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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

読み切り短編

犬者の覚醒 -Crazy Lotus-

作者: 本宮愁

Crazy Lotus





 きっかけなんて、覚えてない。

 気づいたら、ぜんぶつまらなくて。


 吐きそうな退屈のなかで、浅い呼吸をくりかえしていた。


 なにをしたいわけでもない。反抗したいわけでもない。でも、諾々と従うフツウな日常は、たぶん俺にはあってない。


 それなりにできた。

 それなりにできなかった。


 がんばる理由もみつからなくて。放っておいてくれたなら、みんなシアワセだったのに。


 あれをしろ。これをしろ。

 小うるさい蝿を、まず消した。


 耳を塞いで。目を閉じて。


 ドウシテ、アナタハ。


 ――うるさいよ。


 理由がいるの? 俺が俺であることに。

 因果があるの? ただ息を吸う、だけなのに。


 俺は俺であるだけで、勝手にマトモから弾かれる。


 しらないよ。どうでもいい。


 押しつけがましい多数決。それがなに?

 みんな言ってる。みんなしてる。――ああ、そう。それで?


 押しつけられた枠組みは、俺にはどうにも息苦しい。


 あれをするな。これをするな。

 大人が語る常識を、まとめてゴミ箱に蹴りこんだ。


 あれが普通。それが普通。

 勝手気ままに形作られる共通認識を、せせら笑う。

 なにがマトモか、なんて。主観的にしか決まりゃしないのに。


 振りかざすヒロイズム。

 滲んだ裏側エゴイズム。


 俺が語る言葉は、いつもなにかまちがえている。


 眉間にしわを寄せて、唇を噛んで。ものいいたげな目で、俺を見て。あのひとはいつも、顔を逸らす。


 返ってこない言葉。はね返ってさえ、こない声。


 さきに塞いだのは、耳か。目か。

 俺か。あなたか。


 なにが、ちがうんだろう。

 わからない。ただ、ひとつだけ、わかることは。



 ――どうしようもなく、不愉快だってことだ。





 あのひとに、すこし似ていた。

 ――それだけが、理由だった。



「お、おい、蓮……」



 あせったような声。うるさいなあ。じゃま、しないでよ。



「やめろって、そいつ、……っ死んじまう……!」



 悲鳴のように反響した、その叫びに。

 ようやく、右手をおおう、濡れた感触に気づいた。


 ……キタナイ。


 いつのまにか、紅く染まっていたこぶしを見おろして、胸倉をつかむ左手から力が抜けた。



「くぁ、……っは」



 ひきつれた、掠れに掠れた音が、気管につまりかけながら漏れだす。しらないあいだに、首を圧迫していたらしい。


 開きっぱなしの口から、こぽり、とあふれ出す、血。

 それと一緒に転がりでてきた2本の歯が、俺の腕で跳ねてから、地面に落ちた。


 血。

 あっちこっちに飛び散るアカは、ぜんぶ、こいつ一人が汚したもの。


 あとからあとから、あふれ出て、素敵なアートのデキアガリ。

 キレイだなんて思ったこともないけど、なんか、似てる。


 なんだっけ? ほら、このあいだ。

 きまぐれに出席した芸術の授業で、じじくさいひとが言ってた。

 かっこよさげな、横文字。


 ……ぶらっしんぐ。


 ぶらっ真紅!


 ふぅん。これが、技法とやらだなんて、思えないけど。

 だって、綺麗じゃない。ぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃで、……やっぱり汚い。


 俺には、ビテキセンスなんて子洒落たもんはないから、なにがちがうのかよくわからないけど。


 でも、ちがうんだろう。


 だって、さっきまで笑って、はやし立ててた馬鹿なやつらが、顔真っ青にして震えてる。ガクガク膝ゆらしちゃって。いまにも漏らしちまいそうなくらい、情けない。


 頭ン中、ほんとうに入ってんの? ってくらいチャランポランな面子だから、いままで、俺がすること止められなかったけど。もっとやれ、もっとやれって、騒ぐばっかで。


 でも、今回ばっかりは、だめみたい。失敗した。

 ――なにが、だめだったんだろう?


 きょとん、と目を丸めたまま、首を傾げる。わかんねぇなあ。


 とりあえず、汚いモノをいつまでも抱えている趣味はない。かろうじて、ひっかかってた指先を外すと、ボロ雑巾みたいな人間が、ぼとりと落ちた。


 ……嗚呼。

 やっぱ、似てねぇわ。これ。



「れっん……!」



 三回目の叫びは、もうほとんど涙声だった。


 なにが、こわいの?


