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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
XII 蜜色
164/213

交わす視線

 世の中が平穏になってからは、音楽を聴きに街へ行くこともできるようになりました。

 テイラーの仕立屋で作ってもらったドレスにライラックの香水を香らせて、特別な気分に心が躍りました。

 ロザリー様もいくらかお召し物を新調なさいました。中には私のドレスと生地やモチーフを揃えた衣服もあり、私はそれを見るたびに胸がどきどきしてしまいました。

 聴きに行くのは劇場で演じられる歌劇が主でした。壮麗な舞台に華やかな衣装、そして物語と共に歌われる合唱や独唱。私は劇場へ足を運ぶたびに、目や耳にするもの全てにすっかり心酔してしまいました。

 お屋敷へ帰ってからも音楽は鮮やかに思い出されました。メイドとしての仕事をこなし、畑の世話をする日々は、新しい歌を口ずさむことでより一層輝くようでした。

 

 とある夜の劇場で、私は古い神話に題材をとった悲劇に心を奪われていました。進む道の先には破滅しかないと知りながら歩み続けずにはいられない主人公の男性と、幻影の中に現れる彼の亡くなった恋人が織りなす歌はとても哀しく、それだけに透明で美しいものでした。

 幕が下りて席を立ってからも、私はどうしようもない切なさに駆られて、ロザリー様の存在を確かめるかのようにその腕に強く掴まっていました。

 ロザリー様はゆっくりと歩いてくださいましたが、突然足を止められました。私は半ばロザリー様にぶつかってしまい、小さく声をあげました。

「ロザリー様?」とそのお顔を見上げると、ロザリー様は固い視線を一点へ遣っていらっしゃいました。

 つられてその視線の方向へ目を向け、私にもその理由がわかりました。

 向こうで同じようにこちらを凝視しているのは、何度か音楽会で顔を見たことのある、あの鍵盤奏者でした。


 彼は宝石で身を飾った婦人を伴っていました。彼女に向かって何事かを告げ、鍵盤奏者はこちらへまっすぐに歩み寄ってきました。私はびくりとしてしまって、ロザリー様を頼って身を寄せました。ロザリー様の腕が緊張したのがわかりました。

「久しぶり、ロザリー」

 幼げな声音は記憶と変わるところはありませんでした。

「ああ。……このような所で会うとは奇遇だな」

 ロザリー様はお顔こそにこやかでいらっしゃいましたが、その声には警戒が滲んでいました。

 鍵盤奏者はそれには応えず、「……ねえ」と私へ視線を向けました。身が縮む思いでしたが、その灰色の目はすぐにロザリー様へ戻されました。

「君が連れてる子……、あの時と同じ子なの?」

 不審もあらわに、彼の形の良い眉が寄せられました。ロザリー様は少し声色を明るくなさって、「当然さ。私は君のように浮気性ではないからね」とお答えになりました。

 鍵盤奏者の大きな瞳が驚きに瞬きました。「ロザリー」と彼は口を開きましたが、ロザリー様はそれを遮られました。

「ご婦人をエスコートしている最中に他の女性に目を向けるのは、品が良いとは言えないな。また別の機会にでも旧交を温めようじゃないか」

 ロザリー様は「行こう、イラ」と私を促してその場を後にされました。

 お屋敷へ帰る馬車の中でも、心臓は冷たく波を打っていました。


 それからも鍵盤奏者とは街で幾度か顔を合わせました。彼は見るたびに違う女性を隣に連れていましたが、彼女たちはみなきらびやかに身を飾っていました。

 鍵盤奏者は私のことをロザリー様に尋ねたいような様子を見せていましたが、ロザリー様は毎回巧みにそれをかわされていました。

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