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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
I 魔の者
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最初の決心

 ロザリー様は私の視線を受け止め、困ったようにお笑いになりました。

「てっきりここに来る前に話は聞いていると思い込んでいたから、今までわざわざ伝えてはいなかったけれどね。決してイラを騙そうという心づもりはなかったんだよ」

「……はい、ロザリー様」


 ロザリー様はそこで、冷めてしまった紅茶のカップに手を伸ばしかけ、止めました。新しいお茶をお淹れしましょうかとお訊きしましたが、ロザリー様は首を横に振られました。

 行き場を失った指を机の上で組み合わせ、ロザリー様は言い淀んでいたものを押し出すようにゆっくりと唇を開きました。

「……でも、結果的にはイラを騙していたことになってしまうね。イラ。もし君が、私のような人ならざるものに、魔の者になど仕えたくないと考えるなら、正直に言っておくれ。明日にでも王城へ向かって、他の働き口を探してもらえるようにしよう」

 思いも寄らない言葉に、私はただただショックを受けるばかりでした。答えは迷うまでもありませんでしたが、色々な感情が渦巻いていて、どのように申し上げれば良いのかがわかりませんでした。


「ロザリー様……」

 ほとんど救いを求める気持ちで私はロザリー様のお顔を見上げました。しかしロザリー様は半分諦めたような寂しげな笑みを浮かべ、ただ私の言葉を待つだけでした。私のせいでロザリー様がそのようなお顔をなさっていることが、耐えがたいほど心苦しく感じられました。


「私は……、私はロザリー様のお側におります!」

 私はほとんど叫ぶようにお答えしました。ロザリー様が驚いた面持ちをなさいました。

「私は、これからもロザリー様にお仕えしたいです。だって、ロザリー様はこれまでずっと私にとても良くしてくださって、私はとても幸せで……。ロザリー様、ですからお願いです、そんなお顔をなさらないでください……!」

 この言葉を最後まできちんと言えたかどうかはわかりません。途中でなぜだか涙が出てきて、それを手のひらでごしごしと拭いながらお答えしていたのです。


 ロザリー様はしばらくの間黙っておられました。それからほんの少しだけ笑みを交えた声音で、「イラは昨日から、泣いてばかりいるようだね」とおっしゃいました。

 謝って涙を止めようと懸命になる私に、ロザリー様は「ああ、ごめんよ。そういう意味ではないんだ」と告げられ、続けて「イラがそう言ってくれたことを嬉しく思うよ。そう思ってくれるのなら、是非この屋敷にいておくれ。イラはこれまで立派に働いてきてくれたからね」とおっしゃってくださいました。

 私は胸がいっぱいになってしまい、充分にお礼を申し上げることもできませんでした。

「ほら、もう泣くのをお止め。今日はもう休むといい。最後に紅茶を飲んでお行き」

 私は無理矢理に呼吸を落ち着けて、カップを口に運びました。ロザリー様も私に合わせてくださるように、ゆっくりと冷めた紅茶を召し上がっていらっしゃいました。

 紅茶を飲み終え、ロザリー様と私のカップを片付けてから、私は書斎をお暇しました。


 翌朝の朝食の席で、ロザリー様は穏やかに私に話しかけられました。

「昨晩の話だけれど、気持ちに変わりはないかい?」

「もちろんでございます、ロザリー様」

 ロザリー様は頷くと、続けてこうおっしゃいました。

「それなら、今日からは伝えそびれていた魔の者……、特に吸血鬼についてイラに教えることにしよう。昨日の話を聞いていると、だいぶ吸血鬼について誤解をしているところもあるようだしね」

「はい、ロザリー様」

「それと、わからないことや気になることがあったら何でも聞きなさい。私はイラに胸を張って言えないことは何一つしていないつもりだからね。……またあのようなことがあっても、必ず助けに行けるとは限らないのだし」

 その時のロザリー様はわずかに眉をひそめた、咎めるようなお顔をなさっていました。私は考えなしだった自分を恥じ、「……はい、ロザリー様」とうつむくしかできませんでした。


 それからしばらくの間、夕食後のお勉強の時間は魔の者、特に吸血鬼についてロザリー様から教えていただきました。

 ロザリー様から教えていただいた、魔の者に関する書物を読むこともありましたが、その中にも間違いがあることは珍しくありませんでした。そのような間違いがある箇所には、ロザリー様の筆跡で余白に訂正が記されていました。また、ロザリー様から本に書かれていない吸血鬼の姿や暮らし方についてお聞きすることもありました。

 とにかく私がほっとしたのは、吸血鬼は人の血を吸いはするけれど、ロザリー様のおっしゃるところの「分別をわきまえた」吸血鬼であればそれで人を殺してしまうことはない、と知ったことです。何しろロザリー様が吸血鬼であることを知って以来、ロザリー様も私の見ていないところでは人に噛み付いて、その血を飲み干してしまうようなおぞましいことをなさっているのだろうかという考えにとらわれ、不安で夜も眠れないほどだったのですから。

 こうして私は、次第次第に吸血鬼の本当の姿を知り、目の前にいらっしゃるロザリー様と、想像する吸血鬼像とを自然と重ね合わせられるようになっていきました。

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