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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
XII 蜜色
159/213

拒む白色

 ある夏の朝に目を覚ましてみると、覚えのある物足りなさが舌の上にありました。ロザリー様の血を頂く時期になっていたのです。

 たっぷりと採れたえんどう豆も、ぼやけた味のように感じられてなりませんでした。

「どうしたんだい、イラ? せっかくの君が育てた野菜じゃないか」

 なかなか手が進まない私を気遣うように、ロザリー様は首を傾げられました。

「あの……、ロザリー様、また近いうちに、血を頂けますか……?」

 ロザリー様は「ああ」と頷いてくださいました。

「新月まではあと10日ほどかな。それまでは我慢していておくれ」

「ええ、承知いたしました」


 新月の晩に、決意とともにロザリー様の血と銀杯の水とを飲み干しました。

 背筋の寒気をこらえて立ち上がります。

「イラ、大丈夫かい」

 ロザリー様が私の肩を支えてくださいました。

「ええ、ロザリー様」

 机についていた手を離して数歩歩いた時、突然目の前が暗くなりました。膝ががくりと折れて体が地に倒れました。

「イラ!」

 ロザリー様が切羽詰まった声音で私の名を呼びます。その腕に抱かれながら、私は寒気に包まれるままに目を閉じました。


 気がつくと、ロザリー様が私の手を固く握っていらっしゃいました。

「ロザリー様……」

「イラ、もう起きて大丈夫なのかい」

「ええ」

 不安の色を浮かべるロザリー様に笑いかけ、私は身を起こしました。なじみ深い自室の様子が見渡せます。

「最近はこのようなこともなかったのに……。痛むところはないかい」

「ええ。心配をおかけしてしまって申し訳ありません」

 ロザリー様は「謝らないでくれ、イラ」と私の指先を優しく撫でられました。


「さて、飲み物でも用意してくるよ。この陽気だし、冷たくて口当たりのよいものがいいだろう。君はそこで休んでおいで」

 言いつけ通りに待っていると、ロザリー様は果汁を絞り入れた白い葡萄酒を持って戻っていらっしゃいました。

 涼やかな酸味が体を洗ってくれるようでした。ロザリー様はベッドの傍らの椅子におかけになって、グラスを傾ける私を見つめられました。

「ロザリー様?」

 私は空けたグラスを置きながらお尋ねいたしました。

「イラ……、本当に体はもう何ともないのかい」

 私は訝しみながらも「はい」とお答えしました。ロザリー様は少し考えられて、再び口を開かれました。

「それならよいのだけれど……。何と言えばいいか……、君がひどく儚い存在に見えてしまってね」

「儚い……?」と繰り返して私は自分の手のひらを見下ろしてみました。もちろん自分の手であることに疑いはありませんでしたが、私もおぼろげな違和感を抱きました。

 首をひねって燭台の明かりに手をかざしているうち、はっと気づくことがありました。いつかに手の甲に負った火傷の跡が消えています。それだけでなく、畑仕事をするうちに作った小さなかすり傷も跡形もなくなっていました。


 そのことをロザリー様に告げると、ロザリー様は「そうか……」と目を見張られました。

「君の肌から太陽の色が抜けたのだね。そばかすもなくなっている」

「まあ、本当でございますか?」

 私は弾んだ声をあげました。ロザリー様はつられるようにお顔を綻ばせましたが、ふと思案の表情を浮かべられました。

「イラ……、君の中の私の血が濃くなっているのかもしれない。人間であるはずの君の体がそのように傷を治し、日光に逆らうとは……」

 私は胸に手を当てました。血液を体に巡らせる鼓動を呆然とする思いで感じました。

「ロザリー様、それでは、私は……」

「まだ確証があるわけではない。ただ、そうだとすれば……」

 ロザリー様は不意に「イラ」と私の名を呼ばれました。

「君をこのような暗い魔の者の世界へ引き込むつもりはなかったんだ。君にはいつまでも金色の朝日や木漏れ日の中にいてほしいと思っていた。イラ……、本当に申し訳ない」

 私はただ首を横に振りました。

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