008
血が、背中を伝って落ちる。
痛みはある。
だが、それよりも――苛立ちのほうが強かった。
三十の屍が、円を描くように包囲を狭める。
腐臭と死の残滓が、肺を満たす。
「いいね……いいねえ……!」
狂人ネクロマンサーは、恍惚とした声を上げる。
「数で押し潰されるか?
それとも、女の子を守りきれずに折れるか?」
歪んだ笑み。
「どっちに転んでも、君は最高だよ」
俺は、影に指先を沈める。
――縁に触れる。
死体と術者。
魂と肉体。
生と死。
それらを繋ぐ“結び目”が、かすかに見える。
俺の能力は、強力ではない。
死体を大量に操ることもできない。
魂を完璧に縛ることもできない。
だが――
“繋がりに干渉する”ことだけはできる。
「……縁の干渉」
呟いた瞬間、
三体の屍と、狂人の術式の“結び目”が浮かび上がる。
俺は、それを引き裂いた。
糸が切れたように、
死体が崩れ落ちる。
「……あ?」
狂人の声が、初めて裏返った。
「何を……?」
「お前は“量”で押す」
俺は踏み込む。
「なら、俺は――結び目を断つ」
父の剣が、術式の核を断ち切る。
母の槍が、次の縁を貫く。
三十のうち、五体、十体が一気に機能を失う。
――数の優位が、崩れ始める。
「ば、馬鹿な……!」
狂人の表情が歪む。
「それは上級術式だろ!?
お前、そんな魔力量……!」
「あるわけがない」
吐き捨てる。
「だから、必要な分だけ断つ」
視界の端で、リリアが弓を構える。
「クロウさん……!」
「撃て。
聖矢で、動きの鈍った個体を落とせ」
彼女は一瞬驚いたが、すぐに頷いた。
「――清めの光よ」
放たれた矢が、縁を断たれた屍を貫く。
白光が弾け、死体が浄化される。
――質と支援の連携。
「ちがう……ちがうちがう……!」
狂人は後退る。
「君は、僕みたいな“本物”じゃない……!
君はただの、壊れた人間のはずだろ……!」
俺は、影を引き寄せる。
背後に、二つの気配が浮かぶ。
剣を構える父。
槍を構える母。
そして――
以前より、わずかに“輪郭がはっきりしている”。
ネクロマンス体は、
使われるほど“成長”していた。
「……強くなってる?」
リリアが息を呑む。
「いいや」
俺は静かに言う。
「育っている」
戦いを覚え、
動きを洗練し、
生前の“技”を取り戻しつつある。
それは希望であり、
同時に――罪の深化だった。
狂人は震えながら笑った。
「家族の死体を育てる怪物……
やっぱり、君のほうが異常だよ……!」
最後の屍をすべて前に出す。
「ならさ……
怪物同士で決着をつけよう!」
俺は、縁に指をかける。
「終わりだ」
――結び目を、断つ。
父の剣が、核を断ち。
母の槍が、術式の中心を貫く。
三十の屍の縁が、一斉に崩壊する。
死体は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「……あ、ああ……」
狂人ネクロマンサーは膝をついた。
「僕の……材料が……
僕の、死体たちが……」
俺は歩み寄り、短剣を突きつける。
「最後に言い残すことは?」
男は、薄く笑った。
「……君はね、クロウ……
いつか僕より、もっと酷い怪物になるよ」
歪んだ祝福。
「愛を知って、
家族を縛って、
優しさに溺れて……」
囁く。
「その時、君は自分で自分を殺したくなる」
俺は、刃を振るった。
――終わり。
森に、静寂が戻る。
リリアが駆け寄ってくる。
「クロウさん……大丈夫ですか?」
俺は答えず、背中の傷を押さえた。
痛みはある。
だが、戦いは終わった。
彼女は、父と母の影を見つめて小さく息を呑む。
「……少し、前より……はっきりしてませんか?」
「ああ」
認めた。
「使うほどに、成長していく」
彼女の表情が、揺れる。
「それって……いいことなんですか?」
俺は答えない。
いいわけがない。
だが――必要だから使う。
遠くに、目的地の方向が見える。
灰境の街・ヴァルグレイ。
俺は歩き出す。
「行くぞ。
ここから先は……もっと厄介になる」
リリアは一瞬だけ迷い、それでもついてきた。
俺の背後で、
二つの影が静かに寄り添っていた。
――剣と槍を携えながら。