 噎せもしなくなった、このゴミ屑?

 血の匂いに引き寄せられてきそうな野次馬?

 ガキンチョをろくに裁けない警察?


 いくつか問いかけてみて、気づいた。

 ――なんだ、俺か。


 こわいから、ここにいたくなくて。こわいから、ここから逃げられない。カワイソウなやつら。



「おい、やべぇって、マジでサツくるぞ。そいつ、どうすんだよ!?」

「くっだらない」

「は、はあ?」

「なに、いまさらビビってんの? 好きにすればいいじゃん。俺には、関係ない。俺は、しらない。そうやって目も耳も塞いで、ついでに口もつぐんで、どっか行っちまえよ」

「蓮!」

「なんで? 正直に言えばいい。見てただけ。なにもしていない。……そう、なにも!」



 ひとり、ふたり。じりじりと後ずさる、形だけのオナカマ。


 上っ面をなでて、軽くつるんで。勝手についてきて、勝手にわめいてた。俺は、それを、放っておいた。そんだけのつながり。


 もう、お開きか。ツマラナイね。



「失せろよ、目障りだ……」



 ひぎぃゃ。潰れたカエルのような声をあげて、ばたばたと去っていく。二人。学校に行く気もないくせに、なぜか制服を身につけた背中をみつめて、なんでだろう? と首を傾げた。


 ……潰れたカエルは、声なんか出せないのにね。





 たいくつ、だった。


 進む意味もみつからなくて。でも立ち止まれたら苦労しない。進む。進む。無気力に。……進む。


 這うような努力もしないまま、ダラダラと足をひきずって。浅い息でも、呼吸をくりかえした。


 気まぐれにふるう暴力は、いつだって、俺を満たしてはくれなかった。


 尻ポケットに手を突っこんで、奥からひしゃげたタバコ箱を取りだす。かろうじて保たれた入り口から、一本抜きだして口に咥えた。


 ……火。


 逆側のポケットをさばくる。小銭がジャラジャラと鳴る。――ない。ガス切れて、捨てたんだっけ。


 さっきのやつらから、奪っときゃよかった。


 見下ろした先に、倒れっぱなしのゴミ屑。足で転がして、身体を裏返す。ためしに、すこしさばくると、100円の使い捨てライターが見つかった。


 カチリ。軽々しい音を立てて、薄っぺらな火が上がる。……十分だ。


 咥えっぱなしのタバコに点火して、ライターは適当に放り捨てた。


 カツカツと転がる音を聞きながら、また、浅い息を吸う。無味乾燥な大気より、もっと悪質なのを。


 結局、すぐに口から離して、ぽつりとつぶやいた。



「……まず」



 カッコつけに吸うやつらから、取りあげてみたはいいけど、特にうまいと感じたことはない。


 ただ、爛れた空気が肺を満たしていく感覚は、なんともいえず不愉快で。それが、くせになる。――もう一度。意味もなく、汚染された息を吸う。空っぽの俺を、もっと空っぽのもので、満たしていくようだ。


 くゆる煙を目で追って、ふと、三人組が言っていたことを思いだした。


 ――そいつ、……っ死んじまう……!



