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友よ───あとがきにかえて

 何事も降って沸いて唐突に終わる。

 震災と縁もゆかりもなかった神戸が地獄絵図になった。

 そして、自衛隊と言う勇者たちが平和を取り戻した。

 被災者には、一日三度の食事が提供され、いつでも暖かい飲み物にありつける。


 俺たちは、そんな「当たり前」ということの有難みを忘れてしまっていたのかもしれない。

 順番待ちする被災者の中には不平を言う者もいたが、自衛官の丁寧な言葉遣いと物腰で収拾した。

 武装した権力の秩序維持は、素晴らしい。同時に、俺は悔やんだ。

 もっと早く、あの時に来てくれていたら、避難命令が出ている中で、人が殴り合うこともなかっただろう。


「材木屋の兄ちゃん。みかん食べるか?」


 俺が考え込んでいると北尾のおばちゃんが腕に山ほど抱 えたみかんをくれた。

 北尾のおばちゃんというのは、商店街で荒物屋をやっていた人だ。

「くだもん屋に商売替えしはったんですか?」と、俺が冗談めかして言う。

「あはは。総菜屋の息子が何言うてんの。救援で、ぎょうさんくれはったんや。余って余ってしょうがないねん」


 何といことだ。援助物資を持て余した被災者同士が押し付け合っているのだ。

 カップラーメンの箱を二段重ねにして抱えている人がいる。

「なんやねん。どいつもこいつもラーメンばっかり持ってき腐りやがって! わしは歯が丈夫なんじゃ。馬鹿にしとるんか!」

 そいつは段ボールを地面に投げた。

「ほなら、スルメと換えてくれまへんか。ピーナッツもあるよってに」

 通りすがりの人がラーメンを拾い、おつまみセットを置 いていく。


 余剰物資を押し付け合うなど何という不条理か。


 俺は配給が始まった日に材木屋をやめた。必要性がなくなったのだ。

 俺の存在価値はなくなった。

 俺は、他人の不幸を利用して生き延びた。

 こんなジャブジャブ物が溢れる空間に居場所はない。


 しばし、考えて、頼れそうな人を思い出した。


「そうや、古武ふるたけや。あいつやったら何かアドバイスくれるわ」


 勉強がよくできる奴で、俺の数少ない竹馬の友だ。

 人当たりが良く、しんどそうな仕事もあっという裏ワザで楽にこなしていた。

 請け負う時の「ようがす、ようがす」が口癖で、伊東四朗のヨガピン仙人にちなんで「ヨーガス」とか「仙人」とか呼ばれていた。

 何人か弟子もいたようだ。特に奥義を授かるわけでもないが、愛されていたのだろう。


「今ごろ、どこにおるんやろう」


 震災前の記憶を頼りにようやく辿りついた古武の家は、すっかり片付いていた。


「しょうがない」


 俺は、仙人の弟子たちを片っ端から聞き探し回った。


「もしもし? ヨーガスの事なんですけど。あいつは、仙人やし、ピンピンしとるんちゃいますか?」

「ああ、古武さんか。レスキュー隊に助けられて入院したよ」

「えっ、どこの病院です か?」

「今は墓の下や」

「なんでやねん!」

「揺れが来た時、これは大地震やと思って玄関まで走った、まではええよ。本人が言うとった」

「そいで、なんで死ななあかんのですか?」

「最後まで聞け。いつでも二階から逃げられるようにベランダにも運動靴置いてあったんや。ほんまに仙人は用意周到なこっちゃで。

 それが地震でどっか行ってもた。

 しゃあないから玄関まで靴を履きに降りたら、履いたと思ったらドカンや。下駄箱が倒れてきて足が挟まれた。

 ずーっと挟まれてたさかい。なんやらという後遺症が出て死んでもうた」



 挫滅症候群クラッシュシンドロームである。筋肉が圧迫され続けると組織の一部が壊死してカリウムが流れだす。

 圧迫から解放された途端にカリウムが体内を循環してショック死。


「なんでこうなるねん! いっつも、いっつも・・・」

「嶋岡君、お墓参りしたってや!」彼は、泣きながら去って行った。


 俺は、取り残された。この世界すべてから。


「いっつもこうやねん! なんで、こうなるねん、いっつも、いっつも!」


 友だちが極端に少ない俺であったが、最後の頼みの綱が死んでしまえば、どうしようもない。

 俺は、自分の自宅跡まで独り言を言いながら歩いて行った。

 なんで仙人が死ぬねん・・・・・・なんで、みんな死んだ・・・・・・

 俺も死んだらよかった・・・・・・

 な・・ん・・で・・や・・・・・


 俺は、自宅の庭に突っ伏した。泣いた。もうどうでもよかった。

 生き残ったところで、一人ぼっちで、ただむなしいだけだ。

 な・・ん・・で・・や・・・・・


 泣き疲れ、途方に暮れていた夕刻、偶然、職場の上司が来た。

