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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
XI 離反
138/213

契約と約束

 久しぶりにペンを手に取りました。彼女の名前を見るとまた泣いてしまいそうで、少し怖かったのです。


 さて、彼女――もう、「テイラー嬢」ではなくきちんと「アリス」と書くことにしましょう――の死と前後するように、国王も代が替わりました。新たな王は先王の悲願を果たそうと躍起になり、より強硬な対外政策を打ち出すつもりであるとの噂のようでした。


 とある日の夕食の席で、ロザリー様は私に「相談があるんだ」とおっしゃいました。

「はい、何でしょうか、ロザリー様?」

「王との契約……、魔の者の退治をどうするかについてなのだけれどね」

「ええ……」

 私はお答えしながらも首をかしげました。新王と契約を結び直すにあたって何か不都合があるのでしょうか。


「私はもう、長年の関係を絶って他へ移り住もうかと考えているのだよ」

 突然のそのお言葉に、私は言葉を発することもできないほど驚きました。ロザリー様はお皿の上のほうれん草のソテーをほんの少しつつかれました。

「ここでの暮らしはおそらく厳しくなる一方だろう。どこへ行こうというあてがあるわけではないけれども、いっそこの国を離れた方がよいのではないかと思ってね」


 君はどう思うかい、とロザリー様は返答を促されました。香水の売れ行きが依然として振るわないものであることは知っていましたし、充分な食べ物が届かない状況は続いていました。

 食卓の薄いスープに目を落とし、私は迷いながら口を開きました。

「ロザリー様、私は……、このままここで暮らしとうございます」

「理由を聞いてもいいかい」

 穏やかな声音でいらっしゃいましたが、その目は私を試すように注がれていました。

「預かっている伝言がございます」

「……彼女のことだね」

「はい」


 アリスの言葉を彼女の夫に伝えなければという使命感が私の中に根を張っていました。彼女がもうこの世にいないからこそ、その思いはいっそう強固なものとなりました。

 ロザリー様は私を気遣わしげにご覧になり、ためらいがちに口を開かれました。

「イラ……。言いにくいのだけれど、おそらく彼女の夫は……」

 私は唇を噛んで首を横に振りました。

「まだ……、まだ、亡くなったと決めつけるには早すぎます。私はできる限り待って約束を果たしとうございます。わがままを申し上げて申し訳ございません、ロザリー様。ですが、どうか……、お願いいたします」

 私は精いっぱいの思いを込めてロザリー様を見つめました。ロザリー様は無理に作ったようなほほえみで私に応えられました。

「君にそう言われては、仕方がないね」

「ロザリー様、ありがとうございます……!」

 嬉しさと感激に笑みがあふれました。ロザリー様は続けて私に言い聞かされました。

「彼女との約束のためにここに留まるのは今回限りにするよ。人間の寿命を考えれば、それはわかるね」

「はい、ロザリー様。承知しております」

 ロザリー様はそこでやっと安堵なさったようでした。

「君が、彼女の夫も永い命を手に入れたかもしれないと言い出したらどうしようかと思ったよ」と冗談半分といったご様子でおっしゃいました。


 この時にロザリー様のお言葉に従って国を離れていれば、違った暮らしが待っていたのでしょうか。ロザリー様と私があのような目に遭うこともなかったのでしょうか。

 それからも長い間あそこに留まっていましたが、アリスとの約束はとうとう果たせないままだったのです。

 過ぎ去った時間を悔いても何にもならないことはわかっていますが、それでもこの時のことを思い出すと、後悔の苦さが薄く広がります。

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