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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
XI 離反
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動乱

 大規模な派兵があり、アリスの夫が海の向こうへ行ってしまったあの時が黄昏だとするならば、これから書くのはおそらく月夜の出来事だと言えるでしょう。私を含めた人間たちが暗さに右往左往している中、ただひとりロザリー様だけが、月の光の下で凛と立ち続けていらっしゃいました。

 実際に、ことの始まりとなったのも満月の明るい晩だったのです。


 それは春も盛りのよく晴れた日のことで、私はいつものように野の花を集めていました。すみれが咲き誇っていて、もしロザリー様からお許しを頂けたならこのうちの少しはお茶にしてみようかと考えていたのを覚えています。

 籠をいっぱいにする頃には日は傾きはじめていて、辺りを金色に染めるようでした。私はそろそろお屋敷へ戻ろうと腰を上げて歩き始めました。


 突然に後ろの木立ががさがさと揺れました。身を固くしてそちらへ顔を向けた時、ぬっと大きな馬が姿を現しました。

「おおい、女がいるぞう!」

 馬上から胴間声が張り上げられると、さらに幾頭かの馬が森の中から近づいてきました。その背にはそれぞれ武張った出で立ちの男性がまたがっていました。

 威圧感のあるその目に見下ろされて足がすくみました。


 先ほど大声をあげた男が馬を私に寄せました。馬上からぐいと背を曲げて私の顔を覗き込んできます。ぼさぼさとした髪やひげが近づいてきて、思わず半歩後ずさりました。彼は黄ばんだ歯を見せてにたりと笑いました。

「家までお送りしやしょうかい、お嬢さん?」

 警戒して固く首を振ると、周りから囃し立てるような笑い声が飛びました。

「そう言わず。この森の中で迷っちまってまして。案内ついでに一晩泊めていただけるとありがてえ」

「ロ……、ロザリー様は、人を招くことを好まれませんので……」

 つばを飲み込み、ようやく小さく答えることができました。

「なあに、俺たちゃあ国境巡邏兵でさあ。王の後ろ盾がある限り、断れませんや」

 このような人たちが王国の兵士なのかと頭が冷えました。この場にいる男たちはみなにやにやと私を見下ろしていました。

「どうしてもってんなら、野営地で一晩俺たちをもてなしてもらいやしょうかね」

 冷やかしの笑いや口笛が湧き起こり、無遠慮な手が伸びてきました。とっさにそれを振り払い森の中へ逃げ込みました。


 背後から笑い声と蹄の音が聞こえます。「子兎狩りだ!」と言い交わしているのがわかりました。

 手が届きそうになると馬足を緩めたり、私の前に回り込んで馬をいななかせて脅したりと、彼らは私を追い回しては楽しんでいるようでした。

 今にも彼らに捕らえられるか馬に踏みつぶされるかしてしまいそうな恐怖心を必死で抑え込み、私は走り続けました。

 馬の通れないような木々の細い隙間をすり抜け、無我夢中に深い茂みを通り抜けました。


 逃げ惑ううちにも太陽は沈み続けていました。長い影とそれに続く夜の帳は私の身を隠してくれたようでした。

 物音や声が聞こえなくなっても、私はひたすら走り続けていました。心臓は今にも破裂してしまいそうでしたが足を止めることはできませんでした。

 岩か張り出していた木の根だったと思います。暗さに足元が見えず、躓いて思い切り転んでしまいました。

 ひざから下をひどく擦りむいてしまい、しばらく動くことができませんでした。うずくまっている間にも鼓動がうるさく耳の中で響き、息の荒さは吐き気を覚えるほどでした。

 再び走り出そうという気はすっかり失せてしまっていました。私は痛む膝を抱えて木の陰に小さくなりました。惨めな思いに涙がこぼれました。

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