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海風と晴天(1)

田舎の夏は兎に角煩い。

あらゆる方向から聞こえる蝉の鳴き声ももちろん、夕方に鳴き始める蟋蟀だって。

私はそれが、昔から嫌いだった。

「あっつ......」

今年の夏は最高気温を記録しているらしく、明らかに時代に取り残された最寄りの駅は屋根の影にいても蒸し暑い。

クーラーがあれば良いのに、と何度も思うがこんな駅にそんな贅沢なものはない。強いてあるとするなら、柱に取り付けられた首も回らず弱々しく羽を回す古びた扇風機のみ。涼しさを得たくても得られないこの状況で、希望となるのは電車だけだ。でも今はただ、この暑さに耐え抜かないといけない。それを理解しても耐え難いことには変わらず、灼熱の太陽に敵意を向けていると不意にスカートのポケットから着信音がけたたましく鳴る。

『渚ー? 生きてるー?』

応答すると、一言目に生存確認された。

「生きてるよ。たった今召されそうだけど」

『抗わないで潔く召されたら?』

生存確認したくせに黄泉へ逝くのを勧めるのはどうかと思って物申そうとしたが、そんな体力は残っていないので諦める。

『ありゃ、反論しないということはほんとに弱ってるのか。まあいいや。今日部活ないしどっかで食べに行こうよ』

「それ学校で言ってもよくない? わざわざ電話で言わなくてもさ」

『別にいいでしょ、充電以外減るものないし』

「そうだけどさ......」

『兎に角、早く学校来てよねー。じゃっ』

プツッ。ツー、ツー。

無理矢理通話を切られ、私は耳からスマホを離す。初めて会った時からああいう性格なのだ、私の親友は。

「今日はどこで食べて帰ろうか......」

夕食に思いを馳せながら、私は丁度良いタイミングでホームに停車した電車に乗り込む。

車内は程よく冷房が効いていて、暑さで汗ばんだ身体を冷やしてくれる。

私はいい感じの座席が空いているのを確認し、すぐさま車両端のボックスシートに陣取って鞄を横に置く。

この車両には同じ制服の子が二十数人いて、いくつかのグループになって談笑してたり、一人でスマホを見ていたりしていた。昨今は風景を見ずにスマホばかりに目を向ける人が多いな、と思いながら私は車窓から海を眺める。地元、千代浜町は周囲が山で、正面が太平洋という立地の、対して目立ったものが無い辺鄙な田舎だ。そんな田舎でも、海だけはいつ見ても綺麗なもので。私は通学する時、決まって車窓から海を眺めている。ただ静かに、夏の陽光で煌めく海を綺麗と思いながら。

「——君は、海が好きなのかい?」

ふと、凛とした綺麗な声が聞こえた。

誰かが誰かに話しかけているのだろうか。どのみち私には関係のないことだ、聞かなかったことにしよう。そう思いながら海原を眺めていると、

「無視とはなんとも酷いな、これから仲良くしようというのに。君に言ってるんだよ、えーと......櫻峰高校の女子生徒さん?」

櫻峰、という言葉に反応してしまったのが運の尽きなのか。私は思わず声のした方を向いてしまった。

「君、ここら辺の人でしょ? 美味しい食事処はある?」

とても初対面とは思えないような口振りで話しかけたのは、髪が少し長めで櫻峰高校の制服を着た男子生徒。

見たことがない顔だから他学年の生徒だと思うが、明らかに初対面への接し方を間違えている。仮に後輩だとしたら、下に見られているようで苛つく。

「......誰?」

「僕のこと? まあいずれ分かるから楽しみにしといてよ」

「......」

私の機嫌が今よりも悪ければ、彼にグーパンチを食らわせられていたのかもしれない。実際にやれないのが本当に残念だ。

「そんな事よりも、君の名前を教えておくれよ」

「なんで知らない人に名前教えなきゃいけないの」

「自己紹介ってそういうものでしょ? 僕の名前は今日の内に分かるから、先に君の名前を教えてよ」

「......」

なんなんだ、この人は。初対面で異様に馴れ馴れしいし距離感がおかしいし、関わると面倒くさいタイプの人か。

心の中で罵倒しつつ嫌悪感を露骨に表すが、ここで名前を教えなければもっと面倒くさいことになりかねないので渋々教える事にした。

「......汐瀬、渚」

「汐瀬渚。良い名前だ、君に似合っている」

口説くような、そんな口調で彼はそう言った。女誑しならこの場で痛めつけておこうかと思ったが、流石の私も彼とは違い初対面の人にそんな事はしない。

だがいくら違えど初対面で気安く話しかけられたのは嫌だったので、とりあえず無視をする。

「僕も最近こっちに引っ越してきたんだ。親の仕事の都合もあるけど、一番の目的はここが自然豊かだからね。両親揃って植物が好きだからここに引っ越してきたんだ。それで——」

