大勢の人
馬車で揺られているうちにすっかり日も沈み、長く続く壁が見えてきました。劇場のある街を取り囲んでいるのだとロザリー様に教えていただきました。
門を入ってさらに石畳の道を進みます。夜になっても家々の明かりがほんのりと漏れて、街の様子が見えました。
道行く人が増えてきました。向こうの方がひと際明るく見えます。その場所が、今晩お芝居が行われる劇場でした。
馬車を降りて建物の中へ進みました。
こんなに多くの人を見るのは、思えば幼い頃に王城にお仕えしていた頃以来です。私は慣れないざわざわした雰囲気に不安になり、ロザリー様の腕にすがるように掴まっていました。周りの人びとが私を見て、何事か囁き交わしているようで、足元がふらつくようにさえ感じました。
「堂々としておいで。君は今は貴族の令嬢だろう?」
ロザリー様が私に顔を近づけておっしゃいました。私は顔が赤くなっていくのを感じながらも、言われた通りにしゃんと背を伸ばしました。
「それで良いよ。さすが私の自慢の娘だ」
私は思わず笑ってしまいました。これまでの緊張がふわりとほぐれました。
厚い扉をくぐると、舞台に向けて椅子がずらりと並んでいました。既に座っている人たちの会話が低く響いています。
ロザリー様に促され、劇場のやや後ろの席に座りました。緞帳は下ろされていましたが、舞台全体が見渡せるところでした。
「ロザリー様……」
声をひそめて呼びかけると、ロザリー様はくすりと笑って「お父様、だろう?」とおっしゃいました。
「えっ、その、お、おと……、ええっと……」
どぎまぎしてしまい、ついに「お父様」とお呼びすることはできませんでした。
「イラ、なんだい?」
ロザリー様は今にも声を上げてお笑いになりそうなご様子です。
「その……、いえ、この劇場にはどれくらいの人が入るのでしょう、とふと思ったのです」
私は大変きまりの悪い思いをしながらお答えしました。
「そうだな……、千人ほどは入るのではないかな」
千人、というのがどれほどの大人数なのかよくわかりませんでしたが、劇場の中の椅子全てに人が座っているのを想像すると、途方もない人数に思えました。
いつの間にか、舞台の袖にひとりの人が立っていました。
「紳士淑女のみなさま!」
その人がよく通る声で話し出しました。ざわついていた劇場は一瞬でしん、としました。
「今宵は私どもの舞台にお越しくださり、まことにありがとうございます。どうぞ最後まで、ごゆっくりお楽しみください」
それからその人はまた舞台の裏へと消えてゆきました。
張り詰めたような静寂が訪れました。観客の全員が、幕が開くのを今か今かと見つめていました。