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永いメイドの手記  作者: 稲見晶
X 人間のいのち
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墓前

「イラ、久しぶりに君のドレス姿を見せてくれないかい」

 憂鬱な日々の中で、ロザリー様は突然そうおっしゃいました。

「ドレス……ですか? でも……」

 ドレスを見ればテイラー嬢のことを思い出してしまいそうで、私はそれらをしっかりとしまい込んでいました。

「君が持っていたのはどのようなものだったかな。……ああ、あの真珠のついているドレスがいい」

 ロザリー様はお一人でお話を進められ、「いいね、イラ?」と私に確認されました。

「……はい、ロザリー様」

 私の感傷だけを理由に頑に拒むこともできず、気乗りしないながらもお返事申し上げました。


 部屋に戻り、ドレスの入った箱を引っぱり出します。蓋を開けると金色の生地が目に入り、テイラー夫人やテイラー嬢との会話を思い出してやはり胸がずきりとしました。ロザリー様をお待たせしてはいけないと思い、私はその痛みから目をそむけました。

 コルセットや下着を順番に身に着けると、悲しみの中にいても自然と背筋が伸びました。

 着替えを終えてスカートのドレープが歪んだりしていないかを確かめていると、控えめなノックの音が聞こえました。

「はい、ロザリー様」

 扉を開けるとロザリー様は優しい微笑みを浮かべられました。

「やはり似合うな、イラ」

「ありがとうございます」

 私はわずかに口の端を持ち上げました。


 ロザリー様に連れられて私は廊下を歩き、玄関ホールへ進みました。

「あの、ロザリー様。どちらへ……?」

「馬車を待たせているはずだからね」

 明確なお返事はなさらずに、ロザリー様は扉を開けられました。


 馬車は静かに夜の中を走りました。外は暗く、どこへ向かっているのかもわかりません。私はロザリー様に繰り返し目的地をお尋ねしましたが、お答えは頂けないままでした。

 街へも入らずに、馬車は小高い丘を上り始めました。森閑とした景色にわずかな心細さを覚えました。

 馬車はゆるやかに速度を落として止まりました。

「さあ、降りよう」

 ロザリー様のお手をお借りして、私は馬車から降りました。星明かりの下、やや離れたところに柵が並んでいるのが見えました。

「少し歩くよ。……いや、足元が悪いな」

 ロザリー様は少しかがまれ、私の膝の裏と背に手を添えるようにして私を抱き上げられました。

「ロ、ロザリー様?」

 突然のことに私が戸惑っていると、ロザリー様は「少しの間、失礼するよ」とおっしゃって歩き出されました。


 ロザリー様は迷いのない足取りで柵の前へいらっしゃいました。近づいてみるとその向こうは墓地であることがわかりました。

「しっかりつかまっておいで」

 ためらいながらも言いつけられた通りにロザリー様の首に腕を回しました。

 ロザリー様は少し膝を曲げられたかと思うと、胸の高さほどはありそうな柵を軽々と飛び越されました。

 着地の衝撃に一瞬息がつまりました。

「大丈夫かい」

「ええ、ロザリー様」

 

 並び立つ墓碑をすり抜けるようにロザリー様は歩かれました。この時にはもう、私もロザリー様がどこへいらっしゃるつもりかわかっていました。

「ああ、ここだな」

 ロザリー様はとある墓の前に私を立たせました。彫ってある名前は暗さで読めませんでしたが、それが誰のものであるかは名を見ずともわかりました。

 私は冷たい墓石に語りかけるように触れました。

「考えてみれば、彼女たちに君のドレス姿を見せたことは一度もなかったね」

 ロザリー様は私の後ろで静かにおっしゃいました。

「似合うだろう? ……見せに来るのが遅くなって、すまなかった」

 私ではなく土の下のテイラー嬢に向けられたそのお言葉を聞いた途端、胸の奥から涙がこみ上げてきました。


 墓石に触れて冷えた指先で顔を覆い、私は嗚咽を漏らしました。はめている手袋に濡れたしみができるのも構わずに、彼女の名を呼びながら泣き続けました。

 彼女の快活な振る舞いや仕立屋で交わした会話、そして窓辺で夫の帰りを待つ寂しげな瞳がいっぱいに思い出されて、胸が苦しくなりました。

 テイラー嬢との思い出のほかは何もかも心の外に追いやり、私は一心にむせび泣きました。


 どれほど時間が経ったのかもわかりませんが、やがて力尽きるように嗚咽は弱まっていきました。

「大丈夫かい、イラ。……存分に彼女と向き合えたかな」

「はい」とお返事を申し上げようとしましたが、喉が詰まってしまって声が出ず、私はこくりと頷きました。


 帰りの馬車の中で、私は時折思い出したようにしゃくりあげては目を拭いました。ロザリー様は私の隣にお座りになって、私の肩をただ支えてくださっていました。

 熱い涙と少しの息苦しさは頭の中をぼんやりと痺れさせるようでした。

 馬車の規則的な揺れに身を委ねているうち、熱を持ったまぶたが重くなっていきました。

 私はロザリー様に身を預けるようにして久方ぶりの深い眠りへと招かれました。

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