いちのに
ハルは廃墟から出ると、すぐに近くにあった小屋へ向かった。こちらは廃墟よりもずっと朽ち果て、少しでも衝撃を与えればすぐに崩れ落ちそうな様子だ。背の高い雑草や木がその周囲を覆っていて、簡単には見つからないようになっている。安全と言えば安全な場所ではある。しかし、春自身がこの小屋に住んでいるわけではない。この場所はツルやアマにすら教えていない、いわば秘密の場所だった。
小屋全体の中でも比較的状態の良い扉を開けると、軋む床を踏みながら中に入った。閑散としていて、空気が凪いでいるのが分かる。ツンと、かび臭い香りがハルの鼻を打った。
彼女は部屋の奥に設置されている暖炉に歩み寄り、その中へと手を突っ込む。やがて引き抜かれたその手に握られていたのは、二丁の拳銃だ。華奢な手には不似合いな、火薬で飛ばすタイプの不恰好なものだった。続いて、弾が16発。これからの旅を思えば少々頼りないかもしれないが、無いよりはマシだろう。
ハルはその拳銃を隅々まで点検した。撃ったことは無いが、きっと問題なく動くはずだ。使えなかったらその時はその時だろう。それまでのことだったと諦めるしかない。
拳銃二丁と弾を、いつも持ち歩いている小さめのズタ袋に放り込むと、彼女は大きく伸びをした。約束した時間まで、あと四時間ほど。眠ろうかとも思ったが、まだそんな気分ではない。
ああ、そうだ。食料は大丈夫だろうか。
ハルは思い当たった。けれど、その点はツルが何とかしてくれるだろう。彼はどこから拾ってきたのか、食肉用乾燥機を持っていた。それを知ってから、アマが食料を調達してツルが加工するという、自分たちの中での決まりのようなものが出来上がったのだ。
「なんだかなあ」
ハルは自嘲気味に笑った。自分は、あの三人の中で何の役割をしているのだろう。自分が持っているのはせいぜい、使えるかも分からないような二挺の拳銃だけではないか。三人の中での、自分の必要性というものが、全くもって何も思いつかない。
それでも……。
それでも、あの二人は自分の居場所を作ってくれた。ハルを許容してくれたのだ。それは、それまで一人で生きてきたハルにとって初めてのことであり、それ故にハルの心を縛るものになってしまっていた。
「なにをやってるんだか」
ハルは独りごちた。決して望んでいないわけではない。むしろ、有り難いぐらいだ。けれど、それは同時に相応の重さをハルが担うことを意味する。生きてゆくには、軽い方がいい。それは、目に見えないものほど言えることだ。
いつまでも、こんな生活を続けるつもりはなかった。だからこそアマが、太陽を壊す、と言ったとき、すぐさま賛成したのだ。
ハルは小屋から出て、振り返った。今にも朽ち果ててしまいそうな、無くなってしまいそうな、それでいて、それが自然のような。彼女はこの小屋が好きだった。自分とそっくりなこの小屋が、彼女は好きだった。
「なーにを未練たらたらな顔をしてるんだよ」
突然の声に驚き、振り返ると、そこには木によりかかるようにアマが立っていた。
「別にそんなんじゃないよ」
ハルは意図してぶっきらぼうに答える。
「そうかあ? そうは見えなかったけどな」
アマは愉快そうに笑った。その笑い声と共に、一陣の風が吹き抜ける。爽やかな、暖かい風だった。
「どうして、この場所を知ってるんだ?」
「どうして、だって? ここいらは俺の庭みたいなもんだからな。小川の在処から熊のねぐらまで知ってるよ」
「へえ、それはそれは」
「何だよ。文句あるのか」
「いや、別に」
言いたいことはたくさんあった。なにしろ、自分だけが知っていると思っていた、自分だけの秘密の場所が、アマには全部筒抜けだったのだ。
「道化みたいだな」
ハルはぼそりと呟いた。
「あん? 何だって?」
アマが聞き返す。けれど返事はしなかった。その必要も無かった。彼に向けて放った言葉ではないからだ。
日の光が強くなった気がした。光の量は一定のはずなのに。どうしてそう感じるのだろう。
「そんなことより、もう準備は済ませたのかい?」
ハルは尋ねる。三人が別れてから、あまり時間が経っていないはずだ。
「あったりめーよ。俺はずっと前から準備をしていたからな。つっても俺の場合、体一つで生きてきたようなもんだからさあ。心の準備が大半だったけど」
「ふうん」
「なんだよ、それ。淡白だな。お前はもう良いのか?」
「うん。もう終わったよ」
ハルはちらりと腰に掛けてあるズタ袋に目をやった。
「そうか。そういや、お前が俺たちの前に現れたときも、何も持ってなかったもんな」
「アマは、なんでここに?」
ハルは無理矢理話題を変える。過去のことは、あまり触れたくはなかったからだ。
「ああ……。いや、ちとマズかったかなあと思って」
アマは顔をしかめた。そして、ゆっくりと木から体を離す。
「何が?」
「ほら。俺がけっこう強引に決めちゃった事だよ。俺個人の考えだけで、お前らを巻き込むのは何だか悪いし」
アマの言葉を聞いて、ハルは微かに笑った。
「何を言ってるんだよ。もう決まってしまったことだろ。それに、私は賛成したじゃないか。そういう話なら、ツルのほうにするべきだろう」
「いや、アイツはいいんだ。俺がいなくちゃ、俺が決めなくちゃ何もできない奴だから。多分、このままでいるよりも、俺を手伝わせた方がずっと良い。けど、お前は違うだろ」
「どう違う?」
ハルがとぼけると、アマは思いのほか真剣な目でハルを見た。
「お前は三年前、俺たちの前に現れるまで、一人で生きてきた」
「それは少し違う。私にだって、助けてくれる人間はいた」
嘘だ。オトナたちは全て敵であり、シャカイというものからあぶれたコドモも極少数だ。こんな世界で、ハルに手を差し伸べてくれる人間なんているはずもない。
それを分かっているのか分かっていないのか、アマは話を続けた。
「それでも、大半はお前自身で生きてきたはずだ。お前が考えて、お前が決めて、お前が行動してきた」
「責任をとったのも私だけれど」
「ああ。そのとおりだ。それなのに、俺たちはお前を引きとめた。俺の意思で、俺のわがままで、お前の行動を決めてしまったんだ。これ以上俺の都合でお前を縛る事はできない」
言い終わると、アマは視線を地面に落とした。まるで自分の行動を、判断を、自分の全てを悔いているように。
「私が今まで生きてきた中で、自分で決めなかったことはないよ。今回のことだって、アマが決めたからじゃない。私が決めたから、同行するんだ」
自分のことは、自分で決定する。そして良くても悪くても、その結果を受け入れる。
それはハルにとって、プライドのようなものだ。だからこそ、今まで生きてこれた。そうでなかったら、ハルは今頃この場所にはいないだろう。
アマは面倒くさそうに片手を挙げ、そしてすぐにもとの位置に戻した。手が足にあたる、軽快な音が響く。
「あーあ、なんだよ。俺がせっかく気を遣ってやってるのに。けど、まあいいや。とにかく、俺たちに構わずに、お前はやりたいことをやれよ」
「ああ。気遣い、痛み入るよ」
ハルは冗談っぽくそう言うと、少しだけ首を傾けてみせた