「死ぬの?」



 つぶやいたところで、もちろん、返ってくる声はない。


 もう死んでるのかな、と思ったけど、よく見れば、指先がピクリと動いていた。


 動いてるっていうより、なんていうんだっけ? こう、こまかく、ヒクヒクするかんじ。けーれん? ――たぶん、そんなの。


 とりあえず、まだ生きてはいるらしい。そんなに簡単にくたばれたら、誰も死ぬのに苦労しない。


 俺は、そんな苦労、しらないけど。


 なんだか急につまらなくなって、吸いさしのタバコをソイツの上に投げ捨てた。





 さあて、どこへいこうかな。


 ああしろこうしろって、うるさいのはごめんだけど、無音の空間は好きじゃない。


 誰かに従うのは嫌いだし、従えるのも面倒くさい。迎合、受容、まっぴらごめん。だけど、独りじゃ、行き先さえ決まらない。


 ――嗚呼。たいくつ、だ。


 アクビが出る。適当に伸びをして、凝った筋肉をほぐした。閉ざしたまぶたの裏に映るのは、――大っ嫌いな、あのひとの顔。


 ほかの表情なんて、思いだせないのに。


 おそれたような、さげすんだような、色をなくした瞳が。ひきつった口もとが。俺を、とらえて離さない。


 どうして、あなたは。


 つづきは、もう、思いだせない。震えた声。震えた唇。たぶん、あのひと自身も、震えていた。


 薄らと開けた視界には、代わり映えのしない、すさんだ路地裏の風景。ちょっとばかし赤が強いけど、そんなことは大したちがいじゃない。


 どこにいっても。なにをしても。

 結局、俺の世界は、変わらない。


 あーあ。邪魔なゴミを、足で道のわきに寄せた。簡単なお片づけ。掃除までしていく気はないけど。


 陽が落ちてきた。夕焼けの保護色でよくわかんないし、暗くなれば、もっとわかんない。


 こいつ、死ぬかなあ。


 まあ、いまも死んでるようなもんだから、そんなに変わらないだろう。


 ……お腹がすいた。


 遠いビルの影に沈む、赤い夕日を眺めながら、麻婆豆腐が食べたいなあと思った。とびっきり刺激的なやつ。


 中華料理店。あったかな? 表通りに出れば、みつかりそう。


 歩きはじめてから、シャツに散らばる斑点に気づいた。こんなとこまで、ぶらっ真紅。はた迷惑な、芸術家きどりの作品展。


 まあ、いいか。だって、ゲージュツだし?


 麻婆豆腐を思い浮かべる。肉がいっぱい入ったやつ。行き先は決まった。鼻歌をうたいながら、ダラダラと足を運んでいく。


 ひきずるように、一歩一歩。

 なんてことのない、俺の世界を。


 ……たいくつ、だ。





 表通りに近づいたとき、せわしない往来の雑音にまじって、ひと組の会話が聞こえてきた。近い。不思議と、そのなかで、ひとつの声だけがクリアに響いた。


 立ち止まる。薄暗い路地で、ぴたりと足を止めて、ぽけーっと、その声に耳を済ました。



「ほんとうに、こっちなんだろうな? ソラ」



 高くもなく、低くもなく、男女どっちかも微妙なラインの、よく通る声。なにが特別なのか、わからないけど。



「まちがいないって。俺の鼻がそう言ってる」

「お前の発言は当てにならない」

「鼻だって、鼻! 嗅覚! ね? ハヤテ」

「……つまり、カンだろ」

「ひっどいなあ。俺の鼻はウソつかねーのに」

「全身問わず、お前の発言は当てにならねーよ」



 あきれた声色。すこしの笑いを含んだような。包みこむように優しくて、どこかさびしい。


 そして、俺の目の前を、横切るヒト。



「あ……」



 一瞬。細い路地の出口から、そのひとの横顔をみた。暮れなずむ明かりを一身に浴びながら、通りすぎていく。


 眉を傾けて、ほんの少し目もとを下げて、口の端を持ちあげて。

 笑ったような、困ったような。


 どきり、と心臓が脈打つ。――世界が、動いた。壊れた時計の針が、とつぜん傾くような。衝撃に、声も出せない。


 艶やかな黒髪を、風にゆらして。

 長く伸びた一房が、そのひとの軌跡を追うように、ふわりと漂う。


 毛先が、視界から消え去るまでの、ほんの短い時間。


 まるで、その一点だけにスポットライトが注がれていたように。俺の目は、釘づけになっていた。



「……だ、そうだ」

「うっそ、ハヤテも同意見? またまた、冗談いっちゃってー」



 そのひとを、追うように、もう二人。茶髪の男たちが横切っていく。たぶん、同い年くらい。


 薄茶の方は、銀メッシュ。しかめっ面で、不機嫌そうに。

 濃茶の方は、金メッシュ。ゆるく笑いながら、となりの男をつついている。


 対照的な位置に、ひと束のメッシュを入れた二人組。――派手な色彩に、ピンとくるものがあった。



「タカザキハヤテと、マミヤソラ……?」



 となりの校区の有名人。この辺をフラついてれば、いやでも耳に入ってくる。俺でさえ、名前を知ってる、変なやつら。


 手が付けられなくて、手のかからない、問題児。……届くのは、意味不明なウワサばかり。


 ――じゃあ、そいつらと一緒にいる、あのひとは?


