昼の居室で
戴冠式は朝から行われたため、ロザリー様はご欠席なさいました。そのため私も戴冠式に出ることはなく、ロザリー様の居室で静かに過ごしていました。
部屋の外ではひっきりなしに人が行き来しているようでした。
「この部屋にふたりでいるのは何年ぶりだろうね」
ロザリー様は花びらのように薄いカップを手におっしゃいました。
「私がほんの子どもの頃でございますね。……あの時は、この椅子に座っても足が床に着きませんでした」
ロザリー様は笑いを含んだ声で私に問いかけられました。
「覚えているかい、イラ? 君がまだ舌足らずだった頃は、私のことをロージーと呼んでいたね」
私は全く覚えがなく、「そうだったのですか?」と目を瞬かせました。
「ああ。私は昨日のことのように覚えているよ」
「お父様、それは……」
永い時を生きてきた吸血鬼でいらっしゃるからでしょうか、と口に出しかけましたが、部屋に控えているメイドを気にして口をつぐみました。
「私に限らず、親ならばきっと誰でもそうなのではないかな」
ロザリー様は的確に私の尋ねたかったことを汲み取ってくださいました。
「本当にすばらしい女性に成長したものだ」
ロザリー様はそうおっしゃると伏し目がちにお茶を召し上がりました。
「すべて、お父様のおかげでございます。ありがとうございます」
私がほほえんで申し上げると、ロザリー様も少し顔をうつむけたまま、唇の両端を軽く上げられました。
メイドの淹れてくれるお茶を飲み、軽食をつまんではロザリー様とお話をして時間を過ごしました。
お昼には豪華な食事が次々と部屋に運ばれました。
ロザリー様が食堂で食事をなさらないことに、部屋のメイドは少し驚いていたようでしたが、ロザリー様が慣れたご様子でいらっしゃったこと、食事係のメイドが部屋を訪れたことから戸惑いながらも給仕を始めました。
どの皿もふんだんに香辛料が使われ、手の込んだものでした。特に煮込んだ仔牛肉は火の通し方が絶妙で、お肉がこれほどおいしく柔らかくなることに驚嘆せずにはいられませんでした。
食事の最後にはとろりとしたチーズを詰めた焼き菓子や、濃厚で甘酸っぱい砂糖漬けの果実が出されました。焼き菓子には真っ白な小麦粉とバターがたっぷり使われていて、口の中でなめらかにほどけていくようでした。
ロザリー様は優雅な表情を崩されることなくお食事を進められていましたが、すみれの花の砂糖漬けを口にされた時にはわずかに目を見張られ、その華やかに広がる香りを長い間楽しんでいらっしゃいました。
やがて部屋の外のざわめきは落ち着いてきました。日もすっかりと暮れた頃合いに、ひとりの使いがロザリー様を呼びにきました。
使いはまだ幼いといってもいい少年で、ロザリー様は彼に優しく声をおかけしました。
「陛下からの呼び出しだね。そうだろう?」
「はっ、はい!」
真面目そうなまっすぐの眉をした使いは、姿勢を崩さずに答えました。
「娘も連れて行った方がいいのだろうかね。君は何か聞いているかい?」
「えっと、それは……」
使いは言葉に詰まって私を見ました。目が合ったかと思うと彼は一瞬眉をぎゅっと寄せてぷい、と視線をそらしました。
ロザリー様は意味有りげな笑みを一瞬浮かべられてから、頬杖をつくような仕草で考えられました。
「あの話ならば……、そうだな、同席者は少ないほうがよいだろう。イラ、君は自分の部屋に戻っておいで」
「承知いたしました、お父様」
ロザリー様はメイドに私を部屋まで送るよう申し付けられると、使いを先に立たせて部屋を出られました。
私も部屋を出て、ふとロザリー様が歩いていらっしゃる廊下の先を見ると、使いの少年もこちらを見ていました。彼は私が見ているのに気付くと顔をそむけ、心持ち足早になってロザリー様の案内を続けました。