最後の夜
明くる晩、簡単な夕食を済ませて後片付けを終えました。
ついにこの日が訪れたことを、ロザリー様と私は頷きあって確かめました。
「イラ、あの杯に水を満たしておいで。それと縫い針を一本もってきておくれ」
「縫い針……でございますか?」
「ああ」
少し訝しみながらも私は自室へ戻り、銀の杯と縫い針を用意しました。
食堂へ戻ってみるとロザリー様はいらっしゃらず、机の上に錫のコップが置かれていました。
「ロザリー様?」
杯と針を机に置いてきょろきょろしていると、ロザリー様が扉を開けて入っていらっしゃいました。
「イラ、待たせてしまって悪かったね。これを取りに行っていたものだから」
ロザリー様はお手にしている葡萄酒の瓶を見せてくださいました。
「ロザリー様、それは……?」
うかがっていたお話からは考えにくいものが次々と出てきて、私は首をかしげました。
「杯の準備はできているかい? 縫い針も……、ああ、それでいいよ」
ロザリー様は葡萄酒の栓を抜き、少量を錫のコップに注がれました。
「君は椅子に座っていなさい。銀の杯はすぐに手の届くところに置いて」
申し付けられた通りにしてロザリー様が何をなさるおつもりなのかを見ていました。
ロザリー様は手を伸ばされて机に置いていた縫い針を取り、ご自身の指先を突かれました。そうしてじわりと浮かぶ血の一雫を、指をそらすようにして錫のカップに垂らされました。
ロザリー様の白い指を離れた赤い血がゆっくりと落ちて葡萄酒の中に交じり合っていく様子を、私はじっと見ていました。
「君の舌の上に直接血を垂らすわけにもいかないからね。葡萄酒と混ぜれば、色やにおいも紛れて飲みやすくなるだろう」
ご自身の指先を舐めながら、ロザリー様はそうおっしゃいました。
この時の素直な気持ちを書いてしまえば、私はむしろロザリー様から直接血を頂きたい思いでした。葡萄酒のような不純物も加えず、その指先に唇を触れさせて、ロザリー様のお体の中からしみ出してくる血を直に舐めとってしまいたかったのです。
けれどもそのような過激な感情はおくびにも出さず、「お心遣いを頂きありがとうございます、ロザリー様」と私は錫のコップを受け取りました。
私は目の前の錫のコップと銀の杯を交互に見つめました。
「この血を飲んだらすぐに、銀の杯を空けるのだよ」
ロザリー様は念を押すように私におっしゃいました。
「……ええ、ロザリー様」
ロザリー様と私はじっと顔を見合わせました。
錫のコップの中の赤い液体に目を落とし、私は手を伸ばしました。
覚悟はとうにできていたはずなのに、指先が震えているのが見えました。
一息にロザリー様の血の交じった葡萄酒を飲み干した次の瞬間、私は声も出せずに倒れました。椅子から転げ落ちて肩を打ちましたが、その程度の痛みに気を向ける余裕は全くありませんでした。
まるで茨を飲んだかのように、喉から胸へ、お腹へと内側から切り裂かれる痛みが広がります。口と鼻いっぱいに生臭い血のにおいが広がって、視界は真っ赤に塗り潰されました。
息をするたびに喉を焼かれるようで、私は満足に呼吸もできずあえぎ、身悶えました。
「イラ!」
身を起こされ、後ろから手が伸びて顎に触れました。やや上向きに開かされた唇に硬く冷たいものが当たり、水が流れ込んできました。
ひんやりと清らかな水は激痛を和らげてくれ、私はむせ込みながらも必死で水を求めました。
水を飲み干すと、鼻の奥に焦げ臭い印象が残りました。歯が震えて銀の杯に当たるかちかちという音が、奇妙に耳の中に残っています。
杯が唇から離されて間もなくすると、今度は心臓から全身が凍っていくような寒気に襲われました。
固く身を丸めて目を瞑ります。
浅い呼吸を繰り返しても、その空気が胸まで届いていないようで苦しくてたまりません。思わず何かに縋ろうとして、私はがむしゃらに指先に触れたものにしがみつきました。
自分自身の荒い息がだんだん落ち着いてくるのを聞きながら、私はそのまま気を失いました。