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もぐら  作者: だいふく
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itinosann

人工太陽の真下、薬缶横丁では、楠田亮太がディスクワークに勤しんでいた。場所は人工太陽研究所第七研究塔十四階の一室。最近の企業では、会社員自らが出社するような非効率的なことはほとんどしていないが、この研究所は違った。研究者全員が出社する義務があるのだ。楠田にもなぜだかは分からなかったが、それが所長の方針だという。面倒だとも思うが、一人一人に個室が与えられているのだから、文句は言えない。

 人工太陽についての研究。研究所の名前通り、それがここの主なテーマだ。そのため、研究所の広さは小さなテーマパークほどもある。入社のときに手渡されたマップを見ると、研究室からレストラン、果ては映画館まであるそうだ。

 道に迷ってしまいそうだ。

 それが職場を見た、楠田の第一印象だった。それは実に的を射たもので、彼は今までに三度、自分の居場所が分からなくなった事がある。

また、三十三歳という異例の若さでこの研究所に研究者として所属しているのも、楠田一人だった。この研究所は街内で最大手の企業であり、政治機関にも深く食い込んでいる云わば街の中枢機関であるため、この事実に前例はほとんど無い。

あと一人、楠田よりも三つ上の女性が働いていると聞いた事があるが、彼女は事務の仕事である。研究者でもないし、楠田が直接会うことは無い。とにかく、彼の周りには同年代の人間は皆無だった。これは彼にとって、最悪の職場環境と言っても過言ではないだろう。

「よう。どんな感じだ」

 楠田の部屋に、浅黒い肌をした、恰幅の良い男が入ってきた。太い眉毛とその下の力強い目が印象的なこの男は、五十嵐祐と言う名前だ。歳は三十台の後半で、楠田が会うことのできる人間の中では一番歳が近い。そのためか、彼は暇さえあればこうして楠田の個室に尋ねてくるのだった。

「いや、いつも通りだよ。異常もなし。変わったこともなし。それから、良いこともなし。まったく、何で僕たちはこんな無意味な事をやらされているんだろうね」

 研究所の中では、たとえ相手が誰であってもタメ口である。これは別にそんな決まりがあるわけではない。みんなが無頓着なだけなのだ。

「まあそう言うな。俺たちのしている事は、一日やそこいらで変化があるものじゃないんだから」

 肩をすくめながら、五十嵐は楠田をなだめる。それからディスクの向かい側に座り、呼び出しボタンを押してコーヒーを頼んだ。

「それは分かってるんだけどなあ。ただ、何ていうか……。こう毎日決まった事をしていると、自分が腐っちゃいそうで怖いんだ」

 楠田が言うと、五十嵐は肩を揺らして笑った。

「ちげえねえ。けど、俺たちの仕事はまだマシな方だよ。少なくとも教務部よりはな。それより、聞いたか? 奴ら、昨日もまた五人ほど捕まえたらしいぜ」

「ああ、そのことか。ニュースで見たよ。けど、僕は教務部のやりかたは気に入らないな」

「へえ。それはまた、どうして?」

「奴らは殺さないだけで、銃もナイフも使うからだよ。知ってる? あいつらは自分の業務内容を、『狩り』って呼んでるんだ。実際には、影で何人殺したんだか分かりゃしない。僕はあそこで仕事をするのはもちろん、教務部の存在すら許せないね」

 何らかの理由で『外』に出てしまった子供たちを、どのような手段を用いても捕まえるというのは、今の政府の方針だった。ターゲットの反抗によって死んだ人間がいる、というのがその理由らしかったが、跡付けされた理由なのは明白だ。

 また、この研究所は人工太陽の研究だけではなく、子供たちを捕まえる仕事も請け負っていた。いわゆる民間警察のようなものだ。いったいなぜ、この研究所がそんなものを請け負っているのか楠田には理解できないが、研究所のトップと政府の間に密接な関係があるという噂は聞いたことがある。