彼は訊かれてもいないのに、勝手に身の上話をし始める。千代浜町に引っ越してきた経緯、引っ越し前に住んでいた街の事、そして自身の家族の事。

基本的に私は他人の話に興味を持たないようにしていたが、それでも聞いているうちにいくつか気になる点があった。

まず一つ、彼が私の家の近くに引っ越してきたという事。そしてもう一つ、千代浜町の伝承について調べているという事。その事について訊いてみると、彼はこう語った。

「江戸中期、漁業や農業を営んでいた猿遠村(後に千代浜町となった。継いだ村長が敗戦を機に改名したらしい)に住んでいた子供達が、ある日遊びに行ったきり戻ってこなかったんだ。それを心配した子の親達が三日三晩山林や子供達が遊びに行った場所をひたすらに探し回ったらしい。でも見つけられたのは子供に持たせていた金銭が入った小袋だけ。それ以外の成果は何もなく、村人達も半ば諦めていた。そんな時、村の浜辺でその子供達が現れたんだよ!」

彼は興奮気味に千代浜町の逸話を語ると、落ち着きを取り戻す為か深呼吸をした。

「ごめんね、こういうのを語るといつもこうなるんだ。許してくれると嬉しいな」

「ああ、そう......」

変な人だな、と思っていると、タイミング良くアナウンスが入った。

『次は鳴雨駅、鳴雨駅です。お出口は右側です。お降りの際は、忘れ物の無いようにご注意下さい』

駅員のアナウンスを聞きながら、立ち上がって鞄を肩に掛ける。彼も少し遅れて立ち上がり、リュックを背負う。

「もう降りるんだ?」

「もう降りるって、学校から近い駅が鳴雨駅なんだから当然でしょ」

「そうなんだ。じゃあ道中話の続きでもしようか」

「嫌だ。そんなに誰かと話したいなら向こうの子達と話せばいいでしょ」

「冷たいなぁ、僕は君に興味あるってのに」

冗談めかしく言う彼の表情になんとなく苛立ってしまい、私は棘のある、しかし言い過ぎないように気をつけながら言葉を選び、彼の方を向いて言う。

「私は一人でいるのが好きなの。君は、私以外の人と仲良くしといた方がいいよ」

彼にそう言い残し、私は小走りで電車から降りた。


——私立櫻峰高等学校。

山を挟んだ先の西丘町にある、至って平凡で偏差値がそこそこの公立高校だ。

「渚おはよ、今朝はちゃんと起きれた?」

「心配しなくてもちゃんと起きれたよ、飛鳥」

「そりゃ良かった」

教室に入ると、早速出迎えたのは親友の友成飛鳥。私とは真逆の性格で、活気溢れる体育会系だ。

「あ、それでさ渚。どこ行くか決めた?」

「? 何のこと?」

「もう忘れたの? 私電話で言ったじゃん、放課後どっかで食べようよって」

「あー……」

しまった。あの変な人のせいで完全に忘れてた。やっぱり登下校は一人でいるに限る。

話しかけてきた彼に最大限の恨みを向けつつ、飛鳥に「ごめん、考え事してたから忘れた」と言い訳をする。親友に嘘をつくのは些か胸が痛むが、仕方のないことだ。

「考え事ぉ? あの渚が?」

すぐに怪しまれた。普段嘘をつくことがないからか、ただ単純に嘘をつくのが下手なだけなのかが分からないが、どうしてこんなにも早く怪しまれるんだろう。不思議だ。

飛鳥が視線でかけてくる圧を完璧に防ぎつつ、私はカバン掛けフックに鞄の持ち手を掛けて席に座る。

「......あっ、そうそう。渚聞いた? 今日福岡から転校生が来るらしいよ」

思い出したかのように、飛鳥は私に言った。

転校生。期末試験後に来るのは少し珍しいな、と思いながら首を横に振って相槌を打つ。

「漫画だとイケメンだったり美少女だったりするのが定番だけど、やっぱ今日くる転校生もそうなのかなぁ」

「飛鳥、もしかして彼氏とか作ろうとしてるの?」

「ん? いやぁ、全然。私まだ好きな人いないし」

「なら何で転校生にそんな期待を寄せてるの」

「渚にもない? 恋愛漫画みたいな展開が起きるのを期待するの」

「ないよ。そもそも恋愛漫画みたいなのは私とは縁遠いし」

「つれないなぁ」

唇を尖らせて言う飛鳥。それが少し面白くて、私が「はは」と声を漏らして笑うと飛鳥が「笑ったな〜」と恨めしく言いながら私の両頬を軽くつねる。そうして飛鳥とじゃれあったり談笑したりして過ごしていたら、教室前方のドアがガラガラと音を立てて開いた。

