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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
II 街
15/213

美しいもの

 ついにゆっくりと緞帳が上がり始めると、あちらこちらからため息のような声が漏れ聞こえました。

 同時にどこからともなくといった様子で女の人の歌声が聞こえてきました。風に震えるような儚げな声でしたが、その声は不思議と劇場中に満ちわたっていきました。私はその声を聴いた途端、すうっと物語の世界へと引き込まれるように感じました。

 歌っていたのは元となったお話の主人公の、田舎娘でした。劇はおとぎ話の結末の続きを描いたもので、王子様と結ばれてお城へ移り住んだ田舎娘が故郷を懐かしんで歌っているのでした。


 とうとうお城を抜け出してひとり故郷へ帰ろうとする娘と、彼女を心配してたずね歩く王子のふたりが中心となってお芝居は進んでいきました。

 故郷を想うあまり幻影を見るようにさえなってしまった田舎娘は鬼気迫る表情を浮かべ、王子も旅の途中で気を病んで田舎娘や父王に苛まれる妄想に取り憑かれ、ふたりの旅路はまるで、目が覚めても終わることのない悪夢であるかのようでした。


 何度も何度もすれ違いを重ねながらも、それでもついにふたりは娘の生まれ育った村のそばの泉でめぐり会い、美しい旋律の歌を重ね合って愛を確かめ合うのでした。

 劇のおしまいに、王子は毎年美しい野ばらの咲く初夏にヒロインの故郷を訪れることを約束し、ふたりはお城へと帰っていきました。


 素晴らしさに圧倒されてしまい、幕が何度か開いて役者たちが挨拶をし終えてからも私は力の抜けきったように客席に座っていました。

 ふと我にかえった時にはもう、ほとんどの観客は席を立った後でした。ロザリー様は私の隣で静かに待っていてくださいました。

「ロザリー様、申し訳ございません!」

「気に入ってもらえたようでとても嬉しいよ。父親としてね」

「あっ、も、申し訳ございません……」

 ロザリー様は「そろそろ混雑も収まったろうし、帰ろうか」とおっしゃって、私の手を引いてくださいました。


 馬車の中で、私とロザリー様は見たお芝居についてお話をしました。その中で、ロザリー様がしみじみとおっしゃっていた、

「人間というのはすごいものだね。一人ひとりの一生は短くとも、業を受け継ぎ、あのような立派な劇場を建て、先人を超える音楽を奏でてみせる」

というお言葉は私の胸の奥に染み渡り、今でも温かみを持って残っています。


 ロザリー様はそれからも何度か私を街へと連れて行ってくださいました。

 演劇に絵画に、街は美しいものでいっぱいのように思えました。


 とりわけ私の心を惹きつけたものは、歌唱でした。朗々と風に乗ってどこまでも響いていくような独唱も、楽器と絡み合い溶け合っていくような伴奏つきの歌も、空気の色を塗り替えるほど濃密に重なり合う合唱も、どれもすばらしいものでした。


 お屋敷でお仕事をしている時にも心の中に音楽が流れているような気持ちになり、時々はお休みになっているロザリー様のお邪魔にならないように気をつけながら、そっと旋律を口ずさんでみることもありました。

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