 ふらり、と誘われるように足が出る。

 すこし先から、また、あの声。



「なにしてんだ、お前ら……」



 理由なんてない。因果なんてない。

 ただのカン。俺の、鼻が、――全身が、訴えた。



「だって、ハヤテが」

「俺に責任転嫁するな」

「チヅルー。ハヤテが冷たいー」

「……うざ」



 チヅル。口のなかでそっと、反唱する。チヅル。チヅル。チヅル。あのひとの名前。


 そこにいけば、きっと、息が吸える。

 いままで考えたこともないくらい。深く。深く。



「なんでもいいから、早くしろよ。ソラが言いだしたんだろ? 中華食いてぇって」

「だって、血のニオイがしたんだもん」

「かわいこぶるな、きもちわるい」

「つーか、意味わかんねぇ……」



 全力で、汚れたコンクリートを蹴りつける。一秒が惜しい。だって、こんな夕焼けは二度とない。


 忘れてしまう前に。ほつれてしまう前に。交わった。この一瞬を逃したら、俺の世界は固まったまま。


 それは、奇跡のような邂逅。





「――チヅル!」



 飛びだしたついでに、じゃまな二人組をかき分け、押しのける。むだに背が高いから、ほんと、じゃま。



「な……」

「うわ、ちょ、なに」



 雑音は、耳に入らない。



「は……?」



 ふり向いたそのひとは、涼やかな目もとを、丸く見開いていた。


 真っ黒な瞳のなかに映る、俺の姿。適当に脱色をくりかえした金髪が、はっきりとわかる。


 ――歓喜。


 よくわかんないけど、なんか嬉しい。

 チヅルのなかに俺がいる。それだけで、すごく高揚した。


 チヅルは、どこか呆然したまま、パチパチとまばたきする。――生きてる。ホンモノだ。ニセモノなんか、しらないけど。


 似てない。どこも似てない。正反対じゃないかってくらい、似てない。誰とだなんて言うまでもない。俺が覚えてる顔は、ひとつだけだ。


 みょうに嬉しくなって、にへら、と笑ってみた。うまく笑えなかったみたいで、チヅルは、ますます固まった。


 うん、だめだ。俺、笑顔なんて、練習したことないし。表情筋って、鍛えられるんだっけ? でも、俺が笑うと、みんな震えるから、きっとムダ。



「なんだ、こいつ」

「うわー、血だらけ。鉄錆とタバコのニオイ。……発生源、コレ?」



 雑音がうるさい。

 耳ざわりだから、黙らせよう。


 スゥ――と表情が抜けおちていったのがわかった。そのまま、ふり向こうとしたら、チヅルの口が動きだしたので、やめる。



「どうして、お前」



 俺をしばる、声。

 そうか、……あのひとに、似てるのは。


 納得。でもまあ、どうでもいいや。

 きっかけなんて、ささいなこと。そんなことより、いまは――。



「麻婆豆腐、食べたい」



 ぽかん、とふたたびチヅルのあごが落ちるのが、みえた。


 うしろで、雑音のどっちかが、プッと噴き出した。チヅルは、固まってる。ならいいか、と思ってふり向いた。こんどこそ。


 うつむいて、肩をふるわせているのは、金メッシュ。マミヤソラ。全体的にチャラチャラしてる方。頭軽そう。


 ……でも、それより。



「っなんだ、それ……!」



 もうひとりの銀メッシュが、爆笑しはじめた。腹をかかえて、おおげさに。タカザキハヤテ。まともそうな方。黙ってれば。


 ああ、……うるさいな。


 やっぱり黙らせよう、と思って踏みこんだ途端。――みるからに頭軽そうなチャラ男に止められた。


 それ以上ないくらい、絶妙なタイミング。掴まれた手首を、ギリギリと締めつける力がハンパない。


 見上げたマミヤソラの顔は、笑っていた。さっきまでとは、がらりと雰囲気を変えて。軽さの欠片もない。すごく、愉しそう。玩具をみつけた、子どものような。


 おもしろい。掴まれたままの手首をかえす。俺も向こうも本気じゃない。簡単に外れた拘束は、赤い跡を残していた。


 指先に、しびれ。骨まで絞られた感覚が、まだ残っている。


 これは、ひさびさに、いい獲物。強い相手とやりあうのは楽しい。ぎりぎりのスリルは、たいくつを吹きとばす最高のエッセンス。


