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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
XIII 白日
168/213

人間の子供

 アリスは以前、私の暮らしを「おとぎ話のよう」と言っていました。ロザリー様と私の日々はあの時から何一つ変わってはいないつもりでした。

 けれどもいつの間にか私は「いつまでもしあわせにくらしました」で閉じるおとぎ話の外へ押し出されていました。いいえ、むしろ外の人間の世界がロザリー様と私のおとぎ話の世界に踏み込んできたという方がふさわしいかもしれません。


 異国へ派兵されていた男たちが戻ってきたこともあり、街には人がにわかに増えたようでした。

 人間の住処は城壁の外にも広がりました。新しい家や畑を作るために草木が伐り開かれていきました。

 以前にロザリー様が森から人を遠ざけてほしいと王に告げられたためかはわかりませんが、お屋敷を包む森に手がつけられることはなかったようです。けれどもその外縁は更地となり、人間が土を耕して暮らすようになりました。

 ロザリー様は「血を吸うのに遠出をする必要がなくなったよ」と冗談めかしておっしゃっていました。

 私の方はと言えば、森を隔てて人間が住んでいることを意識することもほとんどなく、これまで通りの生活が続いていました。時折はるか彼方から白い煙が立ち上っているのが見えたり、木を伐る高い音が聞こえたりして、かすかに人間の存在を感じました。


 月日が経って、お屋敷のライラックは幾度目かの花をつけました。私は歌を口ずさみながら木の手入れをしていました。

 不意に森の中から枝が踏まれて折れる音がしました。歌を止めてそちらへ目を向けると、2つの瞳がありました。それはこちらを見ている人間でした。森に紛れるような濃い色の髪をした、円い目の男の子でした。

 彼が身動きをすると、また地面の枝葉が鳴りました。私はその音にはっとして、お屋敷の中へ駆け込み、勝手口の扉をしっかりと閉めました。

 知らない人間が森に入り込んでいることが無性に恐ろしく、その日はお屋敷から出ることはありませんでした。


 日が落ちて私の話を聞いたロザリー様は、「君が見かけたという子供はひとりだけかい」とお尋ねになりました。

「はい、ほかに上手く隠れていた人間がいないとも言えませんが……」

「君がひとりだけだと言うのなら、きっとそうなのだろうね。子供、か」

 ロザリー様は厄介だな、と漏らされました。

「これは私の推測にしかすぎないけれど、おそらくその子はまたここへ来るだろう。同じ年頃の友人を連れてくるかもしれない。このようなところに建っている屋敷は、子供にとっては格好の好奇の的だろうからね」

「その……、彼らを遠ざけることはできるでしょうか」

 人間の視線を浴びるのはどうにも落ち着かなく思えてなりませんでした。ロザリー様は難しい顔をなさいました。

「正攻法で来るなと言っても聞き分けないのが子供というものだそうだ。どうしたものだろうね」


 ロザリー様と私はそれから一晩をかけて書物を繰り、子供たちをお屋敷から遠ざける方法を考えました。

「……イラ、もしかするとこの物語は使えるかもしれないな」

 ロザリー様が開かれていたページには、古い森に蠢く魔物の伝説が記されていました。

「怖がらせて追い返すのですね。魔物……というと、亡霊に会わせるなどでしょうか」

 ロザリー様は思わずといったご様子で笑い出されました。

「忘れてしまったのかい、イラ。亡霊などよりも古く恐ろしい魔物が君のすぐ側にいることを」

 人間が作り出した吸血鬼の伝説を存分に利用させてもらうこととしよう、とロザリー様は唇の端を持ち上げられました。

 

 そうと決まってからは、吸血鬼に関する記述を片端から集めました。もちろんロザリー様の実際のご様子とはかけ離れたものが大多数でしたが、ロザリー様と私はあえて人間の作り出した恐ろしい吸血鬼像をそのまま再現することにしました。

「君にも役者になってもらうよ」とロザリー様は書物を広げた机の前に立っておっしゃいました。私もそのお隣に並んで立っていました。

「ええ、もちろんでございます」

 私は二つ返事で申し上げました。

「あの子供が昼間にやって来るのだとしたら私は動けないからね。君が屋敷に誘い込んでおくれ」

「かしこまりました、ロザリー様」


 ロザリー様の白い指先が、机に開いていた書物のページをまとめて繰られました。

「言うなればこれかな。吸血鬼は血を吸った相手を使役できるようになるという……」

 ロザリー様は上半身を私へ向けられました。私の腕を掴んで持ち上げられます。

「君は私のかわいいしもべだ」

 手首の血管に重ねるようにロザリー様は唇を寄せられました。

「ロザリー様の仰せとあらば」

 改まった口調で、私は謹んでその役をお引き受けいたしました。

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