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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
VI 閉塞
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侵入者の噂

 その後のお屋敷の日々は、一見これまでと何の変わりもないようでした。しかしロザリー様が外出なさる頻度が増えたり、お屋敷に頻繁に手紙が届くようになったりしていることに、私は気付いていました。

 手紙に捺されている封蝋の紋章は様々でしたが、手紙が届いた翌朝には必ずロザリー様が浮かない顔をしていらっしゃるので、いっそのこと昼間のうちに届いた手紙を燃やしてしまおうか、と考えるほどでした。


 ロザリー様はなるべく私に隠したいおつもりのようでしたが、外出や手紙が私の嫁ぎ先を探すためのものであることは明らかでした。

 私を他所へやるためにそこまでご苦労をなさるロザリー様の姿を、私は見ていたくありませんでした。

 何度「私をずっとここに置いてください、ロザリー様のお側で、このお屋敷で死を迎えさせてください」と訴えたくなったことでしょう。それでも、「私に、君の死を看取れと言うつもりかい」とおっしゃった時の、ロザリー様の絶望にも似た深い憂いを湛えた表情を思い返すと、そのようなことはとても言えませんでした。


 そんな憂鬱な日々の中、今でも思い出すとくすりとしてしまうような出来事もありました。

「イラ、ナッシュガルト家を覚えているね?」

 ロザリー様はある日の夕食の席で、突然こう話し出されました。

「ええ、もちろんでございます」

 私はどきりとしながらお答えしました。

「風の噂に聞いたのだけれど、つい先日、あの屋敷に何者かが侵入したらしい」

 私はロザリー様が突然そのようなことをおっしゃったことに当惑しながらも、「まあ……。恐ろしいことでございますね」とお返事いたしました。

「ああ、全くだ。今はその侵入者を捜しているそうだけれど、痕跡がほとんどなく、目撃者もいないと聞いている。まるで霧のように現れ、忽然と消え失せたかのようだとね」

「物盗り……でしょうか?」

 いくら嫌っている相手とはいえ、ロザリー様は嬉々として人の不幸を語るようなお方ではないはずなのに、と私は戸惑うばかりでした。

「いや。盗られたものどころか、部屋が荒らされた痕跡すらなかったようだ。屋敷のなかの人物も当主が軽い怪我を負っただけで全員無事とのことだよ」

「それは……、不幸中の幸い、と言ったところでしょうか」

 何かが私の中で形作られていきました。けれどもこの時はまだ、それは自分でも定かには知ることのできないおぼろげなものでした。


 ロザリー様はひとつ頷かれました。なんとなくですが、私にはそれが心の中の考えをも肯定してくださっているかのように感じました。

「怪我をした当主でさえ、朝目覚めるまで侵入者がいたことに気付かなかったようだからね。侵入者を捜すと言っても、正直なところ身が入らないことだろう」とおっしゃって、ロザリー様はスープを口に運ばれました。

 私はこれまでのお言葉を考え、浮かんできた疑問をお尋ねしました。

「それでは、そこまで侵入者が痕跡を絶っていて、朝になるまで誰も気付くようなことがなかったならば……、なぜ侵入者がいたことが知れたのでしょうか」

 ロザリー様は軽く眉を上げて口に笑みを浮かべられました。

「君は賢いな、イラ。確かにもっともな疑問だ。なんでも……、当主が軽い怪我をしたと言ったろう? その傷が、特殊なものであったようだよ」

 私は特殊な傷というものを上手く想像できず、首をかしげました。ロザリー様は勿体ぶるように魚料理を一口、時間をかけて召し上がってから教えてくださいました。

「咬み傷だよ。それも、自分では決して付けられないようなところ……、首と肩の境のあたりに」


 朝方の濃霧が晴れていくように、だんだんと心の中の考えがはっきりとしてきました。けれども確信にしてしまうには恐ろしく、またロザリー様に失礼な気もして、私は見当もつかないというふうを装ってお話に頷いていました。

「その歯形は、屋敷の中の誰のものとも一致しなかったそうだ。おそらくは、かの侵入者が付けたものなのだろうね」

 私は思わずロザリー様の口元に目をやりました。ロザリー様は私の視線を受け止めると、ちらりと白い歯を見せて微笑まれました。

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