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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
XI 離反
142/213

獲物

 まっすぐお屋敷へ帰るのかと思いましたが、ロザリー様は進む方向を逸れられました。

「ロザリー様、どちらへ……?」

「君の憂いを払いにね」

 ロザリー様はお言葉をぼかされました。


 やがて煙の匂いが私にもわかるほどになりました。その鼻を刺すような匂いに心細さを感じて、私はロザリー様のお召し物を軽く握りました。

 ロザリー様は立ち止まられて、私をひときわしっかりと抱かれました。

「イラ。君を侮辱したのは彼らに違いないかい」

 指し示された方に目をやると、かすかな焚き火に照らされて座り込んでいる男性の顔が見えました。それは馬上から私を見下ろしていたうちの一人で、私は「……はい、ロザリー様」とお答えしました。


 ロザリー様は一度頷かれて、私を木の根元に座らせました。

「少しだけここで待っておいで、イラ。何かあったら大声で私を呼ぶのだよ」

「承知いたしました」

 ご自身の銀の短剣と黒いマントを私に渡され、ロザリー様は続けてこうおっしゃいました。

「あまり君には見せたくない光景になるだろうから、こちらを向くのではないよ。もしよければ耳もふさいでおくといい。果たしてどちらが子兎か、思い知らせてやろうじゃないか」

 最後に浮かべられた凄みのある笑みにぞくりとしました。ロザリー様は私が頷いたのをご覧になって、焚き火の方へ向かって行かれました。


 私はロザリー様のマントを頭からかぶって短剣を握りしめ、木の陰で身を縮めていました。

 湿った音と草の地面にものが落ちる音がしました。

 厚い布が切り裂かれて重い金属がぶつかりあうのがわかった次の瞬間には複数の怒声とも悲鳴ともつかない声が飛び交い、またぐしゃりと水気のある音が聞こえました。


 叫びかけたぐうっと苦しげな声が聞こえたかと思うと、ロザリー様の氷のようなお声が耳に届きました。

「安心したまえ、私は獲物をいたぶる趣味はない。ほんの一瞬さ」

 あらゆる叫び声が交錯する中で、そのお言葉は静かであるにもかかわらず、はっきりと聞き取れました。


 やがて、騒がしい金属音と馬の蹄の音が悲鳴まじりに四方へ逃げていきました。私のすぐ横を一人の人間が駆け抜けて行き、私は気付かれないようひときわ小さく縮こまりました。

 

 辺りはすっかり静けさを取り戻しました。

 ぴしゃりと水たまりを踏むような音が近づいてきました。

「イラ」

 ロザリー様からの呼びかけに、私はそっと顔を出しました。

「待たせてしまってすまないね。さあ、帰ろう」

 ロザリー様は私に手を差し伸べてくださいました。その手を取ろうとしたとき、お召し物の袖口に血がべったりと付いているのが見えました。私は強いて怯えを隠してロザリー様の手を握りました。


 月明かりの下、立ち上がってロザリー様のお顔を見上げると、その白いお肌には点々と赤い血が飛び、口元に血を擦った跡があるのがわかりました。

「どうかしたかい、イラ?」

 ロザリー様の微笑みはいつもと変わらずにとても穏やかで優しいものでした。

「あの、ロザリー様、血が……」

 ロザリー様は親指でご自身の口元を軽く拭われました。

「ああ、はしたない姿ですまないね。久しぶりに飽きるほど血を飲んだよ」

 ロザリー様はこともなげにおっしゃいました。


「君の服に血が付くといけないからね」

 そうおっしゃってロザリー様はマントを羽織るよう私に言いつけられました。その通りにするとロザリー様は私の傷に触れないように慎重に私を抱き上げてくださいました。

 ロザリー様の腕の中で、私は震えている自分に気がつきました。マントを固く体に巻き付けてみても、その震えは止まりませんでした。

「……寒いのかい?」

「いいえ、大丈夫です、ロザリー様……」

 ひたすらな恐ろしさを感じていましたが、何が恐ろしいのかは自分にもわかりませんでした。

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