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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
I 魔の者
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亡霊

 ロザリー様を見失ってどのくらい経ったでしょう。

 私は遠くの木の陰に、黒い布が翻るのを見たように思いました。

 ロザリー様のマントだと思った私は、見つからないように足音さえひそめていたのも忘れて、ロザリー様のお名前を叫びながら駆け寄りました。

 しかし、木の向こうから姿を現したのは、ロザリー様とは似ても似つかない存在でした。


 まず感じたのは、腐肉と血の混じったような、ひどい悪臭でした。

 それはぼろぼろの布切れをまとった骸骨で、所々に赤黒いものがへばりついていました。

 眼球のない目……、骨だけの顔が私を捉えました。

 ぎこちない動きでそれは私の方へ近付いてきます。カタカタといっていたのは、動く時に骨がぶつかり合う音だったのでしょうか、それとも笑っていたのでしょうか。

 硬く冷たい手が私の腕をつかみました。私は引き攣れたような悲鳴をあげて、その手を振り放そうと必死になりました。それは一向に構わず、さらに私に近付いてきました。


 目の前の恐怖に支配され、背後に気を払う余裕は全くありませんでした。

 骸骨から逃げようともがいている最中に背後から肩をぐいと引かれ、私は今度こそ恐慌をきたしました。

 体は強張って動かず、悲鳴だけが勝手に体の奥から溢れ出します。肩をつかむ手が素早く私の口を塞ぎました。

 背後から一条の銀の光が射し、骸骨の左目を貫きました。骸骨は私から手を放してうめき声を上げました。

 銀の光がきらめき、今度は骸骨の心臓の辺りを刺しました。ここでようやく、銀の光は剣の刀身が月光を受けているものだとわかりました。

 骸骨は剣の刺さったところから形を崩し始め、見る見るうちに身にまとっていた襤褸ごと、一山の灰になってしまいました。


 骸骨が消え去ると、ゆっくりと私の口を塞いでいた手も緩みました。

 それでも恐怖心が体の芯まで染み渡っていて、私は息をすることさえ満足にできず、身じろぎ一つしませんでした。

「……イラ」

 背後から聞こえてきたのは、私の名を呼ぶ声でした。それを聞いただけで私は気が緩んでしまい、気付けば涙が頬を伝っていました。

 

 私は震える体でゆっくりと後ろを振り向きました。

 月の光を背に受けて、ロザリー様が立っています。ロザリー様は銀色に輝く刀身を静かに鞘へ収めました。そのお姿を見て、安堵のあまりに力が抜け、私は地面にへたり込みました。

 何事かを申し上げようと口を開きましたが、どうしても喉から言葉が出てきません。

「イラ、……いや、話は後にしよう」

 ロザリー様は私を抱き上げました。ちょうど、ロザリー様の片腕に私が腰掛けるような形です。

 ロザリー様はしばらく夜の森を駆け、「しっかりつかまっておいで」と私に告げると一本の木を両足と片手で軽々と上り始めました。

 お屋敷の屋根よりも高いところまで来ると、ロザリー様は幹から張り出した太い枝に私を座らせました。そして動かないよう、声を出さないように言いつけてから、無造作な様子でそのままの高さから飛び降りました。

 私は息を呑みましたが、黒いマントを翻らせたロザリー様は、まるで猫のようにしなやかに地面へ降り立ちました。


 ロザリー様は再び腰の剣を抜き、マントの中から短剣を取り出します。

 両手に武器を構え、ロザリー様は森の中の1点を険しい目で見つめています。つられて目をやると、何かの群れが近づいてきているのが見えました。

 カタカタ、ガシャガシャと耳障りな音が響きます。ほどなくしてそれが、先ほど私が遭遇したのと同じような骸骨が群れをなして歩いている音だとわかりました。

 叫び声を上げそうになるのを、自分の手のひらで口を押さえてこらえました。

 骸骨たちの格好はさまざまで、襤褸をまとっているのもあれば鎧を身に着けているもの、槍や弓などを携えているものもあります。


 群れの先頭がロザリー様を見つけました。大振りの剣を振り上げ、速度を速めます。後ろの骸骨たちも次々とそれに続きます。

 20を越すほどの骸骨が向かってきているというのに、ロザリー様は表情一つ変えず、その場を動こうともなさいません。

 とうとう骸骨の一体が間合いに入り、ロザリー様に向かって剣を振り下ろしました。

 私は本当に生きた心地がしなかったのですが、ロザリー様は短剣でその剣を受け止め、右手で骸骨の体を薙ぎました。

 骸骨は剣の触れたところから灰となって崩れ落ちます。かつん、と骸骨の持っていた剣が跳ね飛ばされました。

 ロザリー様は勢いもそのままに群れに走り寄り、剣を振るいます。

 まるで砂山を崩すかのようにあっさりと骸骨たちが灰に帰していきます。


 騒々しく不格好な群れの中で、ロザリー様だけが音もなく舞っていました。

 ロザリー様が鎧を着込んだ骸骨の首に剣を突き刺しているとき、別の一体が弓をつがえ、矢を射掛けました。

 私は悲鳴を上げたかもしれません。

 ばさりとマントが膨らみました。風を切って飛んできた矢はそれに巻き取られます。

 相対していた骸骨を蹴って剣を引き抜き、ロザリー様は黒衣を翻しました。

 月の光を浴びたそのお姿は、まるで大きな蝙蝠の翼を広げたようでした。

 今でも私の心には、この時のロザリー様のご様子が一幅の絵として焼き付いています。


 恐怖心はすっかり消え去り、私は驚嘆してロザリー様を見つめていました。

 ロザリー様は弓を持つ骸骨へ駆け寄り、次の瞬間にはもう骸骨は灰の山となっていました。

 それから全ての骸骨が灰となるまで、長い時間はかからなかったと思います。

 剣と短剣を納め、ロザリー様はほうっとしている私を見上げ、微笑みました。

 軽やかに木を上ってこられたロザリー様は、再び私を抱きかかえて地面へと下りました。

 

 ロザリー様はただ一言「屋敷へ帰るよ」とおっしゃり、私を抱いたまま歩き出しました。

 辺りは相変わらず見渡す限りの暗い森でしたが、ロザリー様は迷うことなく進んでいかれます。

 ほどなくして、ひどく懐かしく思えるお屋敷の姿が現れました。


 屋敷の中へ入るとロザリー様は私を立たせ、怪我はないかどうかを優しく聞いてくださいました。

 返事をした途端に涙がこぼれました。お屋敷に帰れたことで、張りつめていた心が緩んだのでしょう。

 勝手にお屋敷を抜け出したこと、ロザリー様の後を付けようとしたことを謝ろうとしましたが、泣きじゃくってしまい、言葉が思うように出てきませんでした。ロザリー様はそんな私の頭に優しく手を置き、ベッドに入って休むようおっしゃいました。

 私は言われた通りに寝室へ行って体を横たえました。しばらくは涙が止まらず、気持ちも高ぶっていましたが、いつの間にか疲れに引きずり込まれるようにして眠っていました。

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