「みんな席についてー。HR始めるよー」

二年三組担任の尾川先生が大声で言いながら、教卓に名簿を置く。クラスメイト達はそそくさと自分の席に戻り、飛鳥も「じゃっ」と言って席に戻っていった。

教室が静まり返り、担任は咳払いをして全体を見回す。

「えーでは、HRを始める前に、皆さんに紹介したい人がいます。入ってきて」

尾川先生が扉に向かってそう言うと同時にガラッと音を立てて扉が開き、噂されている転校生が教室に入ってきた。

私は、正夢でも見たかのような錯覚に陥ってしまった。目の前の光景が、とても信じられなかった。

「では、自己紹介をお願いします」

「はい。えー、ごほんっ。皆さん初めまして」

彼は、凛々しく綺麗な声で、ハッキリと言う。

「先日福岡から千代浜町に引っ越してきました、篠宮遥です。これからどうも、よろしくお願いします!」

——事実は小説より奇なり、とはよく聞くけど、本当だったんだな。

そんな事を思いながら、私は聞こえてくる言葉をただひたすらに流していった。


         *


今時開放されていることが少し珍しい屋上に来て、私は古い屋根の下にあるベンチに座る。

飛鳥が用事でお昼ご飯を共にできない時、大抵の場合私はここに来る。学校の食堂と比べたらかなり静かで一人でいられるから何気に気に入っている場所だ。

「いただきます」

手を合わせ、膝の上に置いた弁当箱の蓋を開ける。中には適当に詰めた冷凍食品と、昨日の夕飯の残り、そして二つの塩おにぎりが入っている。栄養と彩りを無視して作った完全手抜きの弁当だ。

箸を持ち、端の方に入れておいたほうれん草のお浸しを摘んで口に運ぶ。味がよく染み込んだほうれん草は美味しいが、少しだけ味が濃ゆい。つけ過ぎたな、と思い、反省する。

「——こんな所にいたんだ、探したよ」

不意に遥の声が聞こえ、少しだけ良かった気分が台無しになる。

私が声のした方を向くと、今日クラスメイトとなった篠宮遥が既にベンチの左側に座っていた。それも手ぶらで。

「電車の中でした話の続きでもしようかと思って、君......じゃなかった。渚さんを探してたんだ〜」

「下の名前で呼ばないで。馴れ馴れしいのは嫌だから」

「おっと、それは失礼」

揶揄うように謝罪してくる遥に少し苛立ってしまうが相手してもどうせ揶揄われるだけだと思い、無視して昼食を食べ進める。

一方で遥は何やら胸ポケットから手帳とシャーペンを取り出して、手帳に何かを書き留めながら、「ところでさ」と言って話を続ける。

「あの話の続きなんだけど気になったりしない? 今逸話の事について色々推測しているんだけど、話そうか?」

「どうでもいいオカルト話されるくらいならオールドメディアの誤情報かプロパガンダを垂れ流しで聞いた方がマシ」

「僕のどこが嫌いなのかな、君は」

「強いて言うなら全部」

「ひどいなぁ」

そう言いつつも、遥はやはりヘラヘラとしている。その様子がどうしてか気に食わなく、理由もなしに私は遥を睨む。対照的に遥はニコニコと笑顔で話せるタイミングを探っているような仕草をしていて、その様子を見て心底呆れてしまう。

「......篠宮君は相当の変わり者だね、私なんかと接するなんて」

無意識でそんな事を言ってしまい、後々になって自分の発言の酷さに気づく。

昔からの悪癖だ。自分と関わろうとする人を不本意で貶してしまう、悪癖。

遥が真顔になったのを見て、怒らせてしまったな、と思い自責する。

「ごめん、なんでもない」

なるべく口調は変えず、でも目を逸らして遥に謝る。怒らせてしまったなら申し訳ない。でも、私と関わるくらいなら他の人と関わっていた方がいい。これも遥の為だ。

そんな事を考えていたら、突然遥が笑い出した。声をあげて、心の底から面白かったかのように笑った。その様子を唖然としながら見ていると、遥は数回深呼吸を繰り返す。落ち着きを取り戻せられたのか、遥は海のように深い色の瞳を向けてから、私の目を真っ直ぐ見る。