「けどなあ。確かに、教務部の仕事は骨が折れる。きついし、面倒だし、何しろ薄給だ。俺でも、頼まれてもしたくない仕事だよ。でも、子供たちに正しい教育を受けさせるのは、子供たちのためにもなるじゃないか。将来楽に暮らせるためだし、この社会で生きていけるようにもしてくれる。しかもタダで。最高に優しいじゃないか。殺されてる云々ってのは、ただの噂だろ? それに、一度目の遭遇では、銃の発砲は認められていないはずだ。俺は教務部のやりかた、正しいと思うぜ」

「そこが気に入らないんだよ。子供たちに、無理矢理教育を押し付けているわけだ。そんなことをする必要があるなんて、誰が決めた? 社会の中で、なんていうのは、僕たちの都合だろう。自由に生きている子供を、僕たちの社会に引きずり込む必要はないと思うけど」

「けど、俺たちが何もしなかったら、あいつらの行く末は知れているぞ。犯罪者か、野垂れ死にかだ。お前はそれを、黙って見てるってのか?」

 白熱した議論では常にそうであるように、五十嵐の語気は段々と強くなった。ところが、その夢のような空間に水を差すかのように、壁に設置されている小窓から不躾なブザーが鳴り響く。先ほど五十嵐が頼んだコーヒーが出来上がったようだ。

 小さく舌打ちをしながら小窓に近づく五十嵐。コーヒーを受け取り、そのまま少し口をつけると、彼は大げさに顔をしかめた。

「くそう。俺のコーヒーはいつもぬるめに、って言ってあるのに」

 そう悪態をつくが、ここは楠田の部屋である。

「しょうがないよ。僕は飛びっきり熱くて、とびっきり濃いのが好きなんだから」

「けっ。なんちゅう味覚なんだ。お前は鈍感すぎらあな」

 軽口を叩きながら、五十嵐は持っているマグカップを楠田のディスクに置いた。それによって、煙草の吸殻で満たされている灰皿が、少しばかり脇に追いやられる。

「そう悪いものでもないよ、鈍感ってのは。使い方によるかな」

 楠田は途中までのデータを保存し、パソコンをスリープ状態にした。コーヒーが到着したばかりの五十嵐には悪いが、自分は今、誰かと話していたい気分ではないのだ。

「そりゃあな。トイレットペーパーだって、ケツを拭くかぎりは使い道もある。って、あれ、どっか行くのか?」

Tシャツの上に薄手の上着を羽織り、外出用のサンダルに履き替えると、楠田は立ち上がった。

「ああ。ちょっと、昼食を買いにね」

「んなもん、ここから注文したほうが早いじゃないか」

「ちょっと、外を歩いてみたい気分なんだ。ほら、よくあるだろう?」

 楠田が聞くと、五十嵐は腕を組んで、しばらく考えこんだ。

「いや、無いな。俺には」

「僕にはあるんだよ。たまに」

「ふうん。まあいいや。コーヒー、ご馳走さん」

 五十嵐はマグカップを持ち上げると、水面に軽く息を吹きかけた。と、何かを思い出したように顔をあげる。

「お前さ、端末に何もつけてなかっただろ」

 端末とは、一種の便利ボックスのようなものだ。昔は携帯電話と呼ばれていたが、現在では通話機能が廃れてしまい、端末という言葉に変わったのだ。

「うん。必要性が無いからね」

 楠田は頷く。彼の端末は、貰ったときとほとんど変わりは無い。傷が少し増えたぐらいだろうか。

「だろうな。けど、ちょっとしたアクセントは必要だと思うぞ。ほら、これやるから付けてみろ」

 そう言って五十嵐が差し出したのは、細い繊維が編みこまれた、シンプルなストラップだった。

「何、これ」

「ストラップだよ」

「それは見て分かるよ」

「いいか。それはな、今時珍しい、木の繊維を加工したものだ。大事にしろよ」

「へえ、本物の」

 それが本当であれば、確かに珍しい。楠田も、街中に生えている人工樹などは見たことがあるが、加工用に育てられた植物なんかは見たことが無い。

「そう、本物だ。だから、必ず付けるんだぞ」

 そう言ってコーヒーを飲み干すと、五十嵐は手をヒラヒラさせながら部屋から出て行った。


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