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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
XIII 白日
184/213

あの日の約束

 それからの私は、薄く引き延ばされた夢の中を揺蕩っていました。横たわったまま少しも動かずに、幸せだったお屋敷での日々の記憶に逃げ込みました。

 時にはふと正気に返って自分が枷につながれて牢獄の中にいることに気付いてしまうこともありました。そのような時には固く目を瞑り、はるか昔にロザリー様と聴いた旋律で頭の中を埋め尽くしました。


 幻覚と夢の区別もありませんでした。ロザリー様と共に過ごした様々な出来事は私の中で自由に渾然となって現れました。


 ロザリー様は冷たい指先で私に触れてくださいました。その足元から白い花びらが舞い上がりました。頬に触れるロザリー様の手は、花をつけたライラックの枝でした。ロザリー様は私の頭を抱き寄せ、耳元で言葉をささやかれました。顔を上げるとロザリー様の唇からは歌が紡がれていました。そうしてロザリー様ご自身も、ついには歌となって白い花の中に溶けていかれました。

 雪のように降りしきる花もやがて薄れ、私の周りには灰色の景色が残されました。瞬きをすると太い鉄格子が見えました。


 私はゆっくりと体を起こしました。鎖の擦れる音が耳を刺しました。見下ろした手首は覚えていたよりもずいぶん痩せてしまっていました。

 鉄格子の外を見ると監視役と目が合いました。

「……なんか、食うか」

 彼はためらうように何度か口を動かして、結局はそう言いました。私は枷をはめられた首でかすかに頷きました。


「動くんじゃねえぞ」

 そう言い残して椅子を立った彼は、しばらくすると薄い盆を手に戻ってきました。鉄格子の隙から皿が一枚ずつ入れられます。決して格子の中へ手を入れないように気を付けているようでした。私がわずかにも身動きをすると睨みつけられるので、息を詰めてじっとしていました。

 彼が立ち上がって木の椅子に戻ったのを見て、私は食事に手をつけました。味はわかりませんでした。

 ものを食べるのに疲れてしまって、私はしばらく壁に寄りかかっていました。先ほどのロザリー様がおっしゃっていた言葉が鮮やかに思い出されました。


 細い歌声が唇から漏れました。ほんのかすかな声でしたが、小さな石の部屋にはそれでもよく響きました。それはロザリー様が歌われ、ロザリー様ご自身が姿を変えた歌でした。歌はひとりでに外へ羽ばたいていきました。


 ロザリー様との約束を守るためだけに私は生きていました。目覚めている時には歌が絶え間なく流れていました。歌い止めれば死んでしまうような気がして、突き動かされるように音楽を紡ぎ続けました。

 覚えている限りの曲を歌い続け、喉が嗄れては少しばかりの食事をとって、また歌いました。浅い眠りの中でも音楽は体中を駆け巡っていました。

 監視人の存在も、ここが獄中であることも忘れ去っていました。この時の私の世界にあったものは、ロザリー様との約束と溢れんばかりの歌だけでした。

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