「いやー、ほんとに変な事を言うね、汐瀬さんは。僕が変わり者だって? 何当たり前のことをさぞ変なことのように言うのさ」

「......」

「そもそも、僕は君に興味が湧いたから今こうして話しかけているんだ。別に一人だから話しかけようとか可愛いから好感度稼いどこうみたいな、下心があって話しかけたんじゃない。僕は汐瀬渚という、一人の人間に興味が湧いたから接したし話しかけた。それ以外の理由は無い!」

私に言葉を発させる間を与えない為か、やや早口で説明した遥は腕を胸の前で組んで言葉を繋ぐ。

「だから、私なんかーとか言わないでくれ。汐瀬さんへの興味が薄れてしまうかもだからさ」

「自分勝手な事を......」

遥に心底呆れながら、私はきんぴらごぼうを頬張る。咀嚼しながらぼーっと空を見上げていると、ふと遥の言葉に一つだけ引っかかることがあった。

「......少し訊きたいことがあるんだけど」

「なんなりと」

「さっき、篠宮君が可愛いって言ってたけど、比喩表現にしては少しおかしくないかな」

「ん? あ、いやあれ比喩じゃないけど。事実を言っただけだけど」

......は? さっき、遥はなんて言ったんだ?

脳が情報を受け入れず、混乱していると遥は「説明不足だったか」と気づいたような表情を浮かばせ、少しの間考え込んで私の目を、真面目な面持ちで見つめる。

「一つ言わせてもらおう。汐瀬さんは世間一般的に見ても可愛い女の子だ」

「っ!?」

「容姿もそうだけど、何より声かな。南の海みたいに透き通っている綺麗な声が特にいい。ちなみに容姿がどのようにいいのか詳しく説明できるんだけどしてあげようか?」

「いい! しなくていい! この女誑し!」

顔が熱くなるのを感じ、私は顔を隠しながら左手で軽く遥の肩を殴る。「暴力反対ー」と言いながらも遥は無抵抗でケラケラと笑う。

「なんでそんなに照れてるのさー。いいじゃないか、素直に喜べば」

「よくない! そもそも篠宮君が変な事を言うからこうなってんの!」

「んー、汐瀬さんが君付けすると少し違和感があるな。汐瀬さんみたいな人はやっぱ呼び捨てした方が良いと思う」

「っ......!」

あまりもの羞恥心につい手をあげようとしたが、理性でなんとか抑え込んでまだ食べかけだった弁当に蓋をして布袋に入れる。

「帰る!」

「あっ、ちょっと、話の続きが......」

「ついてきたら蹴り飛ばすから!」

去り際にそう言い残してからドアを開け、屋内に戻って階段を降りる。

昼休みで賑わう廊下を歩みながら、内心で遥を恨む。誰かからあんなに恥ずかしい事を言われたのは初めてだ。本当に苛つく。

そもそも、何でクラスメイトになったってだけであんなに馴れ馴れしく接してくるんだ。初めはもっと距離感を持って接するべきだというのに、遥はそれを無視して接してくるなんて......。

「ほんっと、意味分かんない」

誰にも聞こえないほどの声量で、私は怒りとも言えない感情を声に乗せて呟き、教室に戻る。

「汐瀬さん、話があるんだけど、少しいいかな」

自分の席に戻って本を引き出しから取り出そうとした時、同じ図書委員の谷山賢治が柔らかい声で話しかけてきた。

私は気持ちを切り替えて、いつもの面持ちで返事をする。

「どうしたの、谷山さん」

「少し頼み事があるんだけど......今日さ、放課後に書庫の整理があるでしょ? それで俺急用で行けそうになくて......」

谷山は実に申し訳なさそうな表情で語尾を濁し、視線を泳がせている。なるほど、ようするに私だけで委員の仕事をしてくれないかという事か。急用なら仕方ないか。

「分かった。任せといて」

「! 本当にありがとう汐瀬さん! お礼は絶対にするから!」

「お礼なんて別にいいよ。私だって谷山さんからいつも助けられているし、お互い様」

「そう......とにかく、本当にありがとう」

谷山は頭を下げて礼をすると、教室を後にした。人気者の彼だ、きっと友達と放課後遊ぶ為に仕事を捨てたのだろう。まぁ一人で集中してできるし、急用ができた谷山には感謝をしておこう。

頭の中で谷山にお礼を言い、私は引き出しから一冊の文庫本を取り出して、挟んでいた栞を机の上に置く。

私は小説が好きだ。読んでいれば周りからの鬱憤から目を背けられるし、何よりも今とは別の世界に入れる。世の中ではこれを、所謂現実逃避とでも言うのだろうか?

