054
風が、止んだ。
草原のざわめきが消え、
世界から音だけが抜け落ちたようになる。
進軍する屍の群れ。
千を超える死体。
隊列は歪んでいるが、統制はある。
――意思がある。
「……来る」
俺は短く告げる。
剣を地に突き立て、術式を展開する。
小細工はしない。
最初から、全力だ。
「父よ」
「母よ」
胸の奥を裂くように、名を呼ぶ。
「アルベルト」
「セレスティア」
空気が歪む。
影が崩れ、凝縮し、焼けるような魔力を帯びる。
骸が“影”ではなくなる。
骨格の上に、疑似の筋肉が走り、
黒い魔力が鎧の形を成し、
眼窩に蒼白い光が灯る。
完全具現化。
剣士アルベルト。
槍士セレスティア。
生前の姿を模した、戦装骸。
術式が俺の神経を焼く。
視界が一瞬、白く弾ける。
「……守れ」
命令は、それだけ。
屍軍が走り出す。
無音の突撃。
草が踏み潰され、地面が波打つ。
アルベルトが前へ出る。
一歩。
二歩。
三歩。
踏み込みと同時に剣が閃く。
一閃で五体。
胴が裂け、首が飛び、四肢が宙を舞う。
セレスティアの槍が唸る。
横薙ぎ。
縦突き。
回転。
十体が串刺しになり、引き裂かれる。
だが――
空白は、一瞬で埋まる。
倒しても。
砕いても。
切り刻んでも。
後ろから、横から、地面から、
次が来る。
千の軍勢は、減らない。
削れるのは、時間だけだ。
「クロウさん!」
リリアが叫び、矢を放つ。
聖光が屍の額を貫き、蒸発させる。
だが矢の数には限りがある。
体力にも。
集中力にも。
俺は前に出て、剣で受け止める。
骨の腕を切断し、
腐った槍を弾き、
迫る頭蓋を砕く。
血は出ない。
あるのは乾いた破壊音だけ。
術式が、重い。
アルベルトとセレスティアを維持するだけで、
内臓を掴まれているような圧迫感がある。
呼吸が、浅くなる。
「……くそ」
アルベルトの肩の鎧が砕ける。
セレスティアの脚に亀裂が入る。
修復はできない。
壊れれば、それまでだ。
そのとき、気づく。
軍勢の動きが、微妙に揃っている。
波のように、指示が伝播している。
草原の奥。
小高い丘。
そこに――
黒衣の人物。
手を掲げ、指を動かしている。
「……側近か」
歯を食いしばる。
王の配下。
四人のネクロマンサーのうちの一人。
こいつの“所有物”が、この軍隊だ。
目的の確認
リリアが息を切らしながら言う。
「倒しきれません……!」
「分かっている」
「これは殲滅戦じゃない」
俺は叫ぶ。
「遅らせる!」
「一分でも、一秒でもいい!」
「この軍勢を、ここに縛り付ける!」
他国へ行かせない。
俺たちが盾になる。
覚悟
セレスティアが、俺の前に立つ。
槍を構え、微動だにしない。
アルベルトが、剣を地に突き、体勢を低くする。
命令を待つ姿勢。
兵士の姿。
父と母の姿ではない。
胸が、痛む。
「……終わったら」
小さく呟く。
「必ず、解放する」
約束か、
ただの嘘か、
自分でも分からない。
屍軍が、再び押し寄せる。
地平線が、黒く塗り潰される。
俺は剣を握り直す。
「来い」
ここが、地獄の門だ。




