017
スラムの朝は、静かに始まらない。
どこかで赤ん坊が泣き、
どこかで咳き込む老人がいて、
どこかで誰かが死んでいる。
俺はまだ全快ではなかったが、
寝ているだけというのも性に合わなかった。
包帯の上から外套を羽織り、
ゆっくりと外に出る。
「無理しないでくださいね、クロウさん」
リリアが心配そうに言う。
「死なれるよりはマシだ」
「……冗談になっていません」
スラムの路地は狭く、
湿った臭いがこびりついていた。
腐りかけの食料。
薬を買えずに悪化した病。
飢えと寒さ。
ここでは、死は事件ではなく日常だ。
路地裏で、
一人の子どもが横たわっていた。
痩せ細った体。
もう息はない。
「昨日までは生きてたのにね」
近くの女が呟く。
「でも、食べるものもなかったし……」
俺は黙って膝をついた。
この死に、
魔術的な匂いはない。
ネクロマンサーの仕業でも、
呪いでもない。
ただの貧困による死。
それでも――
死後の魂は、等しく迷う。
俺は目を閉じ、
術式を静かに展開する。
縁の干渉。
この魂がこの世に留まる理由。
未練。
恐怖。
痛み。
それらを、静かにほどいていく。
見えない糸が、
ほどける感覚。
怯えた子どもの気配が、
次第に穏やかになっていく。
「……もう迷わなくていい」
声は小さく、
誰にも聞こえない。
縁を断ち、
魂を送り出す。
それは“操る”ことではない。
縛ることでもない。
ただ、
自由にするだけだ。
背後で、
リリアの気配を感じた。
「クロウさん……」
「見世物じゃない」
「……すみません」
だが、
その声には恐怖よりも敬意が混じっていた。
「あなたの魔術は、
ネクロマンサーのものとは違いますね」
「同じ“死”を扱う」
俺は立ち上がる。
「だが、やっていることは逆だ」
「縛るのではなく……解く」
リリアが静かに言う。
「ああ」
「死を、愚弄したくない」
それだけを告げた。
スラムでは、
死体が狙われることもある。
金になるからだ。
実験材料になるからだ。
「……ああいう連中のせいで、
死者が安らげなくなる」
俺は小さく吐き捨てる。
「だから狩るんですね」
リリアの声は、
静かだった。
「……理由は、それだけじゃない」
即答はしない。
だが、
否定もしない。
別の路地でも、
また一人の死者を見つけた。
老人。
栄養失調。
衰弱死。
俺は同じように縁を断つ。
淡々と。
慣れた手つきで。
優しさはある。
だが、それはもう鋭く削れている。
守りたいというより、
放っておけないだけだ。
日が沈む頃、
体の痛みがぶり返した。
「今日はもう休みましょう、クロウさん」
リリアが言う。
「ああ……そうだな」
珍しく、素直に従う。
簡易宿に戻る途中、
ふと空を見上げた。
「……死は、道具じゃない」
誰に向けたわけでもなく呟く。
ネクロマンサーに愚弄される死。
利用される死。
踏みにじられる魂。
それを止めることだけは、
やめるつもりはなかった。




