馴染んだ場所
全ての演奏が終わり、周りの貴族があらかた姿を消してから、ロザリー様と私はゆっくりと広間を出ました。
「疲れていることだろうけれど、これから屋敷に帰るよ」
「はい、お父様」
「よい馬車を手配しているからほとんど揺れないはずだ。馬車の中で休んでおいで」
外では肌寒い風が吹いていました。思わず自分を抱くようにして身を縮めると、ロザリー様がさりげなく風を遮るように私の前に立ってくださいました。
召使いたちが荷物を運び入れ終えると、馬車はゆっくりと動き出しました。座席はふかふかしていて、ロザリー様がおっしゃっていた通り、揺れを感じることはめったにありませんでした。
私はロザリー様とお話をしていましたが、だんだんと考えにとりとめがなくなってきているのが自分でもわかりました。
「イラ、少し眠っていたらどうだい。屋敷が近くなったら起こそう」
「いいえ、平気でございます、ロザリー様」
そうお答えしたものの、まぶたは重くなるばかりでした。
「イラ、そろそろ屋敷に着くよ」
肩に手をかけられ、私はぱっと目を開けました。実を言うと、そのとき初めて自分が眠ってしまっていたことに気付きました。
「ロザリー様、申し訳ありません!」
「まったく構わないさ。屋敷に着いたらベッドでしっかりお眠り」
外は真っ暗でしたが、わずかな星や月の明かりから見慣れた森に帰ってきたことがわかりました。
お屋敷に着くと安堵で肩の力が抜けました。
「お茶を召し上がりますか、ロザリー様?」
「いや、君はもう眠っておいで。もう真夜中だ」
お言葉に甘えて下がらせていただこうとした時、「ああ、すまない。少し待っておいてくれ」とロザリー様は私を引き留められました。
そのお言葉に従って玄関ホールで待っていると、ロザリー様は調香室から小瓶を持って戻っていらっしゃいました。
「これを布に含ませて顔をお拭き。化粧を落としたほうがさっぱりするだろう」
「ありがとうございます、ロザリー様」
頂いた小瓶の中身はとろりとした液体でした。
「ロザリー様はお化粧など、女性の物事もよくご存知でいらっしゃるのですね」
感じたままのことを申し上げると、ロザリー様は一瞬苦い笑みを浮かべられました。
「調香師の仕事はご婦人を相手にすることが多いからね。自然と知識も身に付いたようだ。さあ、もう部屋へお行き」
「はい、それでは失礼いたします」
ロザリー様の表情が穏やかなものに戻ったのに安心して私は自室へ戻りました。
お化粧を落とし、いつも着ている服に着替えると、ふうっと力の抜けた声が出ました。
王城のベッドを知った後では私のベッドはほんの小さなものに見えましたが、毛布も枕もすんなりと肌になじんで穏やかに眠ることができました。