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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
VI 閉塞
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長い前置きの始まり

 ロザリー様は私の目をまっすぐにご覧になって、「少し、長い前置きをするよ」とおっしゃいました。私が頷くと、ロザリー様は視線を机の上に落としてカップを指差されました。私もつられてその指先を見ました。

「このカップが島だと思ってごらん。私たちはその島の中に住んでいる」

 ロザリー様の指先は、カップの縁をなぞるように円を描きます。

「と、おっしゃいますと……、この机は海でございますか?」

 書物で得た知識から、私は考えました。

「その通りだ。海を隔てて……、そうだな、このインク瓶でいい。また別の島や陸地がある」

 ロザリー様はインク瓶をお手にとって、カップの近くに置かれました。

「これまで、私たちはせいぜいこの机の範囲までしか知らなかった。机の外は、世界の涯だ」

 私は昔に見た、世界の涯の滝からざあざあと海水が流れ落ちている絵のように、机の端から床へ水があふれている光景を思い浮かべました。


「しかし実際には、世界はもっと広かった。この部屋、この屋敷すべて、あるいは屋敷のある森か、それ以上に」

 ロザリー様は腕を広げて部屋中を示すようなしぐさをなさいました。私の知っているのはこのお屋敷と、森と街のそれぞれほんの一部です。それは小さなカップの中のわずかな部分でしかないと知り、世界はさらにとてつもなく広いことを聞き、あまりのことに理解が追いつかず唖然としてしまいました。

「人間たちは小舟を作り、船を造り、次第に世界の広さを知った。そして何もないと考えていた遥か彼方に、陸があることを知った。そこには自分たちとは違う見た目の違う言葉を話す人間がいて、自分たちがこれまで目にしたこともないような珍しいものがたくさんあった。……さあ、君ならどうするかな、イラ?」

 私はつばを飲み込んで、自分の考えた答えを口にしました。

「私は……、私なら……、なんだか恐ろしいような気がいたします。そのように見知らぬものばかりで……。できるだけ早く、なじみの地へ帰りたいと思うことでしょう」

「なるほど。確かに君ならそう考えるかな。君は本当に穏やかな性情を持っているから」

 ロザリー様は指を組まれて「けれどね」と心持ち声を落とされました。

「人間の中には、物珍しいもの、稀少なものがあると知るとそれを手にしたくて仕方がないという性質の者もいるんだ。……大抵は富や誉れなど、そのもの自身とは関係のない何かを求めて。わかるかい、イラ?」

「ええ」

 珍しいものをただ珍しいという理由だけで手に入れようとする気持ちは、私にも想像がつきました。それが美しかったり便利に使えたりするものであれば、なおさらに欲しくなることでしょう。

「問題は、そうした性質の者たちは、珍しい何かを手に入れるためならばどのようなことをしても構わないと考えがちなことだ。自分の手持ちの金をありたけ注ぎ込む程度で済めば良いが、騙し合い、奪い合いも簡単に起こる。……私がこれまでに見た限りでも、ほんのつまらないもののために多くの血が流されていたよ」

 ロザリー様は冷ややかに唇だけを動かすようにして、最後の言葉を呟かれました。私はそのお言葉が恐ろしく、膝の上でぎゅっと手を縮こめました。

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