには見えない格好である。

「さあ。なんていう名前だったかしら。けど、私がこの会社で働いていないことは、多分確実だと思う」

「なに、それ」

 彼女の返答に、楠田は笑って返した。けれど、彼女は真剣な口調で言葉を続ける。

「でも、名前なんて、どうだっていいことだわ。だって、この場にいるのは私とあなただけなんだもの」

「名前なんて、個々を表す記号でしかないってこと?」

「ええ。そういうこと。それ以上のものでも、それ以下のものでもない」

「へえ、面白いね」

「考え方が?」

「いや、君が」

「それは良かったわ。でも、あなたも、いつまでもここで油を売っているわけにもいかないわね。違うかしら?」

 彼女は閉じていた本を開き、栞を抜いた。

「気を悪くした?」

 楠田は不安になって問いかける。

「いいえ。他意は無いわ。また会えると良いわね」

 彼女は楠田に一瞥をくべると、それを最後に視線を本に落とした。


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