041
夜はまだ、完全には明けていない。
焚き火は灰になり、
冷えた空気だけが残っている。
俺は黒革の手帳を開く。
何度も開いてきたページ。
何度も、黒く塗り潰してきた名簿。
そこにある名前。
――アリス。
最初から、そこに載っていた名前だ。
指名手配の記録。
危険度。
発現能力の簡単な走り書き。
だが、
実際に対峙するまで、
それが「九歳の少女」だとは知らなかった。
ペンを握る。
胸の奥が、わずかに軋む。
それでも、
ためらいは長く続かない。
線を引く。
黒いインクが、
少女の名を覆い潰していく。
消えるのは、文字だけだ。
お茶会の光景も、
微笑みも、
剣を貫いた感触も――
すべて残る。
「……十人目だ」
低く、呟く。
これは記録だ。
墓標だ。
そして、俺自身への戒めだ。
手帳を閉じる。
東の空が白み始める。
朝が来る。
それでも、
胸の奥の闇は薄れない。
剣を背負う。
血の匂いはもうない。
だが、
重さだけは残っている。
「……行くぞ」
隣にいるリリアを見るが、
多くは語らない。
語れば、
何かが壊れそうだった。
小屋を背に、街道へ出る。
朝の光が影を引き延ばす。
過去も、
屠った者の名も、
選び取った結末も――
すべて影の中にある。




