第一章
一日中、一年中、一生沈む事のない太陽に照らされながらも、その廃墟はひっそりと佇んでいた。もちろん、体育館ほどもある巨大な廃墟に対する形容詞として“ひっそり”とは多少矛盾が生じるかもしれない。しかし、薄汚れ、壊れかけた廃墟の様子を伝えるためには、十分にその役割を果たしていると言えるだろう。
当然ながら昼間とはいえ、廃墟の中は薄暗い。僅かな光の進入経路といえば、崩れ落ちた天井や壁の隙間、それから未だにその性能を生かしている窓だけである。
その廃墟の中央付近の天井に、ひときわ大きな光の入り口がある。その下が、三人の少年が腰をすえる定位置だった。
「だからなあ、俺は復讐しようと思うんだ」
不適な接続詞と共に、突然肌の黒い少年が物騒な事を囁いた。その言葉が、復習とかけたジョークではない事は、彼の真剣な表情から読み取れる。
「だけどねえ、アマ。復讐って言ったって、何をすれば良いんだよ」
アマと呼ばれた少年の右手に座っていたコドモが、甲高い声で不安げに聞く。少年ながら体格の良いアマとは反対に、彼の体つきは痩せていて背も小さい。
「だから、それを考えるためにお前らを呼んだんだろ。少しは考えろよ、ツル」
アマの言葉を聞いて、ツルは眉を八の字にしながら俯いた。
「アマはいつだってそうなんだよなあ。無茶苦茶な事しか言わない。ねえ、ハル。君からも何か言ってやってよ」
ツルは隣に座る少年に縋るような目を向ける。
「良いんじゃない? 面白そうだし」
ハルはいかにも関心がなさそうに言い放った。とたんに、ツルの顔に絶望の色が現れる。
声を聞くかぎり、どうやらハルは少年ではなく少女のようだ。性別を間違えたのは、短く切りそろえられた髪と、細く高い身長のせいだろう。
「ほらな。これはもう決定事項なんだ。文句を言わず、さっさと復讐の方法を考えろ」
勝ち誇ったようにアマが胸を張る。
「うーん、そう言われてもなあ。アマはいったい、誰に復讐するんだよ」
「決まってんだろ。オトナたちだよ」
「オトナ?」
「ああ。俺たちの天敵だ。やつらに見つかってしまったら、俺たちはどこかに連れて行かれるか、もしくは殺されてしまう。現に、何人ものコドモが殺されるのをこの目で見てきただろ。明日は、俺たちがそうなるかもしれないんだぞ。そうなる前に、俺たちがどうにかしなきゃならないだろ」
アマの言葉を聞いて、ハルがくつくつと笑った。
「ハル、何が可笑しいんだ?」
少し怒ったようにアマが眉をしかめた。
「いや、なんでもない。アマのその発想は嫌いじゃないよ」
笑いを堪えながらハルが答える。彼女は頭が良いが、下らない事をよく好む。本人曰く、「他人が見ると下らないことだろうけど、私にとってはとても重要な事」なのだそうだ。今回の事も、彼女の趣向に合致したのだろう。
ふん、とアマが鼻を鳴らした。けれどもその表情には、どこか満足げな感情が浮かんでいる。
「もう。ハルがそんなことを言うから、アマが余計とんでもない事を言い出すんだ」
呆れたようにツルが小声で呟いた。
「うるせえなあ。ツルはいつもいつもウジウジしやがって。じゃあ良いのか? 俺たちがオトナに捕まっても」
「いや、それはダメだけど……」
「だったら、やるしかねーじゃねーか」
「ああ、もう、本当に……。はあ。分かったよ。アマの言う通りにするよ」
それでもまだ何か言いたげなツルを、アマががっちりと睨み据える。
「初めからそう言えば良いんだよ。どっちにしたって、このままじゃ捕まっちゃうんだから」
「けど復讐をするにしたって、何をするか考えてないんじゃあ何も出来ないじゃないか。僕たちと考えるにしろ、何か基礎になるアイディアがないと」
それを聞いたアマは、腕を組んでうーむと考え込みはじめた。きっと、何も考えてこなかったのだ。目的を思いついて、先走りしすぎたのだろう。
そんな時、呟くように言ったのはハルだった。
「太陽を壊せば?」
その言い方は、さして重要な事ではないかのように軽い。
あまりにも合致していないその言葉と言い方に、アマとツルはしばらく言葉を発する事が出来なかった。言うべきことが見つからない、まさしく言葉を失った状態である。