どうでもいい事を考えながら、小説を読み進める。いつもならこういう時、誰かから話しかけてくることはないのだが、今日はおかしな事に話しかけられた。それも、異性から。

「汐瀬さん、放課後時間ある?」

茶髪の男子が、やけに馴れ馴れしく話しかけてきた。なんで今日はこうも馴れ馴れしくされるのだろう。厄があるなら祓いたい。

「今日ダチとカラオケに行くんだけど、汐瀬さんもどう? 楽しいと思うよ」

街中で赤の他人を食事に誘うが如く、彼は少し嫌気が刺す笑みを浮かばせながら誘ってきた。どうしてだろう、無性に気持ち悪く感じてしまう。

「......放課後は委員の仕事が入ってるから、今日はやめておくよ」

「なら空いてる日いつか教えてよ。あ、LINEやってる? 交換しよーよ」

本格的に面倒くさそうな事をし始めて、どう断ればいいのか、どうすれば彼をなるべく怒らせないで断ることができるのか考える。

打開策としては、普通に断る。でもこれだとどうせ粘られるし意味は成さないかな。なら嘘をついて諦めさせる? いいや、これは無理だ。どうせ顔に出るしそもそも嘘に慣れていないからバレるに違いない。さて、どうしたものか......。

切り抜ける策が一切見つからないでどうしようもなくなっていると、

「あれ、林田君も汐瀬さんに用があるの?」

いつの間にか教室に戻っていた遥が彼の背後から現れて、ニコニコとしながら訊ねた。

「んにゃ、全然。ただ遊びに誘ってるだけ。なに、篠宮も用あんの?」

「そうだよ。確か友成さん? って人から言伝でね、食堂に来てってさ。そういう事だからちょっと汐瀬さんを借りてくね〜」

「あ、おい......」

遥から手首を掴まれ、半ば引っ張られるようにして教室を後にする。後ろから彼の声が聞こえた気がしたが、気にするだけ無駄だ。

それよりもだ。いつの間に飛鳥はこの女誑しと仲良くなったんだろう。この女誑しから飛鳥に手出しされる前に防波堤を築いておかないと。

遥に対して疑心を抱き、後ろ姿を睨んでいるとふと階段の踊り場で立ち止まり、ずっと手首を掴んでいた手を離した。今度はどうしたのかと声を掛けようとすると、遥は深い溜息を吐いた。

「やー、やっぱ嘘をつくのは心が痛むねぇ。林田君、君の事が好きそうだったしあそこで邪魔してしまったのは申し訳ないなぁ」

口調は軽いものの、心が痛むのは本当なのか苦笑いしながら遥は言った。

「嘘って、飛鳥の事の? どうしてそんな嘘をついたの」

「......そうだね、強いて言うなら汐瀬さんが嫌そうな顔をしていたから?」

「やっぱり女誑しか」

「人助けしたのに酷い言い様じゃないかな。これでも割と良い行いをしたつもりなんだけどなー......」

珍しく落ち込んでしょぼくれる遥。それを見て、暴言を吐いてしまった後悔と罪悪感に苛まれる。確かに遥の言う通りだ。実際、私は遥から助けられた。断り文句が思いつかなくて困っていた時に遥が私を連れ出してくれたおかげであの場から離れることができた。

