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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
XI 離反
154/213

調香室

 新しい書物はいくら読んでも減らないように思えました。戯曲や物語や、ロザリー様がお仕事に使われるような植物の知識を記したものもありました。料理の作り方や家事の方法を紹介した書物は、日々のお仕事でとても役に立ちました。

 私は中でも韻を踏んだ詩を気に入り、そらで口ずさめるようになるほど読み返しました。これを歌にしたらどうなるのだろうと思いを巡らせることもありました。


 夕食の後は、ロザリー様と読んだ本について語り合う時間となりました。ロザリー様は夜の間は調香や魔の者の退治といったお仕事をされているというのに、夜ごとに新たな本を読み終えているようでした。

 お屋敷の外に出ることはほとんどできないままでしたが、私は書物の中の果てしない世界に引き込まれて、暮らしの不自由さを忘れることができました。


 読んだ本の中でわからない箇所があると、私はロザリー様にお尋ねしました。ロザリー様は私がどれだけ理解をしているのかを確かめながら、ゆっくりと何でも教えてくださいました。

 ある晩、私はお酒の作り方を記した本の内容についてお訊きしました。

「ふむ……。ああ、これは香水の作り方と似ているな。実物を見た方がわかりやすいだろう。調香室へおいで」


 私は本を抱えて、久しぶりに調香室へ足を踏み入れました。ぐるりと壁に沿うようにガラスや金属でできた様々な器具が床に置かれていました。思わずきょろきょろと見渡すと、ロザリー様は「今は花も咲いていないから、ほとんど使うことはないけれどね」と教えてくださいました。


 ロザリー様は迷いなく足を進められました。私も後に続いていましたが、部屋の片隅に転がるものにふと目を留めました。それは私があの時に森に落としてきてしまった花を摘むための籠に違いありませんでした。

「あら、ロザリー様、籠を見つけていらしたのですね」

 何の気なしに口に出すと、ロザリー様は血相を変えて私を振り向かれました。

「いや……」とロザリー様は曖昧にお答えになり、眉を寄せて籠を見やりました。


「ロザリー様?」

 私が声をおかけしても、ロザリー様は「イラ、それは、その……」としどろもどろになられるばかりでした。

 私は慎重に考え、言葉を選びました。

「ロザリー様、きっと何か理由がおありのことと存じます。籠を拾われたことを私に告げられなかったわけを、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「……君を、森へ行かせたくなかったんだ」

 ロザリー様はぽつりとつぶやかれました。それから気まずそうに言葉を重ねられました。

「実を言うと、あの満月の晩にはもう籠を見つけていたんだ。けれどもこれを渡せば君はまた森へ行きたがるのではないかと思ってしまって、つい隠してしまった」

 ロザリー様が私を信用してくださらなかったことに少しばかり残念な気持ちを抱きました。ですがロザリー様のしゅんとしたご様子を見ると、そのお心を責めることはできませんでした。

「ただ、イラ」

 ロザリー様は私をご覧になって口を開かれました。

「当初こそそう思っていたが、今は君の真心を理解しているつもりだ。けれども……、あそこに転がしておくうちについ忘れてしまっていたんだ。先ほどの君の言葉で思い出した」

「そうでございましたか……。私はロザリー様の言いつけを破るようなことなど、決していたしません。どうぞご安心くださいませ」

「……そうだね。すまなかった、イラ」


 私は「いいえ、お気になさらないでくださいませ」と申し上げて、話を切り替えました。

「さて、ロザリー様、私がお尋ねしたかったのはこの書物のことでございます。お酒と香水とが同じ作り方でできるのですか?」

 私が書物のページを開くと、ロザリー様は明らかにほっとなさいました。

「ああ、それではこちらへおいで。書物に載っているのと似ているだろう?」

 ロザリー様は2つの瓶を細い管でつないだ装置を私に見せて、丁寧に説明してくださいました。装置を熱したり冷やしたりすることで気体や液体を行き来させ、求めるものだけを選り分ける技法はまったく不思議なものでした。

「春になったら、実際にこれを動かして香水をつくる様子を見せてあげよう」

 ロザリー様は最後にそう約束してくださいました。


 長い間お話をうかがった後、調香室を出る際にロザリー様は「また忘れてしまわないうちに、これは君に返しておくよ」と籠を私に手渡されました。

「はい、ロザリー様」

 私は次にいつ使えることになるかもわからない籠を受け取り、台所へ続く勝手口の扉にかけました。

 しばらくの間、勝手口を開け閉めするたびに、そのからっぽの籠は手持ち無沙汰に揺れていました。

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