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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
XIV 霧中
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澱む眠り

 片時も目を離さずにロザリー様を見ていたつもりでしたが、はっと気付いた時には床に倒れ臥していました。私は鈍い頭痛とめまいをこらえて、横倒しになっていたスツールを起こし、再びそれに腰掛けました。

 ロザリー様の皮膚は少し厚くなり、面立ちがうっすらとわかるようになっていました。疑いようもなくロザリー様のお顔でした。切なく胸を締め付けられる思いで私はずっとロザリー様を見つめていました。

 ロザリー様の頭の辺りでは、肌を透かして黒く渦を巻いたようなものが見えました。皮膚の下に髪ができているのだろうとわかりました。


 その後も幾度か失神しては目覚め、ロザリー様のお側に居続けました。

 やがて、ロザリー様の唇がほんの僅か、動きました。

「ロザリー様!」

 慌てて立ち上がると目の前が暗くなりました。私は地面に膝をつきながらもロザリー様に近づきました。

 ベッドの傍らに跪きます。ロザリー様が弱々しく息をしていらっしゃいました。胸の辺りからはぐるぐると何かが詰まったような音が聞こえてきます。

 私はロザリー様のかさついた手をとりました。じんわりと冷たさが伝わってきました。

「ロザリー様……」

 呼びかけてもロザリー様はか細い息に胸を震わせられるだけでした。ロザリー様の手の皮膚は強く触るとぱりりと音を立てて割れてしまいそうで、私は慎重に、ほんの触れる程度に、その手を両手で包みました。

 ロザリー様の胸の音は次第に収まっていきました。息を確認すると、穏やかに規則的になっているのがわかって、私は安心しました。


 気を失っていたのか眠っていたのか判然としませんが、いつの間にかベッドに頭をもたせかけていたこともありました。私はロザリー様がきちんと息をしてお休みになっていることを確かめては、ほうっと安堵の息をつきました。

 私は床に座り込み、ベッドに半身をもたせかけてロザリー様の横顔を眺めていました。まだ顔中があざのような火傷のような赤黒い色をしてはいましたが、目鼻立ちはすっかりとロザリー様のものでした。


 部屋の扉が開きました。見なくとも鍵盤奏者が入ってきたことがわかりました。

「ねえ」

「はい……」

 私はわずかに顔を上げて答えました。

「食べなよ。人間って食べなきゃ死ぬんでしょ。……君が人間かどうかは知らないけど」

 差し出されたのは白い小麦粉をふんだんに使ったパンでした。それはまるで作り物のように整った形をしていました。

「ありがとうございます」

 私は素直にそれを受け取りました。

「もう持ってこないから、次からは勝手に用意して食べてよ」

 僕に世話を焼かせる気なの、と彼は眉をひそめました。

「はい……、申し訳ありません」

 彼はロザリー様の顔を見下ろし、「ふうん……」とだけ言うと立ち去りました。

 パンはずしりとお腹の中に下りて、私は半分も食べずに残しておきました。


 ロザリー様は深くお眠りのようでした。

「申し訳ございません、少し外させていただきますね」

 私はロザリー様にそう申し上げてゆっくりと立ち上がりました。


 部屋を出て、台所を探します。何か飲み物をもらおうと考えたのです。

 台所にはほとんど何もありませんでした。野菜やお肉は見当たらず、お鍋や包丁すらないようでした。そのままで食べられるパンやチーズ、そしてお菓子が、ほとんど封も開けられていない状態で戸棚の中に入っているだけでした。

 それらを手にとって見てみると、勝手に食べてしまうのがためらわれるほどの高級品ばかりで、私は何も取らずに元の場所に戻しておきました。

 あちこちを探しまわって、赤い葡萄酒の瓶がしまわれているのを見つけました。コルクは一度抜かれたようで、栓代わりに固く丸めた布が押し込められています。ラベルを見るとやはり上等なものばかりでした。私は心の中で鍵盤奏者に謝ってそのうちの一本をもらいました。

 そして調理台の上に転がっていたりんごも2つ3つ持っていくことにしました。


 ロザリー様のベッドの脇の台に、2つのグラスと葡萄酒の瓶を置きます。お目覚めになったら召し上がっていただくつもりでした。

 りんごと残していたパンとで、しばらくは部屋から出ずにいられそうでした。

「ロザリー様、お待たせしてしまいましたか? ただ今戻ってまいりました」

 私は膝をついてロザリー様の手をとりました。ロザリー様は相変わらず静かにお休みのご様子でした。パンを食べたせいか、なんとなくふわふわとした心持ちでした。

 閉じられたままのロザリー様のまぶたを見て、聞こえるか聞こえないかの息に耳をそばだてているうちに、いつの間にかベッドにもたれかかるように眠ってしまっていました。

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