......悔しいが、一言だけでも礼を言わないと失礼か。

礼の言葉はなんて言おうか、と遥と共に階段を降りながら悩みに悩んで、結局真っ直ぐに伝えた方がいいと結論付けした。

「ねえ、篠宮君」

「ん、どうしたの汐瀬さん」

「......さっきは、ありがと」

言い慣れない言葉を飛鳥以外の人に言うのは実に久々な事で、少し恥ずかしく思いながら私は小声で遥に礼を言う。

しかし、遥が「汐瀬さんがそんな事を言うなんて......」とでも言いたげな顔で驚いたせいで、羞恥心がすぐに湧き出てきた。

「......やっぱさっきのナシで」

「残念ながら取り消しは不可能だよ。しっかりと脳に刻んだからね」

「知ってた? 人って失神する前の記憶を部分的に忘れるらしいよ」

「殴るのは流石にやめて。汐瀬さんの拳はまともに喰らったら洒落にならなそう」

言わせなくてもしないから、と語気を強めて遥に言い、私は一段飛ばしで二階の踊り場に降りる。

「それでさ、一応訊くけど汐瀬さんはこの後はどうするの? 昼休みはもう教室に戻らないでしょ?」

「そうだけど、なに、ついてくる気?」

「うん。だって汐瀬さんにまだ話し終えれてないもん、猿遠村の昔話」

「......まだ終わってなかったんだ、あのホラ話」

「ホラ話とは失敬な。あれでも実話が元になっているからね」

「へーそうなんだー」

適当に相槌を打って、私は早足で旧校舎にある図書室へ向かう。今日の昼休みは図書室で過ごせざるをえなくなったからのと、遥の話の続きを聞く為に。

二人で二階渡り廊下を通り、人気が少ない廊下を進む道中で、遥は雑談をし始めた。

「そういえば、盗み聞きで聞いたんだけど汐瀬さんって図書委員なんだ?」

サラッといけない事を言った遥にあえてツッコミをせずに、私は「うん」と肯定する。

「図書委員なら一人でできる仕事が割とあるし、私自身本が好きだから図書委員になったの。篠宮君はどこの委員会に入るつもり?」

「僕はどの委員にも所属したくないかな。仕事多そうだし、それに面倒事もありそうだから」

「そう。......一応言っておくけど、図書室で用もなしに話しかけたら引っ叩くから」

「安心して、僕は図書室で騒ぐ連中とは違って静かにできるから」

本当に静かにできるのかやや怪しいが、まあ遥なら大声で喋るような事はしないだろう。そんな事を考えながら、図書室のドアを開ける。

案の定、図書室内は静寂に包まれていた。多くの利用者は教科書とノートを開いて勉強をしていたり、図書室で管理されている本を読んだりしている。

「ほんとに静かな事ってあるんだ」

後ろから遥が驚嘆する声が聞こえた。そんな反応をしてしまうのも仕方のない事だ。

私だって初めて図書室に入った時は同じ反応をしたものだ。中学生の頃なんかは無駄に大声で話す生徒達に司書の先生がどれだけ注意しても騒がしかったものだから高校でも同じようなものだと思い込んでいたから、当初はかなり驚いた。でも、その理由を理解すれば大体納得できる。

「橘先生、少しいいですか」

カウンターで作業をしながら受付をする、やたら筋肉質な司書の先生に話しかけると、動かしていた手を止めて掘りが深い顔を上げる。

「なんだ、汐瀬」

「今日の書庫の整理、一人欠けたんですけど私だけでしてもいいですか?」

「ああ、それなら別に構わんぞ」

「ありがとうございます」

淡々と会話を終わらせて、近代小説コーナーに向かって歩く。

「......汐瀬さんや、あの先生って誰?」

「橘喜助先生。図書室の司書兼一年の日本史担当」

「へぇ、そうなの。そらにしてはムキムキすぎやしないかな」

「趣味で筋トレとかしてるらしいから、ああなるのは必然でしょ」

適当に遥の相手をして、たまたま空いていた長机の端にある椅子に座る。遥は一個空けて座る、などというのはせず普通に隣の椅子に座った。

「あの先生が司書なんだね。普通に怖くて図書室に行きずらいなぁ......」

「内面は優しいくて良い人だよ、橘先生は。それよりも篠宮君は喋ってないで本取ってきなよ」

「あ、忘れてた」

いそいそと本を取りに行く遥の背を見届け、私は読書を始める。今日読む本は『彼方にいる君へ』というライトノベルだ。この作品は所謂タイムワープ系の小説で、主人公がとある浜辺で正体不明のヒロインを見つけるところから物語が始まる......らしい。

実のところ、この作品を読んだ事は一度もない。なにせ家にまだ未読の小説がある上、図書室には仕事以外で出入りする事がたまにしかない。ようするに滅多に行く機会が無かったという事だ。

