焔の色
「荷物をまとめてくれ。馬車の手配も頼む」
ロザリー様は王城の召使いに指示をお出しになりました。そのまなじりにはぴりぴりとした苛立ちが露にされていて、声をおかけするのもためらわれました。
馬車が動き出してもロザリー様は押し黙っていらっしゃいました。私はロザリー様のご様子を気にしながら、身を固くして座っていました。
「……イラ」
「はい」
ロザリー様は私の名をお呼びになった後でこちらを向かれました。その口元がほほえもうとかすかに動きましたが、結局は再び厳しく引き結ばれました。
「……すまない。不愉快な目に遭わせた」
「私なら平気でございます、ロザリー様。どうぞ、あまりお気に病むことのございませんよう」
ロザリー様は私から目をそらして、重く首を横に振られました。
「君は、あの言葉が君をどれほど辱めるものだったのかを知らないからそのようなことを言えるのだよ。……あの首を搔き切ってやろうかと思った」
ロザリー様が見下ろすご自身の手はわななき、未だ衰えてはいないお怒りのほどが知れました。
「そんな、ロザリー様……」
「私には造作もないことだ」
淡々とロザリー様はおっしゃいました。私はもう何も申し上げられませんでした。
しばらくの沈黙の後に、ロザリー様は長いため息をつかれました。
「穏便に済ませられればよかったのだが……。おそらく、君にさらに負担をかけることとなってしまうだろうね」
すまない、とロザリー様は痛々しいほどのお口ぶりでおっしゃいました。
「ロザリー様がいらしてくださるのならば、私はそれ以上に望むことなどございません」
ロザリー様はようやくわずかにお顔を和らげてくださいました。
「君はいつもそう言ってくれるね。それならば私も、どのような処分が下ろうと君のことだけは必ず守ってみせよう」
「ありがとうございます、ロザリー様」と私も笑みをお返しいたしました。
馬車から降りてお屋敷へと向かう際に、ロザリー様は「イラ」と私の方を振り返られて、少し苦笑いを浮かべられました。
「どうかなさいましたか、ロザリー様?」
小走りに近寄ると、ロザリー様は片足のかかとを軽く浮かせられました。
「新しい靴を買わなければならないな。靴底が潰れてしまったよ」
私は目を凝らしましたが、夜空の下ではよくわかりませんでした。
「なんとか履けるかと思ったのだけれど、やはりどうにも具合が悪い。今晩のうちに書き付けを作っておくから、明日出しておいてくれるかい」
「かしこまりました、ロザリー様。あの……」
私はおずおずとうかがいました。
「なんだい、イラ?」
「あの時、謁見の間を出る前……、何をなさったのですか?」
「つい頭に血が上ってしまってね。地団駄を踏んだ。それだけだよ」
床の修理費を請求されなければよいのだけれど、とロザリー様はあえて冗談めかしておっしゃいました。あの石の床の欠けはやはりロザリー様によるものだったのだと、私はこくりと唾を飲みました。
「イラ、冷えるといけない。早くお入り」
「はい、ロザリー様」
私は慌ててお屋敷の中へ入りました。
暖炉に火を入れてお茶を飲み、部屋と体とを温めます。
いつものように食堂の机の向かいに座っていらっしゃるロザリー様を見て、ふと疑問に感じることがありました。
数百年を生き、深い思慮と強大な力をお持ちのロザリー様は、なぜ私のような者をお側に置いてくださっているのでしょうか。なぜ私に永い命を与えて下さり、私などのためにあそこまで巡邏兵や王に対して怒りを露になさったのでしょうか。
私は何も知らない無力な女にすぎません。立て続けにロザリー様の魔の者の力を目の当たりにして、今さらながらにロザリー様のお側に置いていただいていることへの引け目を感じました。
その疑問を口にすることはできないまま、私はお茶を飲み干していつもの通りに自室へと下がらせていただきました。
ロザリー様は普段と変わらない優しい声音で「おやすみ、イラ」とおっしゃってくださいました。
翌日、お屋敷のお掃除をしている時に、私はロザリー様が捨てられた靴を見つけました。右足の踵の部分は押し固められたように潰れていて、さらには石のかけらがめり込んでいました。
私は息を呑みましたが、何事もなかったかのように他のものとまとめて捨ててしまいました。