069
鼓動が、壊れている。
早すぎる。
遅すぎる。
間が抜け落ち、胸の内側で心臓が跳ね回っている。
「……っ、走れ……!」
リリアの腕を掴み、広場を離れる。
背後では、まだ音楽が鳴っている。
太鼓。
骨笛。
狂った拍子。
市民が倒れ、立ち上がり、また歩き出す。
行進。
死のリズム。
路地へ。
さらに細い裏道へ。
石壁にもたれ、ようやく足を止める。
呼吸が荒い。
視界が暗転する。
「……大丈夫、ですか……」
リリアの声も震えている。
「……生きてる」
それだけ答える。
第三側近――マエストロ・ローデリヒ。
あれは正面から相手をする敵じゃない。
街そのものを楽器にする怪物だ。
「……後回しだ」
今は、距離を取るしかない。
王都北東。
倉庫街と墓地が混ざる区画。
空気が重い。
音が、ない。
「……ここは」
リリアが呟く。
「静かすぎる」
その通りだった。
人の声も、屍兵の足音もない。
ただ――
湿った呼吸のようなものだけが、空間に漂っている。
女
倉庫の影から、女が現れる。
黒い喪服。
長い黒髪。
痩せた頬。
虚ろな目。
年齢は二十代後半。
だが、生気が薄い。
「……あなたが、縁を斬る人」
低い声。
疲れ切った響き。
「王の第四側近」
「エルシア」
女は胸に手を当てる。
「私の能力は」
「死者との感覚強制共有」
その瞬間。
視界が、反転する。
冷たい。
暗い。
重い。
地面の中。
土の圧。
腐臭。
肺が、動かない。
胸が潰れている。
「……っ!?」
自分の喉から、音にならない悲鳴が漏れる。
同時に、何十、何百という感覚が流れ込む。
首を落とされた兵士。
腹を裂かれた農夫。
飢え死にした子供。
焼かれた女。
死んだ瞬間の感覚。
それを、同時に。
「……これが」
エルシアが静かに言う。
「この国を支える、現実」
「死者の痛み」
「恐怖」
「孤独」
「……あなたも、味わう」
膝が崩れる。
胃の中がひっくり返る。
リリアも、同時に倒れた。
「……いや……」
「やめて……」
涙と涎が混じる。
エルシアの歪み
彼女の声は、震えている。
「私は……逃げたかった」
「でも王が」
「“感じろ”と」
「“忘れるな”と」
自分の胸を叩く。
「私は……死体より、死んでいる」
能力は攻撃ではない。
拷問だ。
精神の破壊だ。
クロウの中で、さらに重なる。
両親の死。
弟の喪失。
屠ってきたネクロマンサーたちの断末魔。
それらに、
無数の無関係な死の感覚が上書きされる。
意識が、溶けていく。
エルシアが歩み寄る。
「……あなたは、耐えられる」
「だから、欲しい」
「王が」
「あなたを」
距離が縮まる。
剣を持つ手が、震える。
上げられない。
斬れば、彼女の死の感覚がさらに流れ込む。
地獄の上塗りになる。
逃げ場はない。
ローデリヒの音楽地獄。
エルシアの感覚地獄。
王国は、
殺し方の博覧会だ。