「ここは最高だね、僕の好きな作家が書いた作品の殆どが揃えられてる」

席に戻ってくるなり、遥は私にそんな事を言った。持ってきた本がなんなのか少し気になり、遥の手元を見てみると背表紙には『人間失格』とあった。

「太宰治なんだ、好きな作家」

「まあね。太宰の心情とかがそのまま文章として表されたみたいな感じがして好きなんだ。きっかけは中2の国語で習った『走れメロス』だね」

「そうなんだ」

意外だ。遥なら主に近代小説を書く作家や漫画を好んでいるかと思い込んでいたから、太宰治が好きなのは正直驚いた。遥の言う通り人は見た目によらない。

そんな事を頭の隅で考え、黙読で小説を読み進めていると、「汐瀬さん」と不意に遥から話しかけられた。

「なに?」

「汐瀬さんは、物語を読んでいてどんなラストが好きだった?」

「......何の話?」

「バッドエンドが好きか、ハッピーエンドが好きかの話」

「......私なら、ハッピーエンドが好みかな。ありきたりだけど、登場人物が幸せになる方がいいと思う」

「そうなんだ、なんだか汐瀬さんらしい回答だね」

「お返しに訊くけど、篠宮君は?」

「そうだねー、僕もハッピーエンドの方がいいかなぁ。無駄に凝ったバッドエンドは後味が悪いから個人的に嫌い」

何気に初めて遥と意見が合ったが、特に意味が無さそうな話題だったので続けようとはせず視線を本に戻そうとすると、遥が少し違う声色で言った。

「でも、現実はそう都合良く終わらせてくれる訳がないよね」

不可解な事を言い、私は思わず「どういう意味?」と反応してしまった。その問いに遥は特に詰まることなく答える。

「そのままの意味だよ。現実で最終的にハッピーエンドを迎えられるのはごく一部の人だけで、その他大勢はバッドエンドとも言えない中途半端なラストを迎える」

口調は同じ。しかし、どこか不気味めいた何かを感じさせられる声色で遥は言い終えた。一体どんな意図があってそんな話題を振ったのか気になって聞こうとしたが、私が口を開くよりも前に遥は言葉を続けた。

「でもその他大勢の中にも何人かに一人は必ずいるんだ。まだ先がある状況で、ある日突然亡くなる。つまりははデッドエンドということだよ」

「......篠宮君も哲学まがいな事を言うんだね」

「悪いけど僕は汐瀬さんが想像するような哲学を語っている自分に酔いしれるような痛い人じゃない。これも一応猿遠村伝説に関わる事だよ」

「猿遠村伝説......」

遥が今朝話していた昔話の事かな、と車内で遥から聞かされた昔話を思い出していると、一つ気になる事があった。

「ねぇ、今朝電車で話したその猿遠村伝説っていうの、まだ続きがあるんでしょ。それって最終的にどんな結末を迎えたの?」

「残念ながら、そこはまだ分からないんだよね。インターネットで調べても確立したのが無かったし、サイトによって結末が変わっていた。でも、共通して入るものが一つある。さて、何だと思う?」

突然のクイズに、私はすぐに脳を回らせる。猿遠村伝説の、複数の結末に共通しているものか.....。時代背景は江戸時代だったはずだから病とかかな。でも共通している事だから病の可能性は低い。......もしかして、神隠しに遭った子供達に共通しているのはあれなのかな。でも人数がはっきりしていないからそれが間違いの可能性も十分にある。ここは一度、遥に訊いてみよう。

「篠宮君、質問なんだけどその神隠しに遭った子供達の人数はどのくらいなの?」

「七、八人くらい。年齢までは特定できなかったけど多分小学校中学年くらいだと思う」

少人数。なら、この答えで間違いない。

思い浮かんでいた答えが確信に変わり、私は本を閉じて遥の目を真っ直ぐ見る。

「じゃあ、答えを聞かせてもらいましょうか」

いつしかテレビで見たクイズ番組の司会者のような言い方で遥は回答を求め、私は半ば呆れながら質問に答える。これまで一度も誰かに向けて言ったことがない言葉だったから、思っている以上にスルリと口から出てきた時は少し驚いた。

「——正解。なんで分かったの?」

答えを言い当てた後、遥は興味ありげに訊いた。特に難しい推理をしていないからどう説明すればいいか迷ったが、とりあえず説明した。

「なんとなく。時代背景とか、神隠しに遭った子供達の人数で大体」

「なるほど。じゃあなんで人数が関係すると思ったの?」

「そこもなんとなくだよ。逸話なら大体こんな結末だろうなって思っただけ」

「ふうん、そうなんだ。汐瀬さんらしい」

「......それ、今日で何度も聞いたけど本当にどういう意味なの?」

「そのままの意味だよ、汐瀬さん」

遥は悪戯っぽく笑って言い、おもむろに立ち上がって本棚の方へ行った。読み終えてもいないのになんで本を戻しに行くのだろう、と不思議に思っていると、利用者が図書室から立ち去る準備をしていることに気づく。なるほど、授業開始の時間が近づいていたのか。時間の流れとは実に早いものだ。