 クスリ。勝手に漏れだした笑み。それをみて、マミヤソラは、わざとらしく眉をあげた。



「ウワサ以上にイッてるね、狂犬ケルベロス

「なにそれ」

「お前、有名だよ。金髪アシメに泣きぼくろ。気まぐれで、躊躇をしらない危険人物」



 マミヤソラは、笑っている。にやにや、にやにや。なにが愉しいのか、しらないけど。



「――なあ、ヒヤマレン?」



 嗤うマミヤソラのとなりで、タカザキハヤテは、まだ笑っている。



「ヒヤマって、氷山って書くんだろ? めずらしい苗字だよな。全国的にも、かなりすくない」

「なにが言いたいの」

「お前、あれでしょ? 警察官僚の不良息子。一時期ウワサになってたのに、さいきんはパッタリと止んだね。金でも動いたかな」





 ちらり、とみたマミヤソラの瞳は、やたらとギラギラ光っていて、目を合わせたことを後悔した。


 獲物をなぶるような眼。ものすごく愉しそう。――なにが楽しいのか、わからないけど。



「しらない」



 おざなりに答えると、拍子抜けしたように、マミヤソラが目を丸くした。



「自分のことじゃねーの?」

「興味ない」



 即答すると、マミヤソラは、こんどこそ黙りこんで、まばたきをくりかえした。


 俺は、捕まらない。それだけ理解してれば、他はどうでもいい。勝手にしろ、ただし帰ってくるな、と言われた気がする。


 俺が家にいると、あのひとの体調を乱すから。なんだっけ? 心身のバランスが崩れる? ――まあ、とにかく、そんなかんじ。



「へえ。――ハヤテ、こいつ、やっぱおかしいわ。おもしろい」

「いや……麻婆豆腐からして、ぶっ飛んでんだろ……!」



 ようやく、俺から逸れたマミヤソラの視線は、となりのタカザキハヤテにうつった。まだ笑ってるし。なに、こいつ。


 ――麻婆豆腐が食べたい。


 空腹感を思いだしていると、後頭部にガツンと衝撃。



「いってぇ!」



 叫び声をあげたのは、俺じゃない。

 衝撃に、うつむいた顔を持ちあげると、タカザキハヤテが、座りこんでうめいていた。



「いつまで笑ってんだ、馬鹿」



 ――チヅルだ。


 いつのまにか、俺のまえに移動していたチヅルが、ついでにマミヤソラも蹴りとばす。さりげない動作だけど、完全に腰が入ってた。……あれは痛い。



「おかしくない? なんで俺まで蹴られたの?」

「お前が原因だからに決まってんだろ」

「横っ暴! うそでしょ、どう考えたって原因はソイツ」



 ずびし、と指さされた俺は、一連のながれをぽかんとみつめていた。なに、この茶番。ていうか、俺も、なぐられた?



「全員、同格だっての」



 鼻を鳴らしたチヅルが、俺のほうに向き直る。



「レン、だっけ? お前、着替えてこいよ。さすがに、その格好で食事は無理だ」



 とうぜんのように話をふられて、わけがわからなくなった。


 だまって固まってると、チヅルは、いつまでしゃがんでんだ、とタカザキハヤテを蹴った。あれも痛そう。



「ああ、家に帰れねーんだっけ? いいや。――ハヤテ、上着脱げよ。前閉めれば、なんとか、ごまかせるだろ」

「なんで、俺」

「いいから、早く」



 チヅルの剣幕に押されて、タカザキハヤテは、ため息をつきつつ上着をぬいだ。それを、投げわたされて、反射的にキャッチする。



「え?」



 なに、これ。



「麻婆豆腐が食いたいんだろ?」



 いたずらっぽく笑う、チヅル。

 あきれた顔をしながら、おとなしく控える、タカザキハヤテ。

 にやにや笑いを貼りつけた、マミヤソラ。



「……チヅルが認めちゃ、しかたねーだろ」

「まあ、いんじゃない? 野犬を飼いならすのも」



 なに、こいつら。



「意味わかんない」



 思わずつぶやいた俺に、お前が言うな、と三方向からツッコミの嵐。


 ほんとうに、意味がわからなくて、――それで。

 わきあがる予感に、どうしようもなく口角が上がる。


 ――たいくつ知らずの、日々がはじまる。

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