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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
XIII 白日
175/213

アザミの中

 アザミの棘を鎧のように畑に纏わせ、私はささやかな幸せを守り育てました。

 柵を越えて人間が畑へ押し入ろうとしたことがアザミを植えてから一度だけありました。すっかりと夜も更けていた頃でしたが、私は外から聞こえてくる騒々しさに目を覚ましました。

 必要ならばロザリー様をお呼びしなければと考え、私は鋼のダガーを握ってそっと外の様子をうかがうことにしました。勝手口の扉を細く開けると座り込んでいるひとりの人間の姿が見えました。柵の外側と何かを言い争っているようです。その声の調子から男性だとわかりました。

 私は慎重に扉を閉めて台所を出ました。

 

 廊下に出てすぐ、こちらへ向かっていらっしゃるロザリー様に気付きました。

「イラ、君にも聞こえたのだね。危ないから中で待っておいで」

 ロザリー様はいつもとは違う剣をお持ちでした。それがいつかに王から下賜された鉄の剣であることに、私はしばらくしてから気付きました。

「ロザリー様、それは……」

「脅しに使うだけさ。君の畑を汚すつもりはない」

 ロザリー様は勝手口の扉から畑へ降りられました。私は扉を細く開けて、こっそりと外の様子を見ていました。


「そこで何をしている」

 暗い夜にロザリー様の鋭い声が通りました。

「このような夜更けに、何の用かな。……いや、君たちが用があるのはこの畑か」

 ロザリー様はゆっくりと足を進められます。柵の外から様子を尋ねる声が投げかけられました。

「まともにアザミの上に落ちたか。さぞ痛かろうね」

 ロザリー様のそのお言葉には同情さえ滲んでいました。穏やかな声音に柵の内側の男は困惑しているようでした。

「怪我はしていないかい? ……いや、そうだとしても関係はないな。立ちたまえ」

 突然に声の温度が下がりました。外の人間たちもロザリー様のただならぬご様子を察したようですが、内に下りた彼を置いて逃げ帰ろうとは考えなかったようです。


 柵の中の男は棘の痛みに声をあげながらも、よろよろと体を起こしました。

「立て、と言っただろう。早くしないか」

 ロザリー様は彼の胸ぐらを掴み、片腕で軽々と持ち上げられました。苦しそうなうめき声が漏れ聞こえました。

「哀れなものだな。今夜ここを訪れた者どもの中で、君一人だけが棘に苛まれ、こうして無様にぶら下がっている」

 彼はもがいたようでしたが、ロザリー様がその手を緩められることはありませんでした。


 ロザリー様はその男を掴まえたまま無造作に柵の上へ飛び移られました。外の人間がそのお姿を見てざわめくのが聞こえました。

「今回だけは帰してやろう。次にこの屋敷に近づいたならば容赦はしない」

 高い場所に立つロザリー様のお声はひときわ大きく響きました。

 ロザリー様は腕を軽く振られました。間もなくどさり、と音がしました。ロザリー様が掴まえていた男を投げ落とされたのでしょう。その男の名前らしきものが口々に呼ばれました。

「二度と私たちに関わろうとするな。他の人間にも伝えておけ」

 柵の外の様子は見えませんでした。ややあって「去れ」とロザリー様が厳しくおっしゃったのと同時にいくつかの足音が遠ざかっていきました。


 ロザリー様は長い間柵の上にいらっしゃいました。足音がすっかり聞こえなくなると、アザミを踏まないように注意してこちらへ降りられました。

 私は扉を開けてロザリー様をお迎えいたしました。

「覗いていたのかい?」

「申し訳ありません、ロザリー様。気になってしまって……」と私はきまり悪く申し上げました。

「……穏便に済ませられてよかったよ」とロザリー様はため息をつかれました。


 朝になって見てみると、アザミは踏まれていくらか折れてしまっていました。けれども日を経るうちに再び茎はまっすぐ伸びて丸い花を咲かせました。

 野の花のそのたくましさはとても好ましく思えました。


 アザミを持ち帰ってから一月ほど後でしょうか。ロザリー様は月夜の森に亡霊が増えていることに気付かれました。

 おそらくは飢えて死んだ者が森に捨てられ、それが亡霊となっていたのでしょう。ロザリー様が森へ赴かれる頻度は再び増え、代わりにロザリー様と私が夜の散歩へ行くことはなくなってしまいました。

 私の世界はお屋敷の周りと畑だけに縮んでしまいました。人間の侵入を防ぐためではありましたが、柵とアザミは外を見晴らそうとする視界をとげとげしく塞ぎました。


 私はこの窮屈な日々もいずれ通り過ぎると信じていました。一応は外に出ることもできて食べるものも採れるのですから、以前に疫病が流行した時よりは暮らしやすいのだと自分に言い聞かせました。

 ロザリー様は亡霊の退治をなさった翌朝には、決まって私の頬を手のひらで包み込むように触れられました。

「君の健康な肌に触れて安心したいんだ」とロザリー様はおっしゃっていました。私はそれを拒むはずもありませんでした。

 そして、不意打ちのように口づけが降ってきて驚かされることもままありました。

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