「授業開始十分前だ。本を借りる生徒はカウンターに、それ以外の生徒は教室に戻るように」

途中まで読んだ小説のページと行を覚えてから席を立ったのと同時に、カウンターから橘先生が呼びかけた。何人かの生徒は読んでいた本を手に持ってカウンターに向かう。私も本を借りようかと思ったが、机の中に読み終えれてない小説があるのを思い出してやめておくことにした。

「じゃ、教室に戻ろう、汐瀬さん」

「そうだね」

次の授業は確か、数学だったか。ノートのページもペンのインクも無くなりそうだし、買っておかないとなぁ。

放課後にどこのドラッグストアで文房具を買おうか思案しながら小説を元のあったところに戻して図書室を去ろうとすると、

「汐瀬」

ちょうど受け付け業務を終わらせた橘先生から、低い声で呼び止められた。何か用事があるのかと思い、「先に行っといて」と遥に伝えてカウンターの前に立つ。

「なんですか、橘先生」

図書委員に関する事を伝えられるのかと思っていると、なにやら橘先生の様子がおかしい。不思議に思っていると、橘先生は口を開く。

「......菜月が心配していたぞ。最近汐瀬の元気がない、と」

「......」

ああ、なるほど。それを伝える為に私を呼び止めたのか。呼び止められた理由に納得したのと同時に、胸の奥底から変なものが湧き上がる。

「無理にとは言わない、だが悩み事があるならいつでも言ってくれ。出来る事があるのなら何でもする」

「......」

「だから、あまり思い詰めるな。汐瀬は独りじゃない」

慰めるような口調でも、励ます口調でもない口調で橘先生は私にそう言った。あの日からだ、橘先生が、さっきのような言葉を私に向けて言い始めたのは。

「大丈夫ですよ、橘先生。悩み事もないし、思い詰めることはありませんよ」

心配してくれる橘先生に対し、私は精一杯の作り笑顔を浮かばせ、なるべく口調を明るくして言う。私なりの、相手を心配させない為の方法だ。

......独り、か。

「もし、何かあれば担任か俺に言うようにな」

「そうしときます」

最後にそう言い、私は図書室を後にする。

廊下を早足で歩み、途中にある女子トイレに入って端の個室に駆け込む。そして——


胃の中にある物を、全て吐き出した。


お昼休みに食べたお弁当に入っていたおかずだったものが吐瀉物として、一度で全て吐き出された。吐き気で精神的に苦しみながら便座を支えにして立ち上がろうとするが、脳裏に焼き付いた過去の記憶がフラッシュバックして再び吐いた。既に胃は空っぽだから、吐き出されたのは胃酸だった。

「オエッ......ごほっ、ごほっ......!」

逆流した胃酸のせいで喉が焼かれるように痛い。嫌な感覚だ。このつらさから逃げたい。でも逃げられない。

「ごほっ、ごほっ......はぁ」

吐き気もようやく治り、私はふらつきながらゆっくりと立ち上がる。

吐瀉物を受け止めてくれた便器に最大限の感謝を込めてレバーを手前に引いて流し、感覚がおかしくなった足で歩いて手洗い場で手を洗ってから口を濯ぐ。水道水では吐いた後の不快感までは流せなかったが、吐瀉物まみれの口内を洗い流せられたら幾分かマシになった。一応、口周りも洗っておこう。

大体を水で洗い、未使用のハンカチで口の周りを拭く。何気なく見た鏡に映る自分の顔が心なしか悪かったが、どうでもいいことだ。用事がなくなった女子トイレを後にして、なるべく足音を立てないように廊下を歩く。

授業開始の鐘は聞こえてこなかったが、この感じだと既に授業が始まっているだろう。今行けば、簡単な言い訳で済むはずだ。

でも、私はそうしなかった。

階段を登り、屋上に出てから空を見上げてみる。雲一つない、完璧な青空だ。これならきっと、明日も晴れになるだろう。

そんな事を考えながらいつものベンチに寝転がり、目を瞑る。

もう、何もしたくない気分だった。

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