 廃墟と化した自宅跡に体操座りして、夕日を眺めていた時、俺の横にしゃがんだスーツ姿の中年男性。

「もう一度、君の力を貸してほしい」


 彼は、職場の上司で、どこの会社にも必ずいる独善的な男だった。

 社内のコミュニケーションを大切にしろと言っては、会費三千五百円の忘年会への参加を強要したりした。

 会の参加者のほとんどは、事務のおばちゃんだった。

 俺たち独身の男どもは、「うっといのー!」と、ぼやきまくっていた。

 会社が、宴会会場からリベートを取っているのは見え見え。


 宴会後、決まってソープランドへの買春を強要してくる。

 当然、俺は断った。病気を移されたくない。


 そんな上司だったが、英語が得意な俺に外資企業のサーバー管理を任せた。

 彼は、一緒に神戸の夕日を見つめながら、今の会社の実情を話し始めた。

 震災のせいで、出勤できる社員の数が減ったそうだ。

 震災で重症を負った家族の看病のため、行方不明の親族の捜索のため、

 精神的ショックでとても働ける状態にない者もいた。

 会社存続の危機に瀕していた。

「もう一度、君の力を貸してほしい」


 人の温かさっていいな、と思った。

 お決まりの台詞には鳥肌が立つが、人間、一人では生きていけないよ。

 人という字がそうであるように、助け合ってこそ人。

 震災があるまで、そのことに気づかずにいた。

 俺は今まで、なんて幸福な生活を送ってこれたことだろう。

 みんなのおかげだった。

 みんなあってこそ、俺の生活、俺の人生が維持されていた。

 みんなのおかげだった。

 ありがとう。みんな・・・・・・・・・・


 俺は、上司に促されるまま上司の車に乗った。

 会社の白のライトバン。


 俺には、シンデレラ姫のかぼちゃの馬車に思えた。

 田中さん、ありがとうございます。

 あなたは、モーゼです。

 俺は、今まで生きてきて、貴方ほど懐の深い人を見たことがありません。

 田中さん、ありがとうございます。

 こんどこそ真剣に働いて会社に貢献したい。

 こんどこそ、


 しかし、俺は、四十度の体温があった。

 なんか寒い、ただ寒かった。

 俺が着いた場所は、会社ではなく、大阪の大病院だった。

 俺は緊急入院となり、半年間も入院生活を余儀なくされた。

 意識不明の状態が三ヶ月も続いたそうだ。

 検査してみるに、インフルエンザや肺炎球菌、髄膜炎、その他もろもろの菌に冒されていた。

 あんなところでパジャマ一枚で七日間過ごし、不衛生な物を食べたら当然だろう。


 半年後、俺は、晴れて退院。

 俺は生き残ったのだ。やっと思えた瞬間だった。

 俺は田中さんに恩返しすることなく、今までの生活に見切りをつけた。

 体力の問題よりも精神的な限界を感じ、システムの仕事に復帰することを断念した。

 俺はもう、デスマのある仕事は無理だ、と思った。

 多くの死を見て来た、これからは、命を守る仕事をしたい。

 俺は、介護施設で働くことにした。

 さいわにも俺は、みんなに気に入られ、仕事は順調にいっている。


 今は働きながら社会福祉士を目指している。

 恩返ししたくてもできなかった田中さんに報いるかのように、

 俺を支えてくれたこれまでの人たちに報いるため、

 俺を支えてくれた社会に報いるため、

 そして、震災で命を落とした、罪のない人たちのために。

 震災で死なねばならなかったアイリーンさん、

 そして、自分だけが生き残ったという後ろめたさに対する贖罪、

 友人の死のために。





 俺は、時々、原子爆弾のことが脳裏をよぎる。

 あの日本に投下された二つの爆弾、広島にはウラン型、長崎へはプルトニウム型と

 それぞれ違うタイプの原子爆弾が使用された。

 放射線障害を研究するための人体実験であったという説が、定説になりつつある。


 第二次世界大戦当時、アメリカは、気象兵器の開発に成功したという表明をした。

 阪神大震災が起こった時、住民の間で「あの地震は不自然」という声をあちこちで聞いた。

 それから、あの東日本大震災。

 その直後、ミネソタ州元知事が地震兵器の可能性を示唆。


 俺は、広島原爆、長崎原爆、阪神大震災、東日本大震災が、

 一本の線で繋がっているのでは、という疑念を抱く時がある。

 福竜丸の時もそうだったが、どんなに大きな力がもみ消そうとしても、

 事実を消し去ることはできない。


 広島原爆で犠牲になられた十四万人の人たち、

 長崎原爆で犠牲になられた七万人、

 阪神大震災で犠牲になられた六千四百人、

 東日本大震災で犠牲になられた一万八千人、

 ご冥福をお祈り申し上げます。



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