棘
私は茫然としたままお屋敷の中へ戻りました。ロザリー様は私に椅子を勧められて台所へと向かわれました。
「ロザリー様、お茶ならば私が……」
「君は座っておいで。その方がいい」
ロザリー様は心を落ち着かせてくれる、甘い香りのお茶を淹れてくださいました。
温かなお茶を口にすると、あまりのことに凍りついていた感情がほどけていきました。ぽたりと涙が手の上に落ちました。
「どうして……。ロザリー様、どうして……!」
ひと雫の涙がこぼれるのを見てしまうと、あとは止まりませんでした。私はカップを置いて声を押し殺して泣きました。
涙が治まる頃にはお茶はすっかり冷めてしまっていました。私は泣き濡れた目を上げました。喉の奥がすっかり窄まってしまったようでした。
「ロザリー様、なぜ、あのようなことが……」
私は掠れた声でお尋ねしました。ロザリー様は沈痛に首を横に振られました。
「イラ……。君の耳に汚らわしい話を聞かせたくない」
「お聞きしなければ納得できません、ロザリー様」
ロザリー様は「イラ」と私の名をお呼びになり、私の手を握られました。
「聞いたからといって、君が納得できるかどうかは別の問題だよ。……どうして君に、人の悪意を教えなければならないのだろうね」
悲しいため息をつかれて、ロザリー様はご自分のお考えを教えてくださいました。
「おそらくは様々な要因があるのだろうけれど……。あのようなことをした人間たちの最も大きな感情は妬みだろうね」
「妬み……」
そういえば以前、アリスも年を取ることのなくなった私を妬んだことがあると言っていました。けれども彼女は決してその感情で私を傷付けようとはしませんでした。
「君が畑仕事を楽しみ、充分な収穫を得ているから……、そうでない者の目には羨ましく映るのだろう」
私の手に重ねたロザリー様の手が小刻みに震えます。
「イラ……。私が許し難いのは、あれが君を不幸にするためだけに行われた所業だということだ。君がそのような敵意を向けられる謂れは全くないにもかかわらず。妬みとはそうしたものだとわかってはいても、私は……」
ロザリー様の手が強く握られました。痛みに思わず声をあげると、ロザリー様は慌てて「ああ、すまない」と手のひらを開かれました。
私は途方に暮れてしまいました。
「ロザリー様、それでは……、私はどうすればよいのでしょうか」
普段と変わることは何一つしていないつもりなのに、このように悪意を向けられるならば、安心して行えることなどないように思えてしまいました。
ロザリー様は私の頭に手を置かれて、やっとわずかばかりの笑顔を見せてくださいました。
「何もしなくてよいよ。けれども強いて言うならば、幸せでいておくれ。君が不幸になっては相手の思うつぼだ」
大切な畑が荒らされたこの時に幸せでいることはとても困難なように感じられました。その浮かなさを申し上げると、ロザリー様は私の髪をゆっくりと撫でておっしゃいました。
「ああ、もちろん対策は考えよう。覚えておいで、イラ。妬みを恐れて幸せを自ら捨ててしまってはいけないよ」
「はい、ロザリー様」
いい子だ、とロザリー様は私の頭を優しく抱き寄せてくださいました。無惨に吹き消されかけていた幸せが胸の内で小さく灯りました。
ロザリー様は何日かかけて、畑に柵を張り巡らせてくださいました。私は柵ができあがるまでの間、残った花やライラックを手入れし、荒らされた畝を整えました。すっかり寂しくなってしまった畑を見ては悔しさに唇を噛みました。
「よもや白昼堂々と来ることはないだろう。夜のうちは私が目を光らせておくよ」
ロザリー様は私を安心させようと笑みを向けてくださいました。
私も畑やお屋敷を守るための方法を考えました。ロザリー様と森を訪れた時、注意してアザミを土ごと持ち帰りました。
お屋敷に帰ってすぐ、私はそれを柵のすぐ内側に植え替えました。
「イラ、そのように棘のある草は危なくはないかい」
ロザリー様は土を掘る私の背中に語りかけられました。
「……棘があるからこそ、よいのです」
私はアザミを植え付けた根元の土を軽く固めてロザリー様を振り向きました。
「ロザリー様、私もこの畑を守りたく思います。もしもこの柵が越えられたとして、アザミの棘が少しは彼らの足を止めてくれるかもしれません」
ロザリー様は「くれぐれも気をつけるのだよ」とほんの少し笑われました。
植えたアザミはどんどん増えて、柵に沿って這うように広がりました。私はアザミが畑にまで伸びてこないように毎日気を払っていました。