細く交じる色
部屋を出て廊下を見渡してみましたが、鍵盤奏者の姿は見えませんでした。何度か彼を呼んだ後でロザリー様のいらっしゃる部屋へ向かいました。鍵盤奏者もちょうどそこにいました。
「ふうん、だいぶまともな格好になったね」
金の巻き毛がふわりと動きました。
「まだ目が開かないのが残念だ。イラ、こちらにおいで」
ロザリー様も黒い髪を揺らされました。それまでロザリー様の頭を覆っていた薄い膜がなくなっていることに、はっと気付きました。
ベッドに足を進めてロザリー様のお隣に腰を下ろします。
「ロザリー様、髪が……」
濡れたような艶に、思わず手を伸ばしていました。
「ああ、君が眠っているうちにね。皮が剥がれてさっぱりとしたよ」
間近で見るとロザリー様の髪には、わずかに白いものが交ざっていました。そのことをお伝えするとロザリー様は、「そうかい? ……さすがに完璧に再生することはできなかったかな。君が気になるのなら抜いてしまってくれ」とおっしゃいました。
「いいえ、今も素敵でございます。ほんの少しだけ、お姿がお年に近付かれたようでございますね」
ロザリー様は小さく笑われました。
「そう言えば君は何百年その姿でいるのだったかな」
「さあ……、覚えてたってしょうがないから」
鍵盤奏者が肩をすくめます。
「じゃあ、僕はもう行っていい? その子も帰ってきたんだし」
答えも待たずに彼はスツールを立ちました。
「ああ」
扉を開けかけたところで鍵盤奏者は一瞬だけこちらに目をやりました。そのまま何も言わずに彼は部屋を出ました。
音もなく扉が閉められてからしばらく経って、私は「あっ……」とベッドから腰を浮かせかけました。
「どうかしたかい、イラ?」
「彼にお礼を……、服のお礼を言うのを忘れておりました」
「大丈夫だ」とロザリー様は私に軽く触れられました。
「どうしても気が済まないならば、次に会った時に言ってやるといい」
「……はい」
私は再び深く座り直しました。
「驚いてしまいました。彼があんなに服を持っていたなんて。それも、女性物の」
何気なく私が言った言葉に、ロザリー様はしばし唇を閉ざされました。
「……この家を訪れた女性たちが置いて行ったものだそうだ」
ロザリー様はそれからまた迷われながら続けられました。
「そういうわけだから、その、あまり品の良い来歴ではないけれども……、着るものが何もないよりはまだましかと思ってね。……気を悪くしないでもらえると助かる」
私は自分の着ている服を見下ろしました。これらはどのような女性が着ていたのでしょう。もしかしたら、下着やワンピースといった一着一着の持ち主は、それぞれ違う女性なのかもしれません。
そう考えると、全身が自分のものではなくなってしまったような、ぞわりとするものを感じました。
「……ロザリー様はお召し替えはなさらないのですか」
ロザリー様は「この家には男物の服は彼のものしかないからね」と笑ってお答えになりました。
「それなら、服を手配してもらえるよう、彼に頼んでみましょうか」
自分だけ新しい服を着ていることに気が引けてしまって、私は考えました。
「彼がわざわざそのようなことはしないだろう。私のことは気にしないでおくれ」
「……でも、私は、ロザリー様に何もして差し上げられなくて……」
「君は私の隣にいてくれさえすればいい」
ロザリー様は私の腕に、肩に、くすぐったく触れられました。やがて小さくため息をつかれて、「やはり見えないと不便だな」と呟かれました。
私はロザリー様のお顔を見つめ、静かに深く呼吸をしました。息を詰め、伸び上がるようにして、唇でロザリー様の頬に触れました。
体の重さを落とすように座ると、ベッドが揺れました。
「イラ、今のは……」
顔が熱くなるのを感じました。慌てて立ち上がります。
「少し……、少し、食べるものを持ってまいります」
声が高く裏返りそうになりました。「ああ、行っておいで」というお返事を背中に聞いて、私は小走りに部屋を出ました。
戻ってきた後でも、先ほどの私の行為をロザリー様はご存知なのかうかがうことはできず、ましてや私の方から何をしたのかをお伝えすることもできませんでした。