そんな二人を、ハルは怪訝な顔で眺めた。まるで彼らがなぜそんな状態になっているのか分からない、とでも言いたいかのように。
ようやく言葉を探し出したのはアマだった。
「良いな、それ。やろう」
先ほどとは打って変わって、静かに囁くような口調でアマが同意する。そこには、ハルが言い出した大それた事に戸惑いながらも、それを決行してやろうという決心が滲み出ているようだった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
アマに続いて、ツルも言葉を取り戻す。
「壊すって……。え? 何を言ってるの? そんなこと出来るわけないよ」
今にも泣きそうな声で、彼なりの精一杯の反論をする。
「お前こそ何言ってるんだ? 俺たちに出来ないことなんてあるわけがねえんだよ。現に、今迄だってそうだっただろ。出来ないっていうのは、何もせずに現状で妥協した怠け者だけの台詞なんじゃねえのか」
アマが声を荒げた。いつもならこれで、ツルは気圧されるはずだった。にも関わらず、ツルは頑として反対を続けた。
「いや、でもそれだけは僕はやりたくないよ。危険だし、それにどうやったらあんなもの壊せるのさ」
「危ないからやらないっていうのか? そんなもん関係ねえだろ。お前は危なかったら糞に行かないのか? 危なかったら飯を食わないのか? 危なかろうが面倒くさかろうが、やらなきゃいけないことはあるんだよ」
「でも太陽を壊すなんて事は、別にしなくても良いと思うんだけど……」
「何度言わせるんだよ。このままだと俺たち、オトナに捕まるかも知れないんだぞ。何かしないと、ずっとこのままだ」
「だからといって、何か別に方法があるかもしれないじゃないか」
「ああ、もう」
アマは呆れたように天を仰ぐ。
「お前みたいなやつはな、安全で楽な方法ばっかり考えて、結局何もできねえんだよ。いくら考えても、行動に移さなきゃ何もしてないのと一緒なんだ」
そこまで言うと、アマはむすっと黙り込んだ。ツルも口を尖らせて俯く。
倉庫に入ってくる光が、微かに陰ったように思えた。人工の太陽を、これまた人工の雲が覆ったのだろう。
ハルには、オトナたちのする事がいまいちよく分からなかった。何故、自分で沈まない太陽を作っておきながら、それを隠す雲を作ったのだろう。太陽が沈まない必要性はあるのだろうか。そんなことは、考えても仕方のないことではあるけれども。
「で、どうやれば太陽なんか壊せるんだ? お前の事だから、そこまで考えてるんだろ?」
自分で作った沈黙を破るように、アマはハルに問いかける。
「うん。太陽って言ってもね、燃えるからにはエネルギーが必要なはずなんだ。それであの大きさだったら、必ずこまめに補給しなくちゃいけない。そこを狙えばなんとかなると思うけど」
「なるほど。別に空をとぶ必要は無いのか。それなら、俺らにもやれるかもしれないな」
アマの目がギロリと光った。続いて、先手を打つようにツルを睨んで黙らせる。
「ただ、場所が問題なんだよ。太陽はほら、ここから見て東の上空にある。その真下は……」
「この世界で一番の都市、薬缶横丁だな」
ハルが言い終わらないうちに、アマがその先を呟いた。
今度はアマが睨みを利かせるよりも先に、ツルがヒィ、息を漏らした。続いて、悲鳴にも似た声をあげる。
「やめようよ。あそこは危ないって」
「だから、うるせえんだよ。上等じゃねえか。やってやるよ。それくらいじゃねえと、面白くないもんな」
「でもあそこは、オトナたちがウジャウジャいるところじゃないか。捕まらないようにするのに、オトナたちが沢山いるところに行くのはおかしいよ。間違ってる」
「ようし。じゃあ、今日は解散だ。そんで、今から五時間後、またここへ集合な。そん時にはいろいろ準備しとくように」
アマはツルを無視してそう決めると、素早く立ち上がって大きなドアから消えていった。
いつものことだ。
ハルはゆっくりと立ち上がり、それから何か問うような視線をツルに向けた。しかし彼は黙ったまま、何かを考えているかのように微